間があきましたが、続きです。
コルビュジェは、いわゆる「都市計画」「地域計画」においても大きな影響を与えています。
そこで、今回は、そのとき彼は、SURROUNDINGS について、どのように対していたか、を見てみたいと思います。
今回の図も“ Le Corbusier & Pierre Jeanneret 1910〜1929、および同 1929〜1934”からの転載です。
次の図は、近代建築史のいろいろな書物でも紹介される有名な「計画図」です。
これは、彼の「町」「都市」あるいは「人が暮す場所」、についての「想い:いわゆる『コンセプト』:考え方」を示していると考えてよいのではないでしょうか。
たしかに、綺麗なパターンです。
しかし、このような「形:パターン」を、人の暮す町の「形」として思い立たせた契機はいったい何だったのでしょうか。
いろいろ調べてみても、それが何であったのかは、少なくとも私には、分りません。ことによると、織物にヒントが?
最近の「気鋭の建築家」のつくる建物でも、「そういう形」にした謂れが、
少なくとも私には分らない事例が、たくさんあります。
「想い:コンセプト」に謂れなどはない、
それこそが「アイディア」「独創」「思いつき」・・・だと言うのかもしれませんが・・・。
コルビュジェの計画の「契機」を物語っていると(私には)思える「図」があります。
一つは、1930年代、チェコの山あいの町の計画。
計画地の「地形」を表した図と、そこに計画された町の図があります。それを上下に並べたのが、以下の図です。
縮尺が同一ではありませんが(計画の図の方が縮尺が小さい?)、地形の上でほぼ平坦な河川沿いの一帯に、平地の形なりに「計画」してあるようです。
下図の川の上側にみえる編隊飛行している飛行機のような図柄は、居住地区の集合住居らしい。
この計画でも、左方の河川が合流する広い平地に、先の図と同じような幾何学形態の地区が計画されています。
もう一つ、ブラジルでの町の計画のスケッチ。
この場合も、一方が山(丘?)で囲まれた平坦地いっぱいに、その平坦地の形なりに目いっぱいに計画されています。
そして、この計画でできる町の(完成後の)遠望スケッチが次の図です。
この二つの計画で、コルビュジェの「考え方」が見えてくるように、私には思えます。
最も分りやすく示してくれているのが、上の遠望スケッチだと思います。
町が、まわりの山やまに囲まれて、どんな恰好に見えるか、全体がどんな「風景」になるか、そこに関心がある、と考えられるからです。
これらから察しがつくのは、一言で言えば、
「地面:大地あるいは地形は、(単なる)巨大なキャンバスである」、という考え方。
そのキャンバスに向い、浮かんでくる「想い」のままの《抽象画》を描く。その謂れなど訊いて欲しくない。それは画家の「絵心」なのだ・・・。
コルビュジェは、パリの再開発計画など、多くの「案」を描いています。
それらの「案」の表現、今の言葉で言えばプレゼンテーション、で多く用いられているのは、高層ビルが並び立つ鳥瞰・俯瞰図、あるいは遠景の透視図です。
はっきり言って、そこに暮す人びとの目線の図は一つもない。人びとの目線に近い図も、それは、日常の目線からは程遠いのです。SURROUNDINGS は、単に、「絵」の一部の背景にすぎないのです。
すでに先回も書きましたが、こういう「考え方」は、きわめて「分りやすい」。
なぜなら、SURROUNDINGS など気にせず、「そのものだけを見やればいい」からです。だから、現代の気鋭の建築家たちに受け容れられたのではないでしょうか。SURROUNDINGS など気にせず、机の上の「白い紙」の上で「もの」の形を、「想いのままに考えられる」「フリーハンドで線が描ける」ではないか・・・。
つまり、現代建築は、そのほとんどが、気鋭の建築家たちによる、まさに字の通りの「机上の産物」に過ぎない、と言ってよいのではないでしょうか。そうであれば、以前に書いた「理解不能」な事態が生じてもおかしくないのです。
そしてそれは、そこで暮さなければならない人びとにとっては、不幸なことなのです。
もしも、気鋭の建築家たちが、大地震によって、あらためて SURROUNDINGS の存在、その重要さに気付いた、のであれば幸いですが・・・。
次回は、こういう近・現代の「机上の計画」とはまったく逆の、 SURROUNDINGS を拠りどころにした町の計画例を紹介したいと思います。
コルビュジェは、いわゆる「都市計画」「地域計画」においても大きな影響を与えています。
そこで、今回は、そのとき彼は、SURROUNDINGS について、どのように対していたか、を見てみたいと思います。
今回の図も“ Le Corbusier & Pierre Jeanneret 1910〜1929、および同 1929〜1934”からの転載です。
次の図は、近代建築史のいろいろな書物でも紹介される有名な「計画図」です。
これは、彼の「町」「都市」あるいは「人が暮す場所」、についての「想い:いわゆる『コンセプト』:考え方」を示していると考えてよいのではないでしょうか。
たしかに、綺麗なパターンです。
しかし、このような「形:パターン」を、人の暮す町の「形」として思い立たせた契機はいったい何だったのでしょうか。
いろいろ調べてみても、それが何であったのかは、少なくとも私には、分りません。ことによると、織物にヒントが?
