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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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SURROUNDINGSについて・・・・8:コルビュジェにとっては 何であったのか−3

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少し間があいてしまいましたが、もう一つコルビュジェの設計例を見ることにします。
今回は“ Le Corbusier & Pierre Jeanneret 1934〜1938 ”に載っているパリ郊外にある別荘です。1935年の事例(設計年ではなく竣工年ではないかと思います)。

先ず平面図。



すごく簡潔な平面です。一体、外形はどうなるか。想い描いてみてください。

設計にあたって、コルビュジェは、何を考え、何に拠って、「形」を決めているのか?

それを知る手がかりになるスケッチがあります。
次の図です。



このヴォールト様の形は、おそらく地中海沿岸の諸国に遺っている古代ローマや中世サラセン文化が遺した建物、すなわち、石や煉瓦、日干し煉瓦、あるいは土だけで空間をつくり上げる構築法がヒントになっているのではないか、と思います。

この別荘もヴォールトを使っています。その外観が下の写真。

石積みの壁体にRCのヴォールトを載せる。
先のスケッチ上のいろいろなスタディから察して、コルビュジェの脳裏には、ヴォールトをいくつか集めた「形」にする「想い」:アイディア(今風の言葉で言えばコンセプト):は、初めからあったのではないかと思います。



この「形」にする、という「想い」がコルビュジェの脳裏に浮かんだ「契機」が何であったか、それは推測するしかありません。
ただ、私は、この別荘の建つ「 SURROUNDINGS に対しての観察・熟慮」から生まれたものではない、と思っています。
なぜなら、先のスケッチから、コルビュジェの「関心」は、もっぱら、「ヴォールト様の屋根を被った形態による空間造型」にある、と見なすことができるからです。

この「形」の決定に、唯一 SURROUNDINGS が「影響」したとすれば、それは壁体の材料の「選択」ではないかと思います。
もしも敷地の SURROUNDINGS が、広漠とした樹木の少ない場所であったならば、多分、RCにしたのではないでしょうか。

逆の言い方をすれば、いかなる SURROUNDINGS であっても、建物の「形」は変らない、ということです。

ヴォールトは、室内にそのまま表れます。以下が内部の写真。





この写真から分ることは、それぞれの「室」に相応しい空間の形として考慮された形がヴォールトであった、というわけではない、ということ。
むしろ、ヴォールトの形に「如何に合わせるか」という「考慮」がなされた、と考えられます。
少し厳しい言い方をするならば、足に合った靴を探すのではなく、靴に足を合わせる、という考え、と言えるかもしれません。
その点、コルビュジェは、たしかに「現代建築の先駆者」であることは間違いない、と言えるでしょう。
「現代建築」のほとんどが、人びとに「靴に足を合わせる」ことを「望んでいる」と言っても過言ではない、と私には思えるからです。

これは、先に紹介したアアルトの設計とまったく異なる点です。
アアルトは、明らかに、「足に合う靴」を探しています。
だから、常に「そこに暮す人」を考えます。当然、「そこに暮す人」にとっての「 SURROUNDINGS 」を考えることになります。そして当然、彼のつくる建物も「 SURROUNDINGS 」の一つに加わります。
アアルトにとっては、この「考察」の過程は、ごく自然で、あたりまえなことなのです。

もちろんアアルトも、古代ローマや地中海沿岸に遺っている遺構を知っているはずです。
しかし、アアルトは、単にそれらの「形」を見たのではなく、その「形」を在らしめた「謂れ」を観たのだと思います。
つまり、「かくかくしかじかの SURROUNDINGS の中で暮す人びと」の様態と、彼らのつくりだした建物:居住空間、すなわち「その人びとのつくりだした新たな SURROUNDINGS 」、それを「一つの全体として捉らえていた」、そのように私は思います。

