(第Ⅳ章ー3-A3より続きます。)
A-4.富沢家 1790年(寛政2年)頃 所在 群馬県 中之条町 大道
榛名山の北側の町、中之条から、三国街道(国道17号)湯宿へと抜ける街道の大道峠の手前に位置する標高約650mの新開の農村で、養蚕が主な生業であった地域。
富沢家は、新開の頃から当地に住みつき、運送業も営み(うまやが4房あるのはそのため)、享保頃以降は名主を務めている。
南側全景 日本の美術287より
2階平面図
1階平面図
桁行断面図 平面図・断面図共に日本の民家1農家Ⅰより 数字は編集
梁行約7間の入母屋屋根の南面を切り上げてできる2階のほぼ全面を蚕室に使った(梁行断面図参照)。2階の高さはきわめて高い。
使用材種 土台:クリ(外周部のみ) 柱:土間まわり クリ 座敷まわり スギ 梁:クリ、マツ 桁 :マツ、スギ、カエデ 又首:マツ
材寸:矩計図参照 土台:120×133(4寸弱×4.4寸) 柱:座敷まわり 4.3寸角 土間まわり 7~8寸角(推定)
梁行断面図 上:居室部分 下:土間部分
矩計図(座敷部分) 断面図・矩計図共に日本の民家1農家Ⅰより
間仕切部の柱は礎石建て、外周の柱は土台に立つ。
土間から居室部を見る 日本の民家1農家Ⅰより
註 図に付した番付は説明用で、実際の番付ではない。 平面図・断面図は日本の民家1農家Ⅰより転載・編集
平面図の赤丸を付した柱は2階小屋梁までの通し柱。
上掲写真の土間中央右の柱は二・ほの通し柱。 この柱に上下2段の梁が差口で納まる。上段の梁は根太を受ける。
「五・ほ」の柱は管柱で、頂部の桁に、上段の梁が載り、そのまま伸びて出梁となる(下写真参照)。下段の梁は、五・ほの柱に差口で納まる。
この上下2段の梁は、写真・梁行断面図のように、桁行方向三、四通りでは~と間の梁を挟み、に、へ通りでは、この梁上に根太受けの梁が架かり、これも出梁となる。したがって、土間の上部は、格子状に梁が組まれていることになる。
日本の民家1農家Ⅰより
桁行方向の東端では、は通りの通し柱に2階床桁を差口で納め(上右の写真)、小屋の束立組の又首を受ける台の載る桁は、さらに伸びてうまや上の束柱で支える。 うまや部分の2階床は、他より一段低く、は通りの差物(飛貫)レベルに設けられ、飼料の倉庫に使われた。
ざしき~おくり 梁行断面図
ざしき 西~北 天井の桁は四通り カラー写真は日本の民家1農家Ⅰより
なかのでい 桁行断面図
なかのでい~上段
2階 キープラン
2階内部 視点Aから
2階の三通りは、又首を受ける陸梁の北端の通りで、貫で縫われた柱が並ぶ。写真Aの囲いの箇所はざしきの囲炉裏の上部にあたる。蚕室を暖めるため。
2階内部 視点Bから 日本の民家1 農家Ⅰより
主部は簡単な仕口だけで緻密に計画されている。