最近の「気鋭の建築家」のつくる建物でも、「そういう形」にした謂れが、
少なくとも私には分らない事例が、たくさんあります。
「想い:コンセプト」に謂れなどはない、
それこそが「アイディア」「独創」「思いつき」・・・だと言うのかもしれませんが・・・。
コルビュジェの計画の「契機」を物語っていると(私には)思える「図」があります。
一つは、1930年代、チェコの山あいの町の計画。
計画地の「地形」を表した図と、そこに計画された町の図があります。それを上下に並べたのが、以下の図です。
縮尺が同一ではありませんが(計画の図の方が縮尺が小さい?)、地形の上でほぼ平坦な河川沿いの一帯に、平地の形なりに「計画」してあるようです。
下図の川の上側にみえる編隊飛行している飛行機のような図柄は、居住地区の集合住居らしい。
この計画でも、左方の河川が合流する広い平地に、先の図と同じような幾何学形態の地区が計画されています。
もう一つ、ブラジルでの町の計画のスケッチ。
この場合も、一方が山(丘?)で囲まれた平坦地いっぱいに、その平坦地の形なりに目いっぱいに計画されています。
そして、この計画でできる町の(完成後の)遠望スケッチが次の図です。
この二つの計画で、コルビュジェの「考え方」が見えてくるように、私には思えます。
最も分りやすく示してくれているのが、上の遠望スケッチだと思います。
町が、まわりの山やまに囲まれて、どんな恰好に見えるか、全体がどんな「風景」になるか、そこに関心がある、と考えられるからです。
これらから察しがつくのは、一言で言えば、
「地面:大地あるいは地形は、(単なる)巨大なキャンバスである」、という考え方。
そのキャンバスに向い、浮かんでくる「想い」のままの《抽象画》を描く。その謂れなど訊いて欲しくない。それは画家の「絵心」なのだ・・・。
コルビュジェは、パリの再開発計画など、多くの「案」を描いています。
それらの「案」の表現、今の言葉で言えばプレゼンテーション、で多く用いられているのは、高層ビルが並び立つ鳥瞰・俯瞰図、あるいは遠景の透視図です。
はっきり言って、そこに暮す人びとの目線の図は一つもない。人びとの目線に近い図も、それは、日常の目線からは程遠いのです。SURROUNDINGS は、単に、「絵」の一部の背景にすぎないのです。
すでに先回も書きましたが、こういう「考え方」は、きわめて「分りやすい」。
なぜなら、SURROUNDINGS など気にせず、「そのものだけを見やればいい」からです。だから、現代の気鋭の建築家たちに受け容れられたのではないでしょうか。SURROUNDINGS など気にせず、机の上の「白い紙」の上で「もの」の形を、「想いのままに考えられる」「フリーハンドで線が描ける」ではないか・・・。
つまり、現代建築は、そのほとんどが、気鋭の建築家たちによる、まさに字の通りの「机上の産物」に過ぎない、と言ってよいのではないでしょうか。そうであれば、以前に書いた「理解不能」な事態が生じてもおかしくないのです。
そしてそれは、そこで暮さなければならない人びとにとっては、不幸なことなのです。
もしも、気鋭の建築家たちが、大地震によって、あらためて SURROUNDINGS の存在、その重要さに気付いた、のであれば幸いですが・・・。
次回は、こういう近・現代の「机上の計画」とはまったく逆の、 SURROUNDINGS を拠りどころにした町の計画例を紹介したいと思います。