1983年度「筑波通信 №1」 1983年4月
ひとそれぞれ・・・・それぞれのストーリー・・・・
会話の場面
「おはよう」
「おはよ・・・・、あら、どうしたのその顔?」
「ううん、なんでもない、虫にさされただけよ」
・・・・・・
妙な書きだしで恐縮である。ラジオの番組に「ことばの十字路」というのがある。聞くともなくそれを聞いていたとき、こんな会話が耳にとびこんできた。それも、何回も同じことをくりかえすのである。実は、声優の加藤道子さんが、この同じ台詞を、司会者が指示する場面設定に応じて、その場面での微妙なニュアンスを合んで読み分ける、そういういわば実験を試みていたのである。一つの場面は、まったく単純な、家庭のなかでの朝の一場面としての娘と母の会話、もう一つは、そういう平凡な日々の状景ではなく、ある事件の発端となる場面での娘と母の会話、これがその読み分けにあたっての注文であった。しかも、いまここに記したようなシナリオの一部としての場合と、話しことばの間につなぎの文が入る小説の一部を朗読する場合の二通りについてそれぞれを読み分けていたから、都合四通りの読みかたが試みられたことになる。
それはもう実に見事であった。それぞれの場面が、ありありと目の前に浮んでくるのである。もちろん、司会者が設定した場面の説明をあらかじめ私は聞いているわけだから、その思い入れによる聞き分けが働いていないわけではないけれども、明らかに読みかた(しゃべりかた)の違いによって、思い浮べる場面が違ってくるのである。
要は、文字に書きかえてしまうと全く同じ文章になってしまう会話も、その会話が交わされている場面によって、しゃべりかた・話しかたが違っていること、日常では私たちは(なにも声優だけでなく)極く自然にそのように同じことばを使い分け(話し分け)ているということ、そしてまた、私たちが文字に書かれた文章を読むときでさえ、私たちは単にそこに書かれている語句の文字どおりの意味内容だけを読みとっているのではなく、その文章が書き示そうとしている状況あるいは書き手の状況を頭に描くといういわば補完作業を同時に行いつつ、その文章の言わんとすることを限定・判定しているのだということ、こういったことを実験で示してくれたわけである。
たしかに、私たちの日常の会話の場面を考えてみれば、私たちはその場の状況や、相手の目・身ぶり手ぶりなどまでをも読んで話を交わしているのであって、決してことばそのものだけにたよっているのではないことが直ちに分ってくる。だからこそ、そういう言外のことを全て、耳にすることばを基に補わなければならない電話による会話が難しく、そしてときにはもどかしくさえなるのである。
ときおり聞くだけなのだが、この「ことばの十字路」という番組は、わずか十五分にしてはなかなか面白い。特に今回、その最後に加藤道子さんが語ったことも、これは聞き捨てにできないものであった。司会者が、声優としてのこういう会話の読み分けのこつや苦労などについて尋ねたのに対して、彼女は大略次のように答えたのである。その場面に応じた話しかた・しゃべりかたをすることは、その場面に自分を置いてみればよいのだから、それはそれほど難しくはない。難しいのは、それがどういう場面であるかの判断が直ちにできるかどうかにかかっている。いまここで読み分けた例は難しかった。なぜなら、たった三行の会話部分だけを読まされるのでは、たとえそれが娘と母の会話であることが示され、場面の状況を説明されても、それでその場面がよく分ったわけではない。これが小説やシナリオの一場面ならば、その場面に到るまでの間に、既に、どういう娘と母なのか、どういう状況なのか・・・・などが十分に判ってしまっているから、容易にその場面を我がものとすることができる。しかし、たった三行だけだと、そのほかは全て自分でストーリーを想定するしかないし、第一、この娘と母の関係にしても、ただ一般的な娘と母の関係が分っているなどという分りかたでは到底リアルな場面には行きつけず、その点についてもある仮定をしてみることになる。そういう意味で、不確定な要素が多すぎ、従って役になりきれず、いま一つリアリティに欠けてしまうから、ここでいま試みた読み分けは決してよい出来だったとは思えない、と。(ここでいま私が文章化した彼女のことばも、実際の話しことばではもう少し要領のよい話しかたであって、書きことばで彼女の言わんとすることを極力伝えたいために、いろいろと語間を私が補ったのである。)