アアルトの「思考」は、「『人びと』と『彼らのつくる建物・空間』との『関係』」を問うというような、「対象」をいくつかの「要素」に分け、「それら要素間の関係」として捉えようとする「近代的思考形式」とは明らかに相容れない、と言ってよいでしょう。
つまり、アアルトは、近・現代に在りながら、「近・現代」の遥か向うにいる、のです。それゆえ、アアルトの設計事例は、先回も触れたように、「近・現代的思考」法に慣れた目には「分りにくい」のではないか、と思います。


さて、この別荘の建物に戻ります。
冒頭に載せた平面図で、この建物への主なるアクセスについて見てみます。
平面図と、前掲の外観写真から、そこに見える「石畳」を歩いて、入口に至る、と思われる方が多いと思います。
しかし、そうではないのです。
そのあたりを知ることのできるのが、次のアキソメ図です。

この図には車が停まっています。
これから察するに、この別荘へのアクセスは、図と写真に見える先の石畳に直交しているポツンポツンと置かれた2列の踏み石、と考えてよいでしょう。
石畳は、同じくヴォールトの屋根を持つ「あづまや」への道。

コルビュジェは、軽快に立ち並ぶ樹林の中に建つ建物の絵を描きたかったのではないでしょうか。簡単に言えば、「絵」になることが重要だった。更に言えば、そこに在る建物は、「絵」にならなければならない。
そして更に言えば、設計に関わる図もまた「絵」でなければ、「絵」にならなければならない、のです。コルビュジエのスケッチ、あるいは図面に、鳥瞰図や俯瞰アキソメ図が多いのは、そのためだ、と考えてよいと思います。
以前にも何度も書いていますが、そこで暮す人には、その暮す世界を鳥瞰、俯瞰で見ることはありません。全体の「立体構成」は見えないのです。また、見る必要もない。
鳥瞰図、俯瞰図で全体が「よく分る」ことは、必ずしも、そこで暮す人の目に分りやすいことにはならないのです。むしろ、「必ずしも」ではなく、「絶対に」そうならない、と言うべきかもしれません。

実は、多くの現代の建築設計者は、「鳥瞰図、俯瞰図で全体がよく分る」=「暮す人にもよく分る」と思い込んでいるように、私には思えます。
これが、分りにくい街や建物を、つまり「案内板」をたくさん付けないと分りにくい街や建物を増やしている原因なのです。さらに悪いことは、案内板を付ければ分りやすくなる、と思い込んでいることです。
都市計画にもこの傾向が見られます。「上空」から見た「姿」で計画され、実際にそこで暮す人びとに「混乱」を与える。その「好例」が、「筑波研究学園都市」です。
   都市計画の発祥は、古代ローマの植民地に見ることができる、という説があります。
   実際、各地に、先住の人びとの暮しを無視した円形や碁盤目状の古代ローマの植民都市の遺構がたくさんあります。

ひるがえって、アアルトのスケッチを見ると、そこにあるのは、常に人の目線で描かれていることに気付くはずです。そしてそこには、常に「まわり」がある。そして、これがきわめて重要なことだと思うのですが、最初に SURROUNDINGS と関係ない「形」は脳裏にはないのです。「形」は、SURROUNDINGS への熟慮の結果として生まれてくる。
そしてあらためて近世日本の建物を見直してみると、そこでも常に「まわり: SURROUNDINGS 」を「気にしている」ことが分るはずです。

建築の世界で、「環境」や「景観」などという語が使われだしてから、かなりの年月が経っています。
しかし、残念ながら、なぜそれらが問題にされるようになったか、その「謂れ」についての「考察」がなされたようには思えません。
相変わらず、環境と建物、景観と建物・・・といった具合の「論議」がなされ、挙句の果てには、それに関わる「法令」までできてしまった・・・。

いったい、人が建物をつくるとはどういうことなのか、どういうことだったのか、radical に考えることが必要だ、と私は考えています(このブログの主旨でもあります)。

次回、続きを・・・。

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