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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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「Ⅲ-2 中世の典型ー2:鎌倉時代の寺院」 日本の木造建築工法の展開

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PDF「日本の木造建築工法の展開 第Ⅲ章ー2」A4版7頁  (PCの方は、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。)

 

Ⅲ-2 中世の典型-2:鎌倉時代の寺院・・・大仏様は継承されなかった

 木造架構を貫で強化する工法:貫工法は、中国から伝来した大仏様に始まり、その後普及する、とりわけ、一般庶民の建物に使われるのは近世以降である、と考えられています。

 しかし先に触れたように、きわめて計算しつくされ完成度が高い浄土寺 浄土堂の設計・施工から考えて、中国から導入された工法・技術が僅かな時間で花開いたとは考えられず、また実際、中国の建築史図集等にも、大仏様を想起させる寺院建築は見あたりません(住居には見られます。65頁参照)。

 これらのことから、先に触れたように、貫を用いて架構を固めることは、古来工人たちにとっては手慣れた工法であったにもかかわらず、中国伝来の工法を重視する古代寺院に於いては使われることがなく、それが平安末期(鎌倉初期)になり、古代的な権威の凋落ともあいまって、東大寺の再建という大事業に採用されたために脚光を浴びるようになった、と考えた方が無理がありません。 

 

 一般に、いわゆる大仏様は貫工法のみが注目されますが、より重要な点は、その空間のつくりかたにあると考えられます。

 すなわち、中国伝来の工法・技法にならった古代の寺院建築は、屋内の空間は架構そのものによって形づくられていましたが、すでに見たように、その架構方式を日本の環境に馴化する過程で生まれた二重屋根(野屋根)の工法:桔木(はねぎ)の活用:の普及により、平安時代に入ると、架構と空間上部の意匠を分離して考える建物づくりが「常識」になってきます。  

 それに対し、東大寺再建事業で採られた建物づくりの方法:いわゆる大仏様は、この「常識」をくつがえし、単に貫を駆使しただけではなく、建物の原初的なつくりかた、すなわち、架構そのもので空間をつくるというつくりかたを復活してみせたのです。それは、日本の環境に適合し、なおかつ空間の構成のために、化粧だけが目的の付加的部材は一切必要としないつくりかたにほかなりません。 

 しかし、東大寺再建以後、つまり鎌倉時代、大仏様が全面的に寺院建築で継承されたわけではありません。鎌倉時代はそれ以前の時代に比べ多くの建造物遺構が現存していますが(1980年代で、重要文化財建造物が約333棟、そのうち寺院157、神社53、石塔等123、住居の遺構はない)、その大半は先に紹介した秋篠寺や浄瑠璃寺と同じく、桔木を用いた二重屋根で、空間上部を化粧屋根・天井で覆い、化粧斗栱を付し、古代寺院を想起させる形体の建物です。

 たしかに東大寺再建の仕事を通じて世に広く示された貫で架構を固める方法は、寺社建築でも長押に代り徐々に使われるようになりますが、大仏様の重要な特徴であった架構=空間とするつくりかた:空間を架構だけでつくりあげる方法:を継承した事例は、皆無と言ってよいでしょう。 

 大仏様が全面的に継承されなかった理由は、一つには、架構=空間のつくりかたは、その実現に熟考を要するのに対して、化粧でいかようにも繕える野屋根によるつくりかた(いわば書割かきわりのつくりかた)は容易だったからと考えられます。以下に、鎌倉時代の特徴を示す寺院建築事例を挙げます。                   

 

 

大報恩寺 本堂 1227年(安貞元年)建立  所在 京都市上京区    

 

 全景 日本建築図集より

 平面図・断面 日本建築史図集より

 

   

  隅 部 見上げ    文化財建造物伝統技法集成より    内 陣          日本の美術198 鎌倉建築より

 大報恩寺は、京都市街に現存する最古の建造物。通称千本釈迦堂。密教系の寺院。

 一間四面堂に前庇を付加し、その四面にまた庇を設ける、という形を採っている。 四周庇部は、念仏を唱えながら巡るための場所という。部分的に引戸が使われている(後補?)。ここでの桔木(はねぎ)は、軒を支えるためのもの。

 東大寺再建後間もない頃の建設ではあるが、大仏様工法の影響は見られない。 

 下の断面図の頭貫(図の赤色部分)の継手および根太(黄色部分)の継手は、原理的には目違い付き相欠き(下図継手詳細)。 これらは、当時、常用される方法であったと考えられる。 赤丸部は、主たる梁上の小屋束を挟んで取付いている二重梁。断面図の次に分解図。束柱を優先。見えがかりを気にしないで済む野屋根ゆえにできる方策。

   桁行断面図

梁行断面図

  

 全般に貫の使用は見られない。柱~柱をつないで大引が入っているが、足固の意識は感じられない。組入れ天井上の屋根がさらに二重になっている。その理由は不詳。

 

 

                        根太の継手は大引上か。 目違い付き相欠き栓打ち。

 

 

棟木の継手は、下側の棟木。肘木を束柱上に設けることで、継ぎ位置を柱直上:芯に置ける。これは、古来の方法。 梁は、束柱の箇所だけ、束を挟み、他の箇所では、片側だけに通る。束柱を介しての継手と考えることができる。

桁行断面図・梁行断面図・継手詳細は、文化財建造物伝統技法集成より

 

 

蓮華王院本堂(三十三間堂) 1266年(文永3年)再建(創建1164年) 所在 京都市東山区

 三十三間四面の堂 二重屋根・桔木を駆使した典型的な例。 柱に繋梁を挿して取付ける、大引きを足固め扱いにするなど、大仏様の技法が部分的に使われている。

  平面図 

 

   桁行断面図 

 

梁行断面図

梁行断面図 正門部

  庇部(外陣)

 

 南東からの外観                 図面・写真:日本建築史基礎資料集成五仏堂Ⅱより

 

(「Ⅲ-2 大善寺」に続きます。)


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