会話の場面では、私たちはある状況を共有しつつ話をすすめているから、わざわざその状況を説明する要がないのだが、書くとなると、この省いたところの状況の説明をまずしなければならないのである。
旅での場面
旅をしている私たちが、とある町に降りたったとしてみよう。その町が初めての町であればなおよい。私たちは、目に入り、そして初めて経験するその町でのものごと、できごとを、それこそもの珍らしげに見、また味わうだろう。そして、そのときの感想やら想いが、その町についてのいわゆる第一印象をかたちづくってしまう。この町への訪問が、そのとき一回限りで終ってしまえば、おそらく、私たちのその町についての理解というものは、この第一印象によりかかったかたちでつくられてしまい、その後いわば永久にその理解がその町に対して語られてしまうことになるだろう。
ところで、この第一印象、すなわち私たちが目にし経験するものごと・できごとに対しての私たちの(初めの)感想や想いというのが、ただ単純にそのものごと・できごと(の側の責任)に拠ってひき起こされたものなのであるかというと、そうではない。そのときの私たちの視点如何によってそれは左右されると言った方が、むしろ、あたっている。私たちは、そのときまでの(そしてそれからあとの)私たち自らの経験の一部・一場面として、そのとき私たちの目の前にあるものごと・できごとを扱っているからである。いま私たちが目の前にしているものは、通常では、私たち自身の係わるストーリーの一部としてしか、私たちには見えてこないということである。しかしこれは、考えてみればあたりまえなのであって、私たちのストーリーの一部として(とりあえず)扱ってみる以外に、それに対処し、それを位置づける手だてが他にないのである。
そしてこれが、単に、素通りの一観光客の感想にとどまる限りではとりたてての問題にもならないかもしれないが、しかし、もしも話がそれを越えて進むようならば、問題が起きてくる。すなわち、私たちにその町について理解する必要が生じ、それに対して、一見の客にすぎなかった私たちの印象に拠ってのみそれが語られるとき、つまり、私たちの印象はあくまでも私たちのストーリーの一部でしかないという事実が忘れ去られ、あたかもそれが(万人共通の)普遍的なストーリーの一部であるかのように扱われるとき、そこに大きな問題が生じてくるのである。
ある町を初めて訪れた私たちの目の前にあるものごと・できごとは、当然その町の人たちの目にもとらえられているだろう。だが、彼らのとらえかたは、これも当然のことながら、私たちのそれと同じではなく、あくまでも彼らのストーリーの一部としてのそれであるはずである。だから、私たちが私たちのストーリーの展開の一局面としていま新たにつけ加えようとしているその町のものごと・できごとは、その町の人たちのストーリーから見れば、その長編のほんの一部、三行はおろか一行にも満たないわずかな部分でしかないのである。もしもこのことを忘れて、その町のものごと・できごとを、私たちの側の視点のみで(あたかもそれが唯一絶対かの如くに思いこみ)推し測るならば、そこでは、ことによれば「ものごと・できごと」の理解はできるかもしれないが、決して「その町のものごと・できごと」についての正当な理解が生まれるわけがなく、むしろ、回復不能に近い誤解と不信の種がまかれてしまうという大問題が生じてくるのである。
場面とストーリー
もう一つ別な事例を考えてみよう。
三月は入学試験の季節である。受験生ならずともうっとおしい季節である。人が人を右か左かにふるい分けるというのだから、はなはだうっとおしいのである。私の係わっている分野の入試は、いわゆるペーパーテストの点の高低に拠った選別ではなく、いわばそれ向きの資質があるかどうかを見ることになるから容易ではなく、判断に迷う場面も少なくない。それをもおして選別してしまうのであるから、入試が終ったあと、淡い悔恨の情を抱かない人はないと言ってまずまちがいないだろう。ほんとに適切な判断だったろうか、と。(妙な話だが、そのとき抱く感懐は、私の場合、設計した建物が建ってしまったときのそれに似ている。)
