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「Ⅱ-2 石場建て後の架構方式」 日本の木造建築工法の展開

PDF「Ⅱ-2 石場建て後の架構方式」 A4版10頁 (PCの方は、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。)

Ⅱ-2 礎石建て後の架構方式・・・・古代の典型

 1.架構の基本形

 現存する礎石建てに移行後の古代の建物の大半は寺院の建物で、一般の建物の例はありません。ただ、法隆寺には、大陸伝来の寺院様式の建物だけではなく、一般の建物づくりを思わせる建物も現存し、その一つが、下図の法隆寺に学ぶ学僧たちとその従者の宿舎であった東室(ひがしむろ)と妻室(つまむろ)です。

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東室 妻面、 右 妻室:妻面、内部 写真と図は、奈良六大寺大観 第一巻 法隆寺 一、文化財建造物伝統技法集成から転載・編集

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  平面図 上:妻室 下:東室 

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東室 断面図

  平面図の上が東面にあたります(57頁寺域図参照)。東室と妻室は、中庭を挟んで対になっています。図のように、東室では主たる部屋の二面に庇:下屋が付き、妻室には庇:下屋は付いていません(なお、東室の右:南側の点線部は、現在、別の用途の建物に変っている)。

 これらの建物は、寺院建築の形式をとっていません。この二つの建物は、つくりかたがきわめて単純で、柱に円柱が使われていること以外は、当時の一般の建物のつくりかたと同じであったと考えてよいでしょう。

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 A部分解図           B部分解図              C部分解図  写真と図は、奈良六大寺大観 第一巻 法隆寺一、文化財建造物伝統技法集成から転載・編集

 

 二つの建物とも、初めに柱に梁をかけて門型をつくり並べ桁を載せるのではなく(42頁の無庇建物がこの方法で、折置組おりおきぐみと言います)、初めに長手方向に桁を載せた2列の柱列を立て、それに梁を架ける方法をとっています(これを京呂組きょうろくみと呼んでいます。桁露:桁が露出する:の意、という説があります)。

 桁は長くなるので、何本かの材を途中の柱の上で継いでいます。2材を長さ方向に伸ばす方法を継手(つぎて)と言いますが、B部の分解図のように鎌継ぎ(かまつぎ)を使っています。  

 このように何本もの柱の頭に横材を載せると、木製の梯子(はしご)を横にした形:門型の連続:になって、1連の門型よりも、柱列方向には変形しにくくなります。おそらくこの利点を考えて、桁を先に架ける方法をとったのでしょう。

 柱と桁は柱の上につくられた凸型:枘(ほぞ)あるいは太枘(だぼ):で取付けられています。このように、交わる2材を組み合わせる方法を仕口(しくち)と言います。

 次に、桁を載せた2列の柱列に直交して梁を架けます。

 梁は、2列の柱列が垂直の姿勢を保つための重要な役割があります。ただ載せ掛けただけでは、柱列は安定しませんが、B部分解図のように、桁と梁に互いに欠き込みをつくって載せると、両者がかみ合って簡単には動かなくなり、門型が維持されます。そして、柱列の各柱の位置ごとに梁が載ると、トンネル状の上屋の骨組ができあがります。

 なお、ここで桁と梁の取付けに使われている方法:仕口は、現在でも、直交する2材を確実に取付けるときに用いられる渡りあご:渡り腮(あご)と呼ばれる方法です。   

 下屋の柱列上にも桁を載せ、その桁と上屋の柱の間に水平に梁をかけて繋ぎます(この梁を、その役割の名をとって繋梁つなぎばりと呼びます)。その方法を示したのが、A部分解図です。繋梁の桁への架け方は上屋と同じです。

