「Ⅱ-2 石場建て後の架構方式」 日本の木造建築工法の展開
PDF「Ⅱ-2 石場建て後の架構方式」 A4版10頁 (PCの方は、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。) Ⅱ-2 礎石建て後の架構方式・・・・古代の典型 1.架構の基本形...
View Article「筑波通信 №11」 1982年2月
PDF「筑波通信 №11」1982年2月 A4版10頁 「筑波通信 №11」 1982年2月 「今昔」の評釈について 秦恒平著「梁塵秘抄」 〈熊野へ参るには 紀路と伊勢路とどれ近し どれ遠し 広大慈悲の道なれば 紀路も伊勢路も達からず〉 〈熊野へ参らむと思へども 徒歩より参れば道遠し すぐれて山峻し 馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ羽賜べ若王子〉...
View Article「Ⅱ-3 参考, Ⅱ-4 貫で軸組を縫う」 日本の木造建築工法の展開
(「Ⅱ-3」より続きます。) 参考1 桔木と筋かい―――古建築と斜め材の使用 ・・・・鎌倉時代(1200年代)には、柱間に筋かいを設け、間渡し材(塗壁の下地)を密に入れ壁を塗ることが行われたが、間もなく使われなくなり、主に小屋束まわりの補強に用いるだけになる。 中世以降、軒まわりに桔木を使い、桔木上に小屋束を立てる小屋組が増える。...
View Article「Ⅱ-3 二重屋根の発生と新しい架構法」 日本の木造建築工法の展開
PDF「Ⅱ-3 二重屋根の発生と新しい架構法」 A4版6頁 (PCの方は、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。) Ⅱ-3 二重屋根の発生と新しい架構法・・・・斗拱(ときょう)に代る桔木(はねぎ)による小屋組...
View Article「筑波通信№12」 1981年度
PDF「筑波通信 №12」1982年3月 A4版8頁 「筑波通信 №12」 1982年3月 冬の情景 ・・・・それぞれの冬・・・・ 北国から便りがあった。...
View Article「Ⅲ-1 参考 東大寺南大門」
(Ⅲ-1 より続きます。) 参考 東大寺 鎌倉再建 南大門 垂木先端には、鼻隠しを取付け。鼻隠しは、垂木先端に数本おきに刻まれた蟻型で取付けられている。図・写真共に奈良六大寺大観 東大寺より 同面で納まる貫(仕口は下図) 挿肘木に架かる通肘木(仕口は下図) 文化財建造物伝統技法集成(文化財建造物保存技術協会)所載の図版を基に作図...
View Article「Ⅲ-1 浄土寺 浄土堂の建て方手順」
(Ⅲ-1浄土寺 浄土堂の壁仕様 より続きます。) 浄土寺 浄土堂の建て方手順 (「国宝 浄土寺 浄土堂修理報告書」極楽山浄土寺発行より抜粋要約) 浄土寺浄土堂の場合、修理工事調査担当者は、いろいろ検討の結果、柱を立て、先ず飛貫(ひぬき)を通し、軸組を固めることから始めた、と判断しています。...
View Article「Ⅲ-1 浄土寺 浄土堂の壁仕様」
(Ⅲ-1-5 より続きます。) 浄土寺 浄土堂の壁仕様――壁に耐力を求めていない 当初の小舞 竹小舞ではなく木小舞 当初の土壁 「国宝 浄土寺 浄土堂修理工事報告書」より ・・・・(浄土堂では、)建具の入る部分以外の壁面は、飛貫より下の比較的面積の大きいところは横板壁とし、面積の小さい飛貫・頭貫間および頭貫・母屋間とは土壁としている。 註...
View Article「Ⅲ-1 中世の典型ー1:浄土寺 浄土堂」 日本の木造建築工法の展開
PDF「日本の木造建築工法の展開 Ⅲー1」A4版19頁 (PCの方は、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。) 「日本の木造建築工法の展開 Ⅲ 中世」...
View Article「Ⅲ-2 大善寺 元興寺 明王院」
(「Ⅲ-2 三十三間堂」より続きます。) 大善寺(だいぜんじ)本堂 1286年(弘安9年)建立 所在 山梨県 甲州市 勝沼 平面図 桁行・梁行断面図 建築史基礎資料集成七仏堂Ⅳより 床組伏図(文化財建造物伝統技法集成 より) 密教:真言宗の寺院。 鎌倉時代には、畿内だけではなく、全国各地域に密教系、禅宗系の寺院が建立されている。概して西国に多いが、大善寺は東国進出の一例。...