考えてみると、入学試験というのは、「試験」というものを通してたまたま表われ見えた(受験生ひとりひとりのストーリーのなかの)たった三行をもって、受験生を判定する作業であると言うことができる。どのようにしてみたところで、つまるところ私たちにできることは、そのたった三行を見ることだけである。従って問題は、そのたった三行で何を見るかということにかかってくる。もしも、その三行だけが受験生の全てを表わしているなどと思ってしまったら、これはとんでもないことなのだ。私たちは、その三行を基にして、言うならば彼の来しかた行く末のストーリーを思い描いて、この大学に向いているかどうかの判断をする破目になる。それゆえ、受験生にどういう三行を表わしてもらったらよいかが試験問題作成上の大問題となってくるわけである。
これもこの間放送で聞いたある医者のことばであるが、それによると、いわゆる名医と言われている医者は、患者が診察室へ入ってきた瞬間に一切を察知するのだそうである。つまり、そこへ入ってきた患者の挙動・表情その他そこで患者が示している現象(これはあくまでもたった三行であるにすぎないはずなのであるが)から、単にその現象を知るのではなく(たった三行だけを知るのではなく)それをあらしめているストーリーを見ぬいてしまうということである。病状というある限られた場面に係わるからではあろうが、彼はそれに係わるいわば普遍的なストーリーと、その一環としての三行について、十分に分ってしまっているのである。だから、彼に診てもらう患者は、検査づけ、薬づけの目にあうことがない。名医の行う検査は、彼の察知したことの確認の意味しかもたないから、必要最小限の検査しかしないのである。しかしこれが、三行しか見えない医者になると、話がまったく逆になる。彼には三行だけが見えてストーリーは見えていないから、ストーリーを確定するためにやたらと検査をすることになる。彼は、大量の検査結果のなかから、やっとストーリーを見つけだすのであって、そういう意味では、彼は患者を診ているのではなく、検査結果を診ているわけである。患者は目の前にいるのであるが、彼は検査の向う側に患者を見ているわけである。近代医療は、ことによるとそれを(それこそが科学的であるとして)目ざしてきたのであるのかもしれない。
いわゆる学カテストにのみ拠る入学試験は、この近代的医療における検査に似て、受験者をその検査の向う側に置き、更に悪いことに受験者本人が絶対に見えてこない。なるほどその検査結果も受験者の一面であることはたしかではあるけれども、その結果からいかなるストーリーが読めるのかとなると、皆目見当もつかない。少なくとも、それ向きの資質があるかどうかはその結果だけからは読めないというのはたしかなことである。というより、大学で学ぼうとする人たちのストーリーの確認のための検査という目的がないままの検査:学カテストになってしまっているわけなのだから、そうなるのもあたりまえなのである。もちろん一定の学力が必要なことは認めないわけではない。しかし、私の係わる分野では共通一次試験の結果に加えて論述、口述・面接を加えているのだが、後者により私たちが得る判断は、必らずしも前者の学カテストの結果とは比例していないという事実は注目してよいことだと思う。論述や口述では、本人がはっきりと目の前に出てきてしまい、本人の意向・意志・意欲は、もちろん百%とは言えないけれども、確認することができるのである。私たちは彼がまとめた自分の考えを読み、わずかな時間ではあるが彼と話をし、その三行をもとにしていわば行間すなわち彼なる人物の全容:ストーリーを読むわけである。なかなか名医にはなれないが、しかし、共通一次の点が少々悪かったので偏差値の都合で芸術系の大学なら入ると指導されてきたような受験生は、たちまちにして見破られてしまう(大学で学ぶ目的をはっきり自分のことばとして言えないのである。