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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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貶められた「伝統」・・・・建築家の「底」の薄さ

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[文言補訂 16.56]

新国立競技場の二つの「計画案」の件、おそらく人びとの感想は、「どっちでもいい」(あるいは「どうでもいい」)というところではないでしょうか。

諸報道の伝える内容を見たり聞いたりして、私は次のような感想を抱きました。
日本の「(建築の)伝統」を「建築家」が貶めている!!

どちらの提案者も、それぞれの案は、「わが国の古き時代の建造物に『(イメージの)拠りどころ』を求めた」と語っているようです。
具体的には、一方は、法隆寺五重塔などの軒先(の垂木の列)を、もう一方は三内丸山遺跡の櫓を挙げているらしい。
そして、双方とも、「木材」を使えば「和(表現)」になる、とも言っている・・・!!

古の「工人」たちが聞いたら、目を白黒して訊ねるのは間違いありません。
「建築家というのは何なの?」

三内丸山の時代、法隆寺の時代に、このような「建築家」は、彼の工人たちの為したような建造物を造れたでしょうか?
無理でしょう。
そのとき、彼らは「(イメージの)拠りどころ」を何処に探すのでしょうネ・・・!?

この提案者たちは、「競技場とは何か」を考えていたのでしょうか・・・?
   
いずれにしても、エンブレムの件に続き、今回も、建築家:設計・デザイン界の底の薄さを世に広く開示してくれたことだけは確かです。

一昨日(21日)の毎日新聞夕刊の連載漫画「ウチの場合は」が、そのあたりを明解・明快に描いていましたので、下に転載させていただきます。
最後のコマの信一君の「ちがうだろ」の一言が効いています。「どうでもいい」ではないのです。

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