PDF 「日本の木造建築工法の展開第Ⅳ章ー3-A3,4」A4版8頁
A-3.広瀬家住宅 17世紀後半 旧所在 山梨県 塩山市 上萩原 現在 日本民家園(川崎市 生田緑地内)
修理前の南面
修理前の間取り(平面図) 写真・間取り図共に日本建築史基礎資料集成 二十一 民家 より
屋根の一部を突き上げて中二階を設け蚕室にしていた(突き上げ屋根)。突き上げ屋根の建屋は、この地域の特色。
甲府盆地の東北部、笛吹川沿いの丘陵地、勝沼、塩山周辺には、茅葺の切妻屋根の農家が多い。一帯は養蚕が盛んな頃は桑畑、現在はブドウ畑になっている。
復元平面図
出入口は大戸口一箇所のみ。四周は土塗り真壁で囲われている。いどこは土間に直接莚(むしろ)が敷かれていた。ざしき、なかなんど、おくなんどは、大引を転がし根太を掛け板張り。 そのため、床高は低い。
復元桁行断面図 平面・断面図共に日本建築基礎資料集成二十一民家より転載・編集
黄色に塗った柱が構造的には主要な柱:上屋柱。丈が高く、中途に差物が入る。 ただ、東妻面と、いどことなかなんど境では、中間に柱が立ち、ともに棟まで達する棟持柱となる(橙色の柱)。
一般には西妻面も棟持柱とするが、広瀬家では次写真のようになかなんど~ざしき境の柱となかなんど~おくなんど境の柱を結ぶ差物上の束柱で受けている(西妻面写真参照)。
木材材種:大半がクリ、 側柱 径:見付3寸~5寸 不整形、 上屋柱 径:約5寸~8.5寸角 不整形 、いずれも土台はない。
仕口 上屋柱~梁:折置 繋梁~側柱:折置 繋梁~上屋柱:枘差し鼻栓 中途梁・差物~柱:同上
註 旧所在地では、東面していたが、民家園に移築の際、南面に変更。ここでは、移築後の方位で記している。
南面 日本の美術№287より
軒がきわめて低い。 土塗り壁は、貫に縦小舞をからげ、横小舞を添えて塗っている。 壁の下部は、柱間に地覆を渡して収める。必要に応じ下地窓を設けている。
西妻面 差物上に棟持束柱 日本建築基礎資料集成二十一民家より
南~東面 東面中央の柱が棟持柱 日本の美術№287より
いどこ~ざしきを見る 内部写真は日本建築基礎資料集成二十一民家より
どぢ~うまや 上屋柱間に差物。棟通りの束を立てる桁を受ける。
復元梁行断面図 日本建築基礎資料集成二十一民家より転載・編集
橙色を塗った柱は、いどこ~なかなんど境の棟持柱(平面図に対応)
この架構には継手はなく、柱と横材は、すべて仕口(枘差し鼻栓、渡り腮)で組立てられている。いずれも手の込んだ細工を必要としないが強度的には確実な仕口である。
外見は一見素朴・稚拙に見えるが、架構の構想は、使用材料のクセを勘案しつつ、立体として緻密に練られている。 たとえば、下図梁行断面図に見られる棟持柱への梁の取付け位置の段差や、差物(鴨居)と繋梁の段差などは巧みである。
参考 高野家(甘草かんぞう屋敷) 18世紀後半 所在 山梨県 甲州市 塩山
南面全景 中央線塩山駅前にある。 日本の美術№287より
甲府盆地の東北、塩山、勝沼周辺には、棟持柱を多用した切妻屋根で、一部屋根を突き上げ、中2階あるいは3階を設ける事例を多く見かける。先の広瀬家は、その原型。
日本建築史基礎資料集成 二十一 民家 より転載・編集
当初は茅葺が主だが、明治以降、瓦葺に変わる(茅葺の改築によるものと新築の双方がある)。いずれも、江戸時代後期以来この地方で盛んになった養蚕にともなうもので、中2階以上は蚕室に使われた。
この高野家は、有数の甘草栽培農家で、中2階以上は、養蚕ではなく甘草の乾燥場として使われた。甘草屋敷の名は、そのためである。
建物は3階建て、平面図の〇印を付けた柱は棟持柱。 土間に立つ太い柱は3階床までの柱で、先端の二股部で桁を受けている(次写真参照)。 棟持柱の南北両側に梁を設け、側の管柱で受ける構造形式。
東妻面 日本の民家2 農家Ⅱより
棟持柱から両側に梁が飛び、管柱で受ける。 各層の梁~梁の横材は貫。 近在には屋根を二階までとして、バルコニーを設ける例もある(瓦葺に多い)。
3階内部 滅びゆく民家より
棟持柱の四方に梁・桁が差される。 斜材は、架構の桁行方向の歪み直しに入れられたもので、突っ張り棒と呼ぶ方が適切だろう。
2階内部 日本の美術№287より
自然の二股で3階床の梁・桁を受けている。
(「第Ⅳ章ー3-A4高野家」に続きます。)