大抵の場合、そういう彼は、これも多分そう言うように指導されたに違いない他人のことばをしゃべる)。論述・口述は、まともにつきあうと非常にくたびれるけれども、しかしいまのような受験産業専横の時代:偏差値信仰尊大な風潮に対抗するためには、論述・口述だけとは限らないにしても、いずれにしろ本人のストーリーを確認する手だてを講じるようにしようというのが、心ある同僚だちとよく話すことである。私の係わるところでこのような方法がとれるのは、受験者の人数が少ないからで、人によると受験者数が多いところでは効率の面で不可能であると言われてしまいそうだが、言うまでもなく、入学試験というのはただ早く効率的に選別できればよいというものではない。因みに、先日見たTVの報ずるところによれば、かのハーバード大学の入学者選定は学カテストには拠らず(実施しないのだという)志望者ひとりひとりに対しての面接を含む数ヶ月かけての調査に拠るのだそうである。もちろんこれが成立するためには、志望者はもとより、大学の側にもはっきりとした意向・意思・意欲が要求されることは言うまでもない。
ものごとの判断
さきほど私は、近代的な医療は、近代的であり科学的であろうとして、検査結果という客観的諸データの向う側に患者を押しやってしまっているのではないか、と書いた。
しかし、こういう風潮はなにも医療だけに限らず、いまやあらゆる局面で似たような傾向が表われているのではないだろうか。考えるべき対象を、いくつかの要素に分け要素ごとのデータの群と化す要素分析主義・客観データ主義が、合理主義の名の下に、あたかもそうすることだけが唯一科学的であるかの如くに思いこまれて、いたるところで横行しているように私には思えてならないのである。診察室に入ってきた患者を一目見て彼の状態を察知してしまうようなさきほどの名医は、良く言って名人芸、悪く言うと主観的判断に拠りすぎ客観的裏づけがなさすぎるとして、いま通常では歓迎されないだろう。入学試験における論述・口述試験も、いまもって、その判断に試験官の主観が入り客観性に欠けるとして疑問に思う人が少なくないらしい。
だが、およそ人間が下す判断で、主観によらない判断というものがあるだろうか。判断するという行為の場面を考えるならば、診察室に入ってきた患者を一目見て判断することも、諸データを多種多様に収集した後におもむろに下す判断も、つまるところは主観によるものであることには変りはないのである。だから、諸データがある方が、あるいは諸データの量が多い方が客観的であると単純に思いこむことは、言って見れば迷信に近いことなのだ。諸データが自動的にある判断を示してくれるわけではないからである。かの名医とて、いいかげんにやまかんで判断をしているわけではもちろんなく、患者に見られるある状況を目にしてそのような状況を示すに到る過程:ストーリーをいくつか思い描き、そのなかから当の患者の状況にもっとも妥当と思われるストーリーを比定しているわけで、彼にとっては、諸データは既に言わば消化されているのである。おそらくそれは、彼の体験により培われたものであろうが、しかしそれは単に経験年数に比例しているわけではなく、彼が常にある現象を見てそれをあらしめるであろうストーリーを見るべくつとめてきたか否かにこそ拠るのだと言うべきだろう。
逆に言えば、仮に諸データがいくら多量に集まろうが、それらデータをしからしむるストーリーの見通しがたたない限り、それらデータは言わば死語に等しいのである。しかも、そもそもこのストーリーというものは、そういったデータ化された諸要素を、それだけをつぎはぎして語られ得るものではなく、必らず諸要素の間のデータ化されていない言わば空白部分を補い埋めるという作業が必要なのであり、それは見る気がなければ(すなわち、ある見通しがなければ)決して埋められない。第一、「対象をいくつかの要素に分析してみる」ということ自体、それらの要素が言わば天から降ってきたかの如くあらかじめ存在していたわけではなく、「この対象はこれこれの要素の組み立てとして見ることができはしまいか」というある見通しの下の試みにすぎず、従ってその見通しは、あくまでも、そう見通した人の主観に拠らざるを得ないのである。なぜ彼がそのような見通しをたてたのかと言えば、もちろんどこかでそういう見通しを拾ってきたわけではなく、彼のうちに、その対象に係わる事象・現象の(部分ではなく)全体を不都合なく説明して見ようという気があったからである。そして、つまるところ、その気がなければ、見えるのはばらばらの事象・現象だけであって、ことの本質すなわちその事象・現象をあらしめているストーリーは絶対に見えてこない。名医の卵にもなり得ない。