 繋梁の上屋の柱への取付け方は、梁の端部に枘(ほぞ)をつくりだし、上屋の柱に彫った穴:枘穴に差し込みます。枘の上と下側には前下がりの傾斜が付けられていて、穴も奥に向って下向きに彫られています。そのため、ここに枘を差し込むと自然に落ち込み、梁に横向きの力がかかっても、枘が穴に引っ掛かって、簡単には抜けなくなります。下げ鎌(さげかま)と呼ばれる簡単ですが優れた仕口です。 

 こうしてできあがった上屋+下屋の架構に又首を載せて建物の骨格ができあがります。

 なお、妻室の場合は、小屋組は又首ではなく、梁の上に束柱を立てて棟木を支える束立組(和小屋組)をとっています(45~46頁参照)。

 妻面および内部の写真で又首のように見えるのは、束柱が倒れないように横から支えるための材で、方杖(ほうづえ)と呼んでいます。ただ、この方杖が支える役割をはたすのは工事中だけで、垂木が架けられると、垂木自体が棟木を左右から支える役割を担うため、棟木は動くことがなくなります。 

 

 

2.中国式架構・斗拱(ときょう)、その弱点とそれへの対策・・・・長押(なげし) 

 東室、妻室は寺院の付属屋のため、材料をはじめ丁寧に仕上げられていますが、一般の建物でも、同じような架構法が行われていたと考えられます。 

 一方、寺院そのものの架構法は、複雑な方法をとるのが普通です。下の写真は29頁に内部の写真を載せた新薬師寺本堂の正面です(詳細は56頁参照)。 

 このように、桁を直接柱に載せないで、柱の上に頭貫(かしらぬき)という横材を落とし込み、その柱位置に大斗(だいと)を据えて梁を架け、その上に肘木を据えて、肘木(ひじき)で桁を受けています。大斗肘木(だいとひじき)と言います。それを図解したのが下の図です。

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新薬師寺本堂 正面

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軒の写真:上が法隆寺東院伝法堂、下が新薬師寺本堂    図、写真は日本建築史図集、日本建築史基礎資料集成より          

 

 この新薬師寺本堂に使われている大斗肘木は、寺院の架構法の中では最も簡素な例で、同じ方法は法隆寺東院(とういん)・伝法堂(でんぽうどう)でも使われています(上図ならびに55、56頁参照)。

 なお、法隆寺東院・伝法堂は上層貴族(橘夫人)の住居の転用と考えられています。 

 寺院では、軒を深く出すことと軒裏を豪華に見せるために、一般に次の図のように、大斗肘木よりも複雑な方法がとられています。これは大斗肘木も含め、中国の寺院建築の技法にならったもので斗拱(ときょう)と呼びます。斗拱(ときょう)も中国の呼称です。

 

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①平三斗(ひらみつと) Image may be NSFW.
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②出三斗(でみつと) 

 

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 ③出組(でくみ)(一手先ひとてさき)            ④三手先(みてさき)      図は日本建築図集より

 

 斗拱(ときょう)の形によって名前が付けられていて、その形式・様式で建物建設の時代判定の指標などにも使われますが、要は、軒を柱列位置から外側前方へ迫り出すための方法です。

 なぜ中国ではこのような方法がとられたのでしょうか。参考のために、現在中国に残っている最古の寺院:仏光寺(ぶっこうじ)の断面図を載せました。

 

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 中国現存最古の仏教寺院 仏光寺(857年)断面図  図像中国建築史より                     

 

 日本の古代文化に影響を与えた隋や唐は黄土高原に栄えた国家です。黄土高原は乾燥地帯に近く、その地域の建物は純粋の木造ではなく、版築(はんちく)でつくった壁の上に木造の屋根を架ける方法が主です(19頁参照。日本では古い土塀に見られますが、乾燥地域では現在でも行われています)。

