梅雨時はやはりアジサイ。
今日は梅雨寒。厚着してます。[写真追加 19日2.40pM]
末尾に、東京新聞 web 版から 瀬戸内寂聴氏の、国会前の安保法制反対集会で行なったスピーチを転載させていただきます。[19日3.15pm追記]
「平和安全法制整備法案」「国際平和支援法案」、現在国会で審議中の法案の正式呼称です。
この法律を《整備》する要点は、「武力行使」を容易に行えるようにしよう、ということに尽きるでしょう。つまり、「平和」「安全」とは真逆な行為を行いやすくしようというもの、と言えるはずです。だから、「戦争法案」と指摘された。
この「平和・安全」という文字が付け加えられたのは、どうも、そういう指摘が顕著になったからのようです。憲法学者の多くから、「違憲」「9条に明確に抵触する」と断じられたことも契機のようです。
「平和、安全」という「衣」を被せることで、「正体」を隠そうという小賢しい「意図」が見え見えです。
新聞にもその趣旨の投稿が多く在りました。かつて、全滅を「玉砕」、敗退を「転進」と言い換えたことに通じるという指摘もありました。いずれにしろ、「言葉」というものに対して失礼極まりない。そういえば、敗戦と言わず終戦と言うのも、本当のことを認めたくない、言い替えかも・・・。
一般の方がたの「感覚」は、時に、「有識者」などよりも、鮮烈な場合があるように思います。
いつであったか、「平和憲法」という呼び方をやめ、もっと直截に、「不戦憲法」と呼ぼう、「9条」は、「不戦条項」「不戦宣言」だと言おう、という投稿を見かけたように思います。
そう呼ぶようにすれば、「憲法改正を望む」、「9条改正」を望むと言うことは、「不戦」を否定し、「戦いたい」「武力を振りかざしたい」と言うことにほかならなくなる、つまり、「改正」論者の「意図」が、より鮮明に示されるようになるではないか、と論じていました。大いに納得しました。
言葉を「都合よく」使う人たちが、最近の「偉い人」たちの中に数多く居られるように思っています。「美辞麗句」で「誤魔化そう」とする方がたです。しかも、それをもって、(人びとに対して)「丁寧に説明している」ことと勘違いしている・・・・。
「丁寧」とは、「相手の立場・気持ちを考えて、真心のこもった応対をする様子」のこと(「新明解国語辞典」)。
時の総理の国会審議での「応答」のどこに「丁寧」がある?と思うのは私だけでしょうか。