そして、もしもこの彼の主観に拠る彼の見通しが(少なくいまのところ)その対象に係わる事象・現象を全体として不都合なく説明していると思われたとき、その彼の見通しは(少なくともいまのところ)客観性のあるものとして扱われるのである。端的に言えば、生き生きとした現実に対して、その見通しが、それを損なうことなく対応している、生き写しである、との保証が(少なくともいまのところ)あるということだ。
「客観」ということは、本来、このように一度必らず(それぞれの人の)主観を経過した、その向う側に初めて見えてくるものなのであって、決して(いまとかく思いこまれているように)主観と言わば対立した、主観の外側に存在するものではないし、そしてまた(これもいまとかく思いこまれているように)固定的にして絶対的なものではなく、あくまでも相対的なものでしかないのである。かの名医をして名医たらしめたのは、なにも彼が天才であったからではない。彼が常に(彼の主観に拠る)見通しをもち、そしてその見通しを常に彼の目の前の生き生きとした現実にぶつけてみる、そして見通しを描き改める、そういう(考えてみればあたりまえの)体験をし続けてきたからなのである。常に生き生きとした現実を直視し、しかしそれにおぼれることなく、常に本質へ迫るべく見通しをたて、しかしそれを固定化し絶対視することがないゆえに、逆に彼は、その彼の主観の向うに客観的なるものを見透すことができるようになったのである。要は、彼には、その気があるからなのだ。考えてみれば、大学の入学試験というのは、それぞれの分野でそれなりのその気をもとうとする気のある人たちを探すことなのではないだろうか。その意味では、学カテストの点がそれに応えているとは言い難い。
ストーリーを知ろう
だが実際にはいま、ここで記したような主観と客観の本来の関係はまったく誤解され、ある固定的、絶対的な客観というものが私たちとは別の世界に存在しているかのように、山に入って宝物でも探すように、探しまわる。それはむしろ、あてもなく、と言ってよいだろう。いつかは本命にぶちあたるとでも思うのか、あるいはそれらの群こそが本命をかたちづくるとでも思うのか、目に見えるもの、かたちをなしてとらえられるもの、すなわち数値化してとらえられるものが、それこそが、それだけが客観的なるものだとの思いこみのなかで、収集される。目に見えず、かたちをなさず、従って数値化できないものは、むしろ非合理のものとしてその存在を認められず、認められても不確定で客観的でないとして捨て去られる。さきに私が要素分析主義・客観データ主義と称したのは、こういう傾向を指したのだ。この傾向は一部の人だけではなく、多かれ少なかれ、ほとんどの人に見られるのではなかろうか。みながみな、「裸の王様」を目の前にしていても、データがないと、「裸の王様」と言わなくなってしまっている。逆に、データがあると、見えないものまで見えた気になる。そこに、全ての真実は、目の前にしているものにではなく、データの上にあるかの迷信が誕生する。それは更に、人をしてデータ集めに狂奔させる。悪循環である。と同時に、ますます、生き生きとした現実はデータのかげにかくれてしまう。データの群こそ現実かのようにさえ思われだす。たとえば、学カテストの偏差値がその人の能力の全てを表わしているかの、とてつもない誤解が正々堂々とまかり通り、文句も言えず、言わなくなる。生き生きとした人それぞれは、たった一片のデータのかげで、窒息しかかる。
