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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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SURROUNDINGSについて・・・・6:コルビュジェにとっては 何だったのか

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[書き忘れ追補 18日 7.45]




ここしばらく、時間があると、コルビュジェの初期の設計事例を見ています。
コルビュジェの設計を見るのは、ほんとに久しぶり。
だから、設計集には、紙が貼り付いてしまったり、変色している頁もありました。

   註 普通は「設計集」ではなく「作品集」という語が使われます。
     ただ、建築には「作品」という語は相応しくないと考えていますので、
     私は「設計(事例)集」を使うようにしています。
     「作品」というと、何となく「個人の作品」というイメージが強くなりますが、
     建物はそうではない。
     なぜなら、設計者は個人であっても、通常、
     つくられる建物等は、「設計者個人だけのものではない」からです。
       第一、多くの場合、設計者が身銭を切っているわけではない。
       もちろん、身銭を切ろうが、だからと言って個人のものと考えるのは間違いです。   
     絵や彫刻などの「作品」なら、気に入らなければ、見なければいい。押入れにしまうこともできる。
     建物は、そうはゆきません。
     否が応でも、顔を合わせなければならないのです。
     つまり、その点では、建物は「設計者個人のものではない」のです。
     「作品」という語に慣れてしまうと、この厳然たる事実を、つい忘れてしまう、
     そのように私は思っています。
     この厳然たる事実を忘れると、どうなるか。
     あの「理解不能」者たちのような「感覚」になってしまうのではないでしょうか。

なぜコルビュジェを見る気になったか。
ここ数回、 SURROUNDINGS に素直に拠って設計をしている、と私が理解しているアアルトの設計事例を見てきました。
では、戦後の日本の建築界を風靡したコルビュジェは SURROUNDINGS をどのように捉えていたか、あらためて見てみよう、と思ったからです。
SURROUNDINGS は、誰のまわりにも在ります。
建物づくりに関わるのであるならば、それについて、何かを「想って」いるはずだ、
そう思ったのです。

私の記憶の中で印象に残っていた事例を探しました。
先ず、そのいくつかを紹介します。

   参考にしているのは、
   “Le Corbusier & Pierre Jeanneret” Les Editions d'Architecture刊
    この書物は、年代別に編纂されています。
    今回は、“Le Corbusier & Pierre Jeanneret 1910〜1929”から。きわめて初期の事例集です。

Le Corbusier は 本名 Charles Edouard Jeanneret のいわば「号」。
設計事例集に名のある Pierre Jeanneret は従弟。

コルビュジェはスイス生まれ(1887年生)、最初は画家を目指し、美術学校に通っていたようです。そこで、建築転向を奨められ、先に建築の仕事をしていた従弟のところへ行った。それで、当初は連名になっている。

コルビュジェは、諸国を観て歩いていて、日本にも来たらしい。その各地への旅行のときのスケッチ:クロッキーが冒頭の図です。
描かれていることから判断すると、建築に「転向」してからの旅ではないでしょうか。
彼の設計には、地中海周辺の建物に倣った事例が多いのは、スイス生まれの人間にとって、地中海周辺は魅力があったのでしょう。
地中海周辺には、ローマの影響や、サラセン文化の影響を受けた SURROUNDINGS が多く見られ、それに通じるところが設計に現れているように思います。
一方で、日本をはじめ、東洋(の考え方)は彼に刺激を与えたようには私には思えません。「湿っぽかった」のかもしれません。


さて、はじめに、“Le Corbusier & Pierre Jeanneret 1910〜1929”から、パリの街中とおぼしき場所に建つ LA Maison du Peintre Ozenfant a Paris。
1922年とありますから、コルビュジェ30代初めころの設計。
外観は下の写真。


この設計集には「配置図」付の事例紹介がきわめて少なく、この場合も載ってません。
3階建てで平面図を集成したのが下図。スケールも不明です。


写真と図から「判定」すると、比較的樹木の多い街角の、既存の煉瓦造の建物を改修・改造・増築したものと思われます。
つまり、既存の surroundings に応じている、既存の建物の持っていた「性向」に従った、と考えてよいでしょう。

私としては、既存の煉瓦造の建物の改造前の姿を含め、周辺の様子:surroundings を知りたいのですが、この書の編纂者は、そういう点には関心がないようです。

   註 この書の編纂は、Introduction et Textes par Le Corbusier とありますから
     コルビュジエ自身の趣旨に沿っているものと考えられます。
     その点、まさしく「西欧の近代・20世紀」の「精神」がたくまずして現れている、とも言えます。

