PDF「日本の木造建築工法の展開 Ⅲー1」A4版19頁 (PCの方は、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。)
「日本の木造建築工法の展開 Ⅲ 中世」
・・・・現代物理学の発展と分析の(結果得られた)重要な特徴の一つは、自然言語の概念は、漠然と定義されているが、・・・理想化(された)科学言語の明確な言葉よりも、・・・安定しているという経験である。・・・既知のものから未知のものへと進むとき、・・・我々は理解したいと望む・・・が、しかし同時に「理解」という語の新たな意味を学ばねばならない・・・。
いかなる理解も結局は自然言語に基づかなければならない・・・。というのは、
そこにおいてのみリアリティに触れていることは確実だからで、だからこの自然言語とその本質的概念に関するどんな懐疑論にも、我々は懐疑的でなければならない。
ハイゼンベルク「現代物理学の思想」より
・・・・かつて、存在するもろもろのものがあり、忠実さがあった。
私の言う忠実さとは、製粉所とか、帝国とか、寺院とか、庭園とかのごとき、存在するものとの結びつきのことである。その男は偉大である。彼は、庭園に忠実であるから。
しかるに、このただひとつの重要なることがらについて、なにも理解しない人間が現われる。
認識するためには分解すればこと足りるとする誤まった学問のあたえる幻想にたぶらかされるからである(なるほど認識することはできよう。だが、統一したものとして把握することはできない。けだし、書物の文字をかき混ぜた場合と同じく、本質、すなわち、おまえへの現存が欠けることになるからだ。事実をかき混ぜるならば、おまえは詩人を抹殺することになる。また、庭園が単なる総和でしかなくなるなら、おまえは庭師を抹殺することになるのだ)。・・・
サン・テグジュペリ「城砦」より
・・・・彼の言葉のなかで、私にいちばん強い印象をあたえたのは、・・・廊下を歩きながらスタインバーグが呟くように言った言葉である。 その言葉を生きることは、知識と社会的役割の細分化が進んだ今の世の中で、どの都会でも、殊にニューヨークでは、極めてむずかしいことだろう。 「私はまだ何の専門家にもなっていない」と彼は言った。「幸いにして」と私が応じると、「幸いにして」と彼は繰り返した。
加藤周一「山中人閒話・スタインバーグは言った」より
主な参考資料 原則として図版に引用資料名を記してあります
日本建築史図集(彰国社) 日本住宅史図集(理工図書) 日本建築史基礎資料集成(中央公論美術出版) 奈良六大寺大観(岩波書店) 国宝 浄土寺 浄土堂修理報告書(極楽山浄土寺) 重要文化財 龍吟庵方丈修理工事報告書(京都府) 文化財建造物伝統技法集成(文化財建造物保存技術協会) 古井家住宅修理工事報告書(古井家住宅修理工事委員会) 箱木家住宅(千年家)保存修理工事報告書(重要文化財 箱木家住宅修理委員会) 日本の民家(学研 絶版) 日本の美術 (至文堂) 滅びゆく民家 川島宙次(主婦と生活社 絶版)
Ⅲ-1 中世の典型-1:浄土寺 浄土堂・・・貫工法の詳細、その原理
浄土寺 浄土堂は、1194年に上棟した東大寺の荘園内に重源の指図でつくられた堂で(大工:豊後介紀清水と記録にあります)、1間20尺の3間四方(60尺四方)の整然とした平面で、屋根は方形(ほうぎょう)です。
堂内の阿弥陀如来、観音などの立像は快慶作で、堂と同時につくられました。
浄土寺 浄土堂については、詳細な「国宝 浄土寺 浄土堂修理報告書」極楽山浄土寺 発行 が刊行されています。その修理報告書を基に、大仏様を紹介します。 (ここでの図版・写真は「国宝 浄土寺 浄土堂修理報告書」からの転載になります。)
その特徴は、古代以来の寺院建築の形式にとらわれず、それまでの寺院には見られなかった柱を何段かの貫で相互に縫うことで架構を立体的に強固に固める架構法を採っている点にあります。
浄土堂では、下から、足固貫、胴貫、飛貫(ひぬき)そして三段の虹梁で固められています。頭貫は貫ではありませんが、古代寺院とは違い柱頭を固くつなぐ方法を採っています。 註 飛貫(ひぬき)は近世以降の建物では見かけない。また、浄土堂では、胴貫の箇所は数箇所。
[図は左が南]
柱の太さ(径):柱は下から上へと細まり、径は1本ごとに異なるが、平均すると以下のようになる。 外周隅柱:柱頭1.9尺 柱底2.0尺 外周側柱(平柱):柱頭1.7尺 柱底1.8尺 内陣柱:柱頭1.9尺 柱底2.1尺
