寒い日が続いていますが、春は確実に近づいています。
ヂンチョウゲの蕾がかなり膨らんできました。
一昨日、18日は、私にとって、忘れられない日です。
一昨年、2013年のその日、私が脳出血で入院を余儀なくされた日だからです。今は、多少の「異変」を持ちながらも、何とか普通に暮らすことができています。
現状に至るまでの経緯については以前「回帰の記」で書かせていただきました。
その日は、当時施工中であった山梨の「心身障碍者の居住施設」の現場に向う予定でした。が、動けなくなり、やむを得ずとりやめました。
この施設は、30年前に、主に東京の西部域に暮す心身障碍者(発達遅滞者)の保護者が集まり、自分たちで基金を出しあい、自分たちで土地を探して創設した施設です。東京西部に近く、なおかつ自分たちの費用でまかなえる土地、それは東京にはない。そこで、隣接の山梨が選ばれたのです。その山梨で土地を選定するにあたって、敷地周辺の方がたに施設の目的、役割を理解いただく過程が一番大変であったと言ってよいでしょう。「心身障碍者(発達遅滞者)」の実相が一般には理解されていないからです。
18日→現場→「心身障碍者施設」→創設時のことども・・・という具合に創設時の頃のいろいろを思いだしていたとき、ある新聞記事に目がゆきました。
東京近在の都市で、「精神障碍者のグループホーム建設」に対する反対運度がある、との内容。
こういう反対運動は、保育所建設でも最近はあるらしい。
私は、そこで目にした精神障碍者ホーム建設反対の「理由」に違和感というより「衝撃」を覚えたのです。
反対の理由は、「社会的地位の高い住民が多い地域につくるな・・・」。
いったいこれは何だ?!
普通は、心身障碍者(発達遅滞者)施設の場合は、心身障碍者(発達遅滞者)の行動が「常態でない(ように思える)」ので不安だ、保育施設などの場合は、騒音がうるさい、などが主な反対理由。
ところが、この反対《運動》の場合の理由は、これとはまったく「異質」で、それこそ「常態でない」と私には思えました。
そこに見えるのは、「優越意識」「選民:エリート意識」以外の何ものでもない。
これは、「心身障碍者(発達遅滞者)の生活・行動」や「施設の目的、役割」を「理解いただくべく努める」ことで分ってもらえる類のものではない。その人たちの「価値観」「人生観」「世界観」に関わることだからです。
この「反対理由」は、端的に言えば、「勝ち組、負け組」的仕分け法の一つの到着点、と言えるでしょう。「格差」の存在を「積極的に是認する」考え方。世の中、ここまでになってしまっているのか、暗澹とした気分になりました。
しかしこれは、どうやら、日本だけではないようです。世界のあちらこちらで、格差の是認、差別の横行・・・が当たり前になっているようです。しかも、それが、得てして「民主主義」「自由主義」の名の下で《堂々と》進められる。
最近世をにぎわしているイスラム教の祖を、「表現の自由」の名の下で揶揄する・・・、私にはそれは「風刺」ではなく単なる「中傷」に過ぎず、自称《表現者》の「優越意識・選民意識の表出」にしか見えませんでした。彼らは、某国の宰相たちが第二次大戦前の時代に戻りたがっているように、「十字軍の時代」に戻りたいのだろうか?
十字軍:中世、各地のキリスト教徒がエルサレムの聖地をイスラム教徒から奪還するために起こした義勇軍。
エルサレムは、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、共通の聖地。
先の「グループホーム反対運動」は、「世の中が『不寛容な時代』になっているのではないか」、という特集で、不寛容な事例の一つとして挙げられていました。
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「中世ケントの家々」の紹介の続き、現在、英文と格闘中です。あと数日いただきます。