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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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“THE MEDIEVAL HOUSES of KENT”の紹介-25

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   The dating of different house types
fig65 には、14世紀後期からの新しい壁の高い建物の隆盛にともなう建物形式の変容の様子が示されている。この図から、14世紀後期以降に現れる形式は、唯一 WEALDEN 形式 だけである、と言ってよいだろう。
WEALDEN 形式 は、単一の屋根に覆われた中世家屋の究極の形式として見なされ、また、常に、その出現は、 end-jetty 形式:妻側跳ね出し形式よりも遅い、と考えられてきた。しかし、もしもこの判定が間違いないとしたならば、ケント地域の最古の WEALDEN 形式の遺構は、最古の end-jetty 形式:妻側跳ね出し形式の事例よりも遅れて現れなければならないことになる。この時代判定の確度については、後に再考されるはずであるが、この2形式の前後関係の論議は、 HADLOW の THE OLD FARMHOUSE の年輪判定結果によって混乱に陥れられた。何故なら、この事例は、特に、その継手の技法、独特な架構法、古風なくり型などからして、目に見えて「古風な」形式と見なしておかしくないのであるが、これらの「特徴」のどれも、 end-jetty 形式:妻側跳ね出し形式 の建物には見られず、一方、WEALDEN 形式の事例には少なからず見られるからである(註 つまり、この事例の正体は如何?という意と思われます)。
   註  end-jetty 形式:妻側跳ね出し形式
     前回掲載の fig49(下に再掲) の e が、この形式の外観です。

ケント地域で、間違いなく最古と考えられるWEALDEN 形式の事例は、fig66(下図)の1379年~80年建設の CHART SUTTON に在る CHART HALL FARMHOUSE と1399年建設の SHEPHERDSWELL wuth COLDRED にある WEST COURT である。この両者には「古風な」工法や装飾が多数見られる。一方、 end-jetty 形式:妻側跳ね出し形式の最古とされる事例には、これらの特徴は見られないし、年輪判定でも時期がやや遅れる。

   註 SHEPHERDSWELL wuth COLDRED : COLDRED 教区の SHEPHERDSWELLの意のようです。日本の〇〇町字△△という表示に相当か?

既に写真を載せた( fig63 下に再掲) PLAXTOL の SPOUTE HOUSE は1424年築、CAPEL の WENHAMS and THISTLES は1431年築と判定されている。

   註  WENHAMS and THISTLES, CAPEL : 上記のように訳しましたが?です。

今回調査された end-jetty 形式:妻側跳ね出し形式 の建物で、その様式、架構法の点で間違いなくかなり旧いと思われる事例は一つもなかった。それゆえ、この様式は、WEALDEN 形式が主流になってからも~40年は造られ続けたと結論してもよいように思われる。ところが、fig65 は、15世紀中ごろまで、この両者は併存していることを示している。すなわち、WEALDEN 形式は15世紀後期には主流となるが、 end-jetty 形式:妻側跳ね出し形式 も相変らず(長い間)建てられ続けたのである。この事実は、WEALDEN 形式で建てることのできる富裕層が増えてくるのは、最初に総二階建ての建物: end-jetty 形式を望み、その建て主となった人びとが多かった時代よりもかなり遅れる、と考えれば説明できるだろう。

unjettied : 上階が跳ね出さない家屋( fig49 f 参照)は数が少なく出現するのも遅く、15世紀中期以前の事例は皆無であり、いくつかある事例もこの様式であると確と判定できない。それらの多くは、hall とそれと同時期の建設と考えられる端部:妻側部分から成るが、上階が前面に跳ね出している事例はまったくなく、WEALDEN 形式に似ている例も滅多にない。つまり、その大部分は、flush-walled : 壁面が全面平坦:な、 end-jetty あるいは unjettied 形式の建物と言ってよい。

いろいろな形式の家屋の違いを見分けることは簡単ではないが、それぞれの発展過程は異なっており、また規模においても、それぞれ特有の傾向がある。各地の調査でも、家屋はぞの大きさに従って分類されたが、多くの場合、形式・形態の差異も仕分けの指標とした。
今回の調査で記録された中世家屋の数は、この「規模」と「型式・形態」の二つの観点で調べており、その方策として二つの方法が採られた。一つは、全地域に於いて、家屋の各「構成部位」について分析を行うこと、もう一つは、「形式・形態」をその家屋の「高さ」との関係で考察すること、であった。
                                               この節 了
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今回は、内容の区切りがいいので、ここまでとします。
次回は、第一の観点での考察: The relationship between size and type of house の節の紹介になります。
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筆者の読後の感想
  歴史を「様式の変遷」として考察する「西洋の史学の伝統」を強く感じました。
  私は、学生の頃から、この「考え方」に違和感を感じています。
  学生のとき、「日本建築史」の「様式史」的な講義を受けました。それは多分、明治以降の「学の近代化」による西洋史学方法論の影響だったのでしょう。
  たとえば、「斗栱」の形状は建設時期で異なるので、それにより建物の時代が判定できる、というような内容。つまり、天平はこうで、白鳳はこう・・。
  私はそのとき、違和感を感じたのでした(その時の教場の様子も覚えています。「印象」が強かったのでしょう)。
  確かにそうかもしれない。しかし、「形状」はいわば「結果」であり、「なぜ時代によって異なるのか、なぜそうなるのか」こそが考察対象であるべきでは?
  「時代を標示するために、その方策を採る」?まさか・・・。
  なかには、そのように思う人、そうしないと時代に遅れる、などと思う人もいたかもしれません。
  しかし、現場の「工人」なら、「それだけ」を考えないはずです。
  もちろん、「工人」も、仕上がりが整うこと:仕上がりの格好よさ:に意を注ぐでしょう。
  しかし、彼らの念頭にあったのは「所与の目的を満たし、かつ無事に自立し、格好よいこと」だったはずです。「格好よい」だけでは無意味・・・。
  つまり、「形先行」などという考え方は、ものづくりの世界では存在理由がない。「形には謂れがある」。
  私のこの見方・考え方は、以来、今に至るまで、変りありません。

  文中の fig49 。私には a, b 以外はどれも同じに見えます。上階が跳ね出しであるか否か、どちら側に跳ね出しているか・・、単にその違いではないか。
  それを別の「様式」と観るのが合点がゆきませんでした。それぞれごとの、そうなる「要因」は何か?その「説明」はなかったように思えます。
  あえて言えば、建て主の社会的「階層」とその「生活様態」にその因を求めている。それだけなのか・・・?
  後の節に「説明」のあることを期待します。

  なお、文中の「諸形式の時間的前後関係の叙述」を「理解」するのに難儀しました。ゆえに、「誤解による誤訳」があるかもしれません。
  多分、私の上記のような考え方・見方が「理解」の妨げになったのでしょう。
  

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