(「Ⅲ-2 三十三間堂」より続きます。)
大善寺(だいぜんじ)本堂 1286年(弘安9年)建立 所在 山梨県 甲州市 勝沼
平面図
桁行・梁行断面図 建築史基礎資料集成七仏堂Ⅳより
床組伏図(文化財建造物伝統技法集成 より)
密教:真言宗の寺院。 鎌倉時代には、畿内だけではなく、全国各地域に密教系、禅宗系の寺院が建立されている。概して西国に多いが、大善寺は東国進出の一例。
基本的には、二重屋根でつくる平安期に多いいわゆる和様の建築であるが、床まわりに足固貫を入れてある点に、大仏様の影響がうかがわれる。四周の軸部の横材は、足固貫、長押、頭貫で構成。 ただ、長押は床位置の切目長押(きりめなげし)は四周全部、内法位置の内法長押は開口部上のみで、古代の方式にならっている(56頁、新薬師寺本堂参照)。 なお、足固貫は、外周だけ四周に入れ、内部では梁行方向だけ入れ、桁行は根太が代行している(上図床組伏図参照)。
鎌倉時代の仏堂には、内法長押を用いず、頭貫の下に飛貫を通す大仏様の方式にならう事例もあるが、数は少ない(次 元興寺参照)。
元興寺(がんごうじ) 極楽坊(ごくらくぼう) 本堂および禅室 1244年(寛元2年)再建 所在 奈良市 中院町
外観 日本建築史基礎資料集成 七 仏堂Ⅳ より 詳細 長押に代り飛貫を仕込む。日本の美術198 鎌倉建築 より
飛鳥時代に蘇我氏により飛鳥に創立、平城京遷都に際し移設された寺院。 後に僧房を残し消滅。 鎌倉時代初期、本堂と禅室に分離され、さらに1244年(寛元2年)現状の姿に改修。 長押に代り飛貫を入れ、頭貫の端部は、大仏様風。
左:禅室 右:本堂 平面図 日本建築史図集より
明王院(みょうおういん)本堂 1321年(元応3年)建立 所在 広島県福山市草戸町
真言宗の寺院。 頭貫の一段下に飛貫を入れ、長押はない。足固貫も採用。 大仏様の技法と、禅宗様の意匠が見られる。
桁行断面図
梁行断面図
平面図
外観 頭貫の下に見える横材は飛貫
図・写真は、日本建築史基礎資料集成 七 仏堂Ⅳ より
鎌倉時代の寺院建築では、大仏様の技法は局部的に用いられるが、架構の造成をもって空間とするつくりかたは、まったくみられない。
以上のいわゆる和様の寺院建築のほかに、鎌倉時代には、中国から移入されたとしか考えられない建築様式があります。禅宗とともに入ってきたいわゆる禅宗様の建築です。
禅宗様の建築は、その装飾的な形式に特徴があり、明らかにわが国の建築にはなかった形です。ただ、禅宗様の建築も基本的には貫工法ですが、工法・技法の面で他の建物に大きな影響を与えたわけではなく、禅宗寺院にのみ用いられたと言ってよいでしょう。
なお、現存する禅宗様の建物で鎌倉時代につくられたものは少なく、禅宗様の代表とされる円覚寺舎利殿も15世紀初め:室町期の建設です。
禅宗様の建築は大仏様とはちがい、下の写真のように、中国にそのモデルが存在します。
浙江省 延福寺大殿 1324~1327 図像中国建築史より 円覚寺 舎利殿 15世紀前半 日本建築史図集より
禅宗が武士階級に好まれた結果、禅宗様の寺院は鎌倉幕府の所在地である鎌倉だけではなく、京都にも建てられます。そのうち、京都五山(きょうとござん)と呼ばれた臨済宗の天竜寺、相国寺、建仁寺、万寿寺そして東福寺には、壮大な伽藍が建立されます。下はその一つ京都の南部、宇治の近くにある東福寺の三門と禅堂の外観および三門の断面図です。
三門正面
禅堂 写真は日本建築史図集より
断面図 文化財建造物伝統技法集成より
三門の架構は大仏様に類似しているが、柱に割裂が生じていることが解体修理時に判明した。これは、浄土建寺 浄土堂、東大寺 南大門の架構に比べ、貫、挿肘木の間隔が近接しているためである(69頁~86頁を比較参照)。
各層の小屋組を二重にしていることから見て、貫、挿肘木も、構造よりも意匠に重点が置かれ、それゆえ、割裂の危険性への配慮が欠けたものと考えられる。