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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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この国を・・・・23:グローバル(化)

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憲法記念日。
昨日今日の雨で、一気に柿の若葉が繁りました。



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昨今、日本の大学の新学期を九月開始にしよう、という動きがあるそうです。
四月新学期では、グローバル化に適切でない、《国際標準》に合わない。
その理由は、《国際標準》に合わせないとよい人材を得られない、諸国に遅れをとるからだ、ということのよう。
各地のバス事業等の「再生」に関わっているある《起業家》は、それを是として、だいたい、大学入試に「古文」などを課していることが時代遅れ、だからグローバル化についてゆけない、とのような主旨のことを、ある新聞のコラムで書いていました。
あるいはまた、大学生の学力低下が著しい「例」、として、数学の「平均」という概念について、「正確な理解ができていない」という旨の話題もありました。
グローバル化の流れについてゆくために、社内の会話をすべて英語にする、という会社も現れています。

こういう「動き」を見ていて、私は、戦後間もなくの「国際(化)」という語と、数十年前に流行った「学際(化)」という語を思い出しています。
私の同僚の先達が、高名な評論家ですが、「国際」も「学際」も、「国」、「学」が確立していて初めて成り立つもの、なのに、「国」「学」の「自立」がないまま、「国際」「学際」を言う、と喝破していました。
まったく同感でした。これは、今も真実であり真理です。

自国のありようを知らずして、自分の学んでいることの「位置」の確認をすることなく、「国際」「学際」というのは、一種の「逃げ」、状況にまともに向き合うことを逃げている、そう私は思います。
私が関わっている「建築」の場合、「建物をつくる」とは、人の世において、いかなる位置を占め、いかなる意味を持つのか、それを考えて当然ではないか、と思っています。
それは、やっていることが「役に立つ」かどうか・・・、などということ以前の根本の話のはずです。もちろん「利」を得るか否かとも無関係。
しかし、建築に係わる方がたの中には、そういうことを抜きにして、専らわが身の「差別化」に励む方が多い。それが、何度も触れている「理解不能」な方がたを生んでいるのです。

このあたりは、昨今のグローバル化《願望》思考に共通するように思います。
冒頭に書いたような理由、つまり、今のままでは世界の流れについてゆけない、という理由が「当を得たもの」であったならば、たとえば、鎖国状態であった江戸時代には、世界に比肩できる学問など開花しないことになります。
見事な学問もそれを下支えする文化も花開いているではないですか!
そこに学ぶことは、実に多い。ゆえに「歴史」を学ぶのです。そして、それを学ぶには、「古文」、つまりかつての日本語の体系を知っていることは、必須なのです。

そしてまた、明治以降の四月を年度変りにしていた時代、学問が花開かなかった、ということもない。

なぜ、世界の流れについてゆけないような状況になっているのか、その答は、実は、冒頭に書いた現在の「動き」にある、そう私は考えています。

クイズのような設問で「学力」を問うて、結果を憂う・・・。
現状を生んだのは、まさに、そういう発想・行動しかできない「思考」「思想」にあるのです。
それを認識せず、「制度」に理由を押し付ける、そのような「思考」、そのようにしか考えられない点にこそ「理由」がある、と私は思います。
それは、原発事故を「想定外」で片づける「思考」と紙一重なのではないでしょうか。

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