いったい、たった一片の、言いかえればたった三行の断片の文章で、しかもその字面だけによって、小説を読んだとする人がどこにいるだろうか。私たちは、小説を一通り読むことに拠って、その三行の意味を逆に知るのではなかったか。私たちに必要なのは、なにごとによらず、ストーリーを知ることであって、三行だけを知ることではない。ただ、私たちが現実に出会う場面は、できあがったある一つの小説の場面ではない。私たちそれぞれが、言わばそれぞれの小説をもっていて、ある同一と思われる場面も、それぞれの小説ではそれぞれ独自の場面に位置づけられるのだ。従って、私たちの出会う場面はいかにしたところでたった三行なのだが、それを理解しようとしてその三行だけをもって処することはもちろん、私の小説を押しつけることも、本来、できないのであり、どうしてもそこで、他の人の小説・ストーリーの存在を認め、またそのストーリーそのものをも推し測り、思い量るという作業が必要になる。そして、この作業はあくまでも私たち個々の主観に委ねられているのであり、他からは与えられるものではなく、また、それこそが真の意味でのコミュニケーションの根になければならないのではなかろうか。
そして、この互いの主観を通しての作業の果てに、これまた真の意味での「客観的なるもの」の姿が見えてくるはずなのである。
あとがき
〇私がいま週に一度通っている工事現場を、たまたま訪れた人がいた。彼は、とても信じられないという口調で、現場監督がなってないときめつけた。場内の整理がなってないというのである。私はまた、それを聞いて、とても信じられないと思った。なぜなら、私自身は整理がなってないとは思っていなかったからである。たしかにその日、現場は見た目には乱雑に見えたはずである。というのも、その前日のかなり夜おそくまで、現場はコンクリートの打設で戦場のような忙しさであり、そのあとかたづけが未だに終っていなかったからである。つまり、私には整理まえの(あとかたづけまえの)乱雑として、彼には整理をさばった乱雑として、見えたということなのだ。
もし彼が、その翌日この現場を訪れたなら、彼はきっと、まったく逆の感想を述べたにちがいあるまい。こう考えてみると、彼がもらした感想が、仮に事実にあっていたからといって、それをそのまま受けとってしまうのもまことに危険なはなしだということになる。なぜなら、それはたまたま事実にあっていたという可能性の方が強いからである。私は、なぜいま乱雑であるかを説明するのに(つまりストーリーを説明するのに)苦労した。ものごとが「分る」ということは難しいことだと思った。
〇私のところの大学院修士課程の講義には、社会のそれぞれの場面で活躍されている方に語ってもらう番組が組んである。いわゆる非常勤講師というかたちでお願いするのである。非常動講師をお願いするにあたって、当人の資格審査というのが行われる。履歴書と業績目録なるものの提出が求められる。昨年、ある町の行政マンを講師として申請したところ、だめだと判断されてしまった。業績がないからだという。私が彼を申請したのは、彼に、その町の各種の計画を実行に移した業績があるからだったのであるが、だめなのだという。なぜなら、彼が、その業績を論文等のかたちで世に発表していないからなのだという。私はいささかどころか大いにあきれかえり、数ヶ月にわたってかみついた。行政なるものの実績は、一々ペーパーで発表するものではなくそれはその町のなかに蓄積されるものである。こういうと、その蓄積が、いかに秀れたものであるかというなんらかの客観的データか、だれか有名な人のおすみつきがあるか、という。私が彼に語ってもらいたかったことは、その蓄積そのものではなく、そこへ到らしめた活動の課程についてであったのだが、あいにくそれはある定型をもったものでなく、つまり目には見えない類のものだ。数値化されたデータになるわけがない。まして有名な人たちなど、彼がなにをしてきたかなど、知るよしもなければその気もないのだから、おすみつきなどというものもあるわけがない。それよりもなによりも、行政マンというのは、名前をふりかざして表にしゃしゃりでるものではない。こういくら説明しても、まったく分ってもらえず、いまも闘争継続中。その人の履歴とは、本来の意味では、その人のストーリーに他ならず、つまり何をどうしてきたかを示すものなのだと、私は思うのだけれども、どうやら一般には、そこに書きこまれる字句そのものにのみ意味があるらしい。論文があるかどうか、その数がどのくらいあるかだけが問われ、それになんの意味があるかは問われないらしい。勲章の量がものを言うのは、なにも軍隊だけではないようである。
