車を運転しているとき、交通標識の「規定」どおりに運転していれば安全である、と思って運転している人は、まずいないでしょう。普通、視界の状況を判断して、速度はもちろん道路上のコースも決めながら運転していると思います。多分それは、各時点で起きるかもしれない事態を「想定」しているからではないでしょうか。
交通標識に従っていれば、絶対に安全に運転できる、などということは、それこそ絶対にあり得ないことなのです。
私は最近、日が暮れてからの運転は、極力しないようにしています。夜間の「視力」に自信が持てなくなったからです。
先日、免許の更新で、高齢者講習会に出てきました。幸い、「認知機能検査」は良好でしたが、暗い状況での動態視力は、悪くなっていました。
ところが最近、法の規定する「安全基底」に則っていれば(基底のとおりに為されていれば)絶対に安全である、かのごとき「判断」が為されました。
よくもまあ、そんな「判断」ができるものだ、と私は驚きました。原発再稼働の件です。
この「判断」は、端的に言えば、交通標識に従っていれば絶対に安全を保証できる、ということです。それで安全が確保できる、などということは、机上の論に過ぎないことは、福島で「実証」された筈ではなかったでしょうか?新たな《神話》が生まれたか?
多くの新聞もこの「判断」を論評していましたが、私の知る限り、明解・明快だったのは、東京新聞だったように思います。下に、25日付の同紙の「社説」とコラム「筆洗」を転載させていただきます。
もっとも、再稼働を「歓迎する」論調の新聞もありました!!
交通標識に従っていれば、絶対に安全に運転できる、などということは、それこそ絶対にあり得ないことなのです。
私は最近、日が暮れてからの運転は、極力しないようにしています。夜間の「視力」に自信が持てなくなったからです。
先日、免許の更新で、高齢者講習会に出てきました。幸い、「認知機能検査」は良好でしたが、暗い状況での動態視力は、悪くなっていました。
ところが最近、法の規定する「安全基底」に則っていれば(基底のとおりに為されていれば)絶対に安全である、かのごとき「判断」が為されました。
よくもまあ、そんな「判断」ができるものだ、と私は驚きました。原発再稼働の件です。
この「判断」は、端的に言えば、交通標識に従っていれば絶対に安全を保証できる、ということです。それで安全が確保できる、などということは、机上の論に過ぎないことは、福島で「実証」された筈ではなかったでしょうか?新たな《神話》が生まれたか?
多くの新聞もこの「判断」を論評していましたが、私の知る限り、明解・明快だったのは、東京新聞だったように思います。下に、25日付の同紙の「社説」とコラム「筆洗」を転載させていただきます。
もっとも、再稼働を「歓迎する」論調の新聞もありました!!