View Article「Ⅲ-2 中世の典型ー2:鎌倉時代の寺院」 日本の木造建築工法の展開
PDF「日本の木造建築工法の展開 第Ⅲ章ー2」A4版7頁 (PCの方は、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。) Ⅲ-2 中世の典型-2:鎌倉時代の寺院・・・大仏様は継承されなかった...
View Article1982年度 「筑波通信 №2」
PDF「筑波通信 №2」1982年5月 A4版10頁 「筑波通信 №2」 1982年5月 善知鳥によせて・・・・土地・土地の名・・・・ 信州塩尻の近くに善知鳥峠という名の峠がある。松本平から伊那谷へぬける道すじ:三州街道にある中央高地に別れをつげる峠である。上代の東山道もここを通っていたのだという。問題は、これを何と読むかである。全く読めずに、私はしばし途惑った。...
View Article「Ⅲ-3 東福寺 龍吟庵 方丈 」
(「Ⅲ-3-1」より続きます。) 室中しっちゅう(方丈)内部 見えているのは上間(じょうかん)南室 室中(方丈)使われている状況 日本の美術より 仏堂が別にあるため、龍吟庵方丈には仏壇がない。 天井際を回る白壁(大壁)部分を蟻壁(ありかべ)と呼ぶ。これは、竿縁の割付のための工夫。天井を浮かせて見せる効果がある。...
View Article「第Ⅲ章-3 中世の典型ー3:方丈建築」 日本の木造建築工法の展開
PDF「日本の木造建築工法の展開 第Ⅲ章ー3-1」A4版6頁 (PCの方は、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。) Ⅲ-3 中世の典型-3:方丈建築・・・柱間はすべて開口装置...
View Article1982年度 「筑波通信№3 水田の風景」
PDF「筑波通信 №3」1982年6月 A4版12頁 「筑波通信 №3」 1982年6月 水田の風景・・・・ものの見えかた・・・・ 〇水田風景、それは驚異的である 筑波の近在では、ちょうど四月末から五月初めへかけての連休の前後が田植えの季節である。(茨城に隣りあう利根川の向う側の埼玉県では五月九日でもやっと田をおこしているだけだった。)...
View Article「第Ⅲ章-3-2 参考 慈照寺東求堂 多層工法」
(「Ⅲ-3-2 鹿苑寺 金閣」より続きます。) 参考 慈照寺(じしょうじ) 東求堂(とうぐどう) 1486年(文明18年)ごろ建立 足利義政により建てられた山荘・東山殿の一建物。義政没後、慈照寺となる。後に、戦乱で東求堂などを除き、消失。 東求堂は、義政の書斎兼持仏堂。方形平面、入母屋、桧皮葺き、基準柱間:6尺5寸。柱:仕上り大面取り3.8寸角。 平面図...
View Article「第Ⅲ章-3-2 大徳寺 大仙院, 龍源院」 日本の木造建築工法の展開
PDF「日本の木造建築工法の展開 第Ⅲ章-3-2」 A4版12頁 2.大徳寺 大仙院 本堂 1513年建立 所在:京都市 北区 紫野大徳寺町 龍吟庵(りょうぎんあん)方丈に次いで古い方丈建築。龍吟庵方丈とは85年の隔たりがあるが、その間の事例がない。 臨済宗 大徳寺の塔頭の一。方丈とは呼ばず本堂と言う。大徳寺には20を越える塔頭があるが、その中で最古。...
View Article1982年度 「筑波通信№4 万が一の事態」 1982年7月
PDF「筑波通信 №4」1982年7月 A4版10頁 「筑波通信 №4」 1982年7月 「万が一」の事態・・・・「正常」または「合理的」ということについて 〇脱線した特急...
View Article「第Ⅲ章-4-1古井家 復元後の内部写真, 参考」 日本の木造建築工法の展開
(「第Ⅲ章ー4-1 古井家 壁の仕様」より続きます。) 復元後の内部写真 重要文化財 古井家住宅修理工事報告書より転載、文字は編集 にわ~居室部境 にわの棟通りには、内法貫、飛貫の2段の貫が入れられている。内法貫は、梁行、桁行段違い。 にわ~ちゃのま にわとちゃのまの間には、建具はない。 にわ~ちゃのま北西隅 水まわり 材料および材寸 柱:クリ...
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