〇ふとしたきっかけで(ことによると思いつきにすぎなかったのかもしれないが)このような毎月通信をはじめてしまって、あっという間に二年間がすぎてしまった。なぜこのような言わばばかげたことをはじめてしまったのかと思う一方、もっと昔からやっておけばよかったとも思う、複雑な気持ちでいる。前者の気持ちは、自分のなかにおさめておいたってよいものを、なぜ他人までまきぞえにしなければならないのか(つまりなぜ他人に読んでもらおうなどと大それた気になるのか)ということに根ざした気持ちである。やはり自己顕示欲の一変形なのではなかろうか、などといろいろ考えてときおり自己嫌悪にもおちいりかねないから、あるところから先は深く考えないことにしている。もっと昔からやっておけばよかったという後者の気持ちは、人に読んでもらうかどうかとは別のところから来る思いで、要は、毎月いろいろ書いてみて、随分と学習もせずに長い時間すごしてきたものだということにあらためて気づいた言わば後悔の念に根ざすものだ。
〇いろいろと書いてみて、「これはこうなんだ」とかねて思っていたことも、いざそれを文章にしてみようと思うと(つまり、文章で説明しようとすると)そのかねて思っていたことが、実はあちこち穴だらけであったということに気づき、そんなに簡単には文章にならないということを、いやというほど味わった。「これはこうなんだ」と思いこんだあと、それをつめるという作業をもう長い間やってこなかった、ということにあらためて気づき、もっと昔から文章にしてみる、その思いを書いてみる、ことをしておくべきであったと思うのである。私の文章のなかに、「ふと考えると」「考えてみると」「そうなのだ、これはこういうことなのだ」的な書きかたが多発するけれども、これはほんとうに文章を書いているうちに「ふと考え」「そうだ、これはこういうことなのだ」と思い到ったそのままを書いているのである。ほんとうはこういう所は舞台裏にしまっておくべきなのかもしれないけれども、なにせぶっつけで書いているからこうなるのである。そしてそれは、もっと昔からやっておくべきだった。
〇もっとも、私のなかでは一方で、舞台裏をかくしてまとまったことだけを書くよりも、具体的な事象・現象を目の前に置いて、そこから思いを右往左往しながら展開するのも、かえってわるくない、とも思っている。場面を共有することを通じて、ことが観念的に走るのがふせげるのではないかと思うからである。
〇私がここに書き記していることは、具体的な事象・現象を目の前にしての、言わばメモのようなものである。こういうメモは大分昔、学生のころ、一度は書きつけたこともあった。それをやめて、随分と久しかった。その当時のそれといまやっていることの根本的なちがいはなにかというと、当時のそれはまったく個人的なおぼえ書であって全てそれは自分のなかで処理すればよかったのであるが、いまやっていることは人に読まれてしまうという条件が一つ決定的に加わるから、単なる思いつきのメモでは済まず、極力つめてみなければならないという状況に、私自身がおかれているという点にある。人が読むのだから呼んで意の通る文章にしたてなければならない。そうすればするほど、埋めなければならない穴がいっぱい見えてきて、尽きるところがない。そういう意味では、この二年間、ほんとうによく学習させてもらったと思う。もっともそれは、人に読んでもらうということに拠っているわけだから、はなはだ虫のいいはなしなのだが。
〇そして、虫のいいはなしだと思いつつも、ことしもまた続けてみようと思う。これも虫のいい話だけれども、ご意見、ご異見があったら、是非問い詰めていただきたい。
〇それぞれのご活躍を祈る。
1983・3・29 下山 眞司