この建物の「目玉」は、最上階のほぼ二層吹き抜けのアトリエ。
私の印象に残っていたのがこの写真です。それで採りあげたわけ。
気持ちのよい空間です。ただ、寒そう。

ある頃まで、アトリエというのは、北側採光でしかも天空光が望ましい、とされていました。私が通った大学の彫塑室は、北側でトップライトで明るかった(建築コースでは、彫塑が必修でした)。
   知人の著名な洋画家が、蛍光灯のライティングで絵を描く、と聞いて驚いたことがあります。
   私が依頼された彫刻家の住まいでは、北側で東西からのハイサイドで採光する工房にしました。

次に紹介する事例は、同じく“Le Corbusier & Pierre Jeanneret 1910〜1929”から、“ Maisons La Roche & Albert Jeanneret ”。
つまり、左半分は Roche 邸、右半分は Albert Jeanneret 邸。
   Maisons は「邸」という意と理解してます。
   英語の mansion :大邸宅と同義語。
   日本にはいたるところに mansion が建ち、笑えぬ話がいっぱいあるようです。
   日本の若者が、自分の家は〇〇マンションと西欧人の恋人に語り、恋人は日本を訪れて、
   それが apartment house あることを知って愕然とし、しかし若者は怪訝な顔をしていた・・・、などなど。
   私の「実感」では、何よりも、手紙の宛名書きで苦労するのが、この手の〇〇マンション。長すぎる。    

これも所在はパリの街中と思われます。
   後掲のスケッチに、Projet des maisons du‘Square de Docteur Blanche' とあります。
   パリを知りませんが、場所名ではないかと思います。

この事例には、当初のスケッチが紹介されています。

このスケッチとほぼ同じ向きで、建物寄りから見た外観は下の写真。

曲った壁を正面から見ると


平面図を集成すると下図。
書物では、地上階が一番上、次に2層、そして別頁に3層目。更にスケールが異なる。
それでは分りにくいので、この図は、同一スケールで下から地上階、2層目、3層目に編成し直してあります。ただし、基準スケールはどこにも表示がない(こういう建築紹介は、めったに見かけません)。

平面図の左端部を中央の階段(家人用)から見たRoche 邸の HALL が下の写真。
ここに見えている階段は、地上階の入口から、2層にある曲面の壁をもつギャラリーへの主通路。
左手に見える歩廊が、手前にある食堂へ通じています。



[書き忘れ追補 18日 7.45]
今回あらためて、先の外観の写真を見たとき、かつてこれを見たときには多分感じていなかったと思われる大きな違和感を覚えました。
それは、多分にあの曲面をなす壁の存在によるものと思われます。
簡単に言えば、あのような曲面になる「謂れ」が読み取れない、そこから生じた感覚だと思われます。
おそらく、この家を訪れるには、あの曲面の壁を正面に見ながら歩いてくるのでしょうが、その「歩く」という「行動」を受け容れてくれる「形」には、私にはどうしても見えないのです。横から見た写真でも、この曲面は、私には「しっくりこない」のです。

けれども、先に紹介したこの建物の平面のスケッチ:「形」は、コルビュジェの書物にはよく引用されていますから、おそらく「気にいっていた」のだと思われます。
ということは、彼のつくる「形」は、そこに「在る人の感覚」とはまったく関係なく決められている、そのように私には思えるのです。

この外観にタイルを張ると、最近の日本の建物に似てきませんか。


さて、この建物のイメージスケッチをもう一度見てください。
今回あらためて設計集を見ていて気がついたのは、彼の描くスケッチなどの「視点」「視座」の位置の高さ。
後に紹介しますが、彼のイメージスケッチには、圧倒的に鳥瞰的なものも含め、視点の高いものが多いのです。
この、高い位置に「視座」を置く、という点に、コルビュジエの surroundings への「対応」が読める、そのように私には感じられました。

アアルトのスケッチ群を見直してもらうと分ると思うのですが、アアルトにはこういう視点でのスケッチはないのです。
アアルトの目線は、いつも、通常そこに在る人の高さにあります。

コルビュジエのアアルトととの違いは何なのか、何に拠るのか、次回、別の事例を通して考えたいと思います。

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