図の着色箇所は、飛貫および頭貫。
架構の見上げ 下図矩計図に対応する部分
主要部矩計図
各架構部材の組立て分解図・解説
以下に各レベルの横材(貫、肘木、虹梁など)の平面・分解図(伏図)を、下から順に掲載します。
伏図は、左が南、右が北です(分解図は、国宝浄土寺浄土堂修理工事報告書から転載・編集した図です)。ただし、図の掲載順は建て方の順ではありません。建て方の順は、伏図・壁仕様の次の頁を参照ください。
継手・仕口には、きわめて簡単な相欠き(あいがき)(合欠き)が継手、仕口双方に使われています(下図説明)。
1)足固貫(あしがためぬき)
柱の脚部を相互につないで固める役割。近接して胴貫のある箇所を除き、各柱を平面格子状に繋いでいます。
足固貫は、南北方向、東西方向とも断面は4.3寸×3.0寸の平角材で、柱~柱間で一材としています。したがって、各方向とも柱内で長さ6寸落差0.5寸の鉤型(かぎがた)の付いた相欠き:略鎌:で継いでいます。 双方は、3.5寸の段差を付けて柱内で交叉します。それゆえ、二材は0.8寸の相欠きで噛み合うことになります。
柱に彫られる貫孔は、下図のように、南北方向は4.5寸×3.5寸、東西は5.0寸×3.5寸、したがって埋木(楔くさび)の寸法は異なります。埋木(楔)を打込まない段階は、ガタガタです。
外周側柱(平柱) 柱頭:1.7尺 柱底:1.8尺
内陣柱 柱頭:1.9尺 柱底:2.1尺
普通、貫に使われる継手は略鎌と呼ぶ。相欠き(合欠き)とは、材の双方を同型に欠いて嚙み合わせることを言い、継手・仕口両方で使われるが、特に継手で材の先端に鉤型(かぎがた)を付けた場合が略鎌。下図は略鎌の各種の変形。
文化財建造物伝統技法集成より編集 略鎌の語源は不祥
2)飛貫(ひぬき)(樋貫)・肘木
飛貫(ひぬき)は、柱列の上部を固める役割。飛貫(ひぬき)は近世の建物では見られませんが、中世の住居には使われています。
鳥居の二段目の横材を飛貫(ひぬき)と呼びます。鳥居が門型を維持できるのは、そのためです。
浄土堂には、足固貫と飛貫までの間に胴貫(どうぬき)があるが、使用箇所が少ないために省略します。
飛貫は、隅柱では柱を貫通し、柱を飛び出す部分は、上端を3.5寸欠きとり、南北方向を上木、東西方向を下木として柱内で相欠きで噛み合せ、肘木として使う。
なお、秋篠寺(8世紀末~9世紀初頭建立)は、当初南面の庇部が吹き放しで、その際、頭貫の下に横に入る長押の取付く横材を飛貫と呼んでいる。
側柱位置での肘木は、最下段は柱を貫通、下から2段目:飛貫と同高位置:は柱に大入れ、3段目は柱を貫通、4段目は堂内側だけで柱に大入れ、最上段は堂内外に伸び、頭貫に相欠きで載っている(上掲の断面図および大虹梁仕口分解図を参照)。
3)頭貫(かしらぬき) 貫と呼びますが、本来、貫ではありません。
「古代寺院」の頁で触れましたが、寺院建築では、古代以来、柱頂部に柱相互を結んで載る部材を頭貫と呼んでいます。 浄土寺 浄土堂でもその呼称を使っています。
ただ、浄土寺 浄土堂の場合は、隅柱上で直交する頭貫が、互いに相欠きで噛み合い、柱頂部に固定されるような工夫がされ、古代の寺院建築の頭貫とは異なり、柱相互を固く結ぶ梁のようになっている。
柱底は平坦で、礎石上に据え置かれているだけである。 各段の貫で固めれば、架構全体が一つの立体となり、その立体が礎石からはずれることは容易には起き得ないことが分っていたため、柱底を平坦のままにしたと考えられる。
柱底には、15mm角ほどの大きさの通気口(通気溝)が彫られている。防湿のためと考えられている。
柱 底部の通気口(通気溝)
解体時、礎石と柱底との隙間に、上図のような深さで、調節のための飼い物(ヒノキの木片)が挿入されていた。数字は飼い物の厚さ。内陣の柱:四天柱は解体しなかったため、厚さだけで長さは不明。
4)大虹梁および各部材の取合
一つ置いた次の図は、この部分の、飛貫、肘木などと柱との取合い分解図
木鼻があると組むことができないため、分解し後付けにしている(埋木:楔により、ほぼ一材と同様になる)。
bは柱に差してあるだけだが、a、c が埋木(楔)によって固定されると、同時に固定され、肘木の役割を果たす。同じく d も、c、e に挟まれ固定され、肘木として働くことになる。下図もおなじような考え方。
5)遊離尾垂木(ゆうりおだるき)と母屋(もや)、その取合
図版・写真は「国宝 浄土寺 浄土堂修理報告書」極楽山浄土寺発行 よりの転載になります。
(Ⅲ-1 浄土寺 浄土堂の壁仕様 に続きます。)