 土壁の上に木造の屋根:小屋組を設けるためには、土壁上に、木造部を載せる台が必要です。

 頭貫は、台として土壁の上に据える材で、柱頭相互をつなぐ役割はなかったと考えられます。

 わが国でも、当初は柱の頂部に落し込むだけで(法隆寺金堂など)、風や地震などの横揺れで頭貫が容易にはずれて落ちるため、柱に固定する方法が工夫されます。下図は、法隆寺内の建物の、頭貫の取付け方の変遷図です(左から右へ時代順。一時頭貫の柱頭への固定のために打たれた鉄製の大釘は湿気を呼んで木を腐蝕させることが分り使われなくなる。なお、頭貫は日本語、中国語では闌額と記している)。

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 この頭貫の上に、梁を受けるための座として置かれたのが大斗です。 

 当初は、上の図の①のように大斗に直接虹梁(こうりょう)(虹の形をしているので虹梁と言う。中国では月梁:三日月型の梁)を架けていますが、②や③のように大斗に肘木を据えた上に梁を架ける方法がとられるようになり、さらに④のように、梁の上にも肘木を据えることで軒の出を深くする方法も生まれます。

 ④は最も格の高い方法とされ、唐招提寺金堂に使われていますが、当初の東大寺大仏殿にも使われていたと考えられています(平安時代末に戦火で焼失したため、詳細は分っていません)。 

 また、梁、桁と柱の間に大斗、肘木など、いくつもの部材を積んでゆくため、柱と桁、梁との取付き方にかなりのガタがあり、頭貫を柱に固定しても、先の法隆寺・東室、妻室の架構法に比べ、横からの力、特に風の圧力:風圧で倒壊することもあったようです。

 そのため考え出されたのが、外周の柱列を内外から横材で挟み込み、柱列の変形を防ごうとする方法でした。これは日本独特の方法で、この横材を長押(なげし)と呼んでいます(西欧の方式は49頁参照)。 

 下の図・写真は、法隆寺東院・伝法堂の背面です。柱の頭貫の下と足元に設けられている水平の部材が長押です(図の網をかけた部分)。これは長押を2段設けている例です。

 

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 法隆寺東院伝法堂背面  奈良六大寺大観法隆寺より      同詳細図同書より

 

 唐招提寺金堂では、下の写真のように格子窓の下にも設けられ、計3段の長押がまわっています。 

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 唐招提寺 東面  奈良六大寺大観 唐招提寺より        唐招提寺 北面 日本建築史基礎資料集成 仏堂Ⅰより

 

 唐招提寺金堂の軒は最も格の高い三手先(みてさき)(52頁図④)でつくられていて、東大寺大仏殿も唐招提寺金堂をいわば拡大コピーしたような建て方であったと考えられています。

 しかし、東大寺大仏殿の巨大な瓦葺き屋根の深い軒は、三手先(みてさき)では支えられず、751年の完成直後から、副柱(そえばしら):支柱で軒を支えています(形は違いますが、法隆寺金堂の斗拱も軒を支えられず支柱があります)。

 興味深いのは、大仏殿は1180年に焼失するまでの約430年間、マグニチュード6以上の地震に何回も遭遇していますが、梵鐘落下の記録はあっても建物自体が被災した記録はありません。軒は下がっても地震では平気だったのです。一方、大風による建物の被害は頻繁に記録されています(次頁参照)。

 これは、風と地震の性格の違い、つまり、風の場合は風そのものが建物を押すのに対して(風圧)、地震で建物に生じる衝撃は慣性によるものだからだ、と考えられます(下註参照)。 

 註 地面が揺れたとき、地上に置かれた物体は、直前の現状位置を保とうとします。その程度は物体の重さに比例します。そのため、巨大で重い屋根と相対的に軽い軸組部分では、現状位置を保とうとする程度に差があり、両者の間の動きにズレが生じます。多分、逃げの多い斗拱(ときょう)が、この動きのズレを吸収し、衝撃が低減されたのではないでしょうか。風の被害が多いのは、高い建物のためビル風の発生があったのかもしれません。

 

(Ⅱ-参考 に続きます。) 


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