最近、冬らしくなってきました。
最も冷え込んだ一昨日の朝の畑です。畑はまだ湿っているため、霜が目立ちます。
陽が射し、霜が溶けはじめたので、あたり一帯、もやっています。
年が明けると、畑も乾き、霜も降りなくなります。枯れ草も乾ききり、その頃から、野火の注意が必要になるのです。
手前は今休んでいる畑。その向うはラッキョウ栽培中。緑の繁っているのは収穫期のレタス。マルチは春野菜。奥の竹林際は種子を採るためのミツバ。
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[文言追加 22日9.50][文言補訂 22日 9.55]
選挙である町の長として当選した方が、「民意」という言葉を連発しているようです。
たとえば、自分の当選=「民意」、ゆえに、私の「考え」に反対の人は「民意」に反する、ゆえに不要。
もちろん、人びとすべてが彼に投票したわけではありません。当然彼の得た得票数よりは少ないけれども、別の人も得票している。
したがって、私の理解・感覚では、彼の云う「民意」とは別の「民意」があった。
しかし、数の少ないものは無視してよい、というのが彼の「思想」の真髄、つまり、ものごとは、数の多いモノの「勝ち」、という「思想」。
だから、町も大きい方がよい、東京を目指せ、となる。
私は、町は小さい方がよい、と思っています。
目配り、気配りが隅々まで行き渡るからです。
大きくなって喜ぶのは、金儲けを生きがいと見なす人たちだけではないでしょうか。
追記 [文言追加 22日9.50]
たしか、この方は、山陰地方の人口の少ない県の国会の「議席数」が多いのはけしからん、とも発言しています。
「一票の格差」論です。「彼の論理」から言えば当然と言えば当然ではありますが・・・。
この方の「発言」を聞いていると、「民主主義とは、多数が少数を見捨てることなのか」という、アイヌの二風谷ダム反対運動で先頭に立った方の言をあらためて思い出します(下記「本末転倒の論理」で触れています)。
実際、その町の役場の職員で、その方とは異なる見解を唱えた人が、「民意」に反するのは公務員ではない、として槍玉に上がり、反省文を書かされたり、自主退職を言われたりしているのだそうです。
怖ろしい世になったものです。
なぜなら、その方は、それが「民主主義」だと云うのですから。
この長に当選された方は、40代のようです。
「老害」と言われる方が云うのならばまだしも、若いのに何ということを云う!と思う私は「常識はずれ」なのでしょうか。
数の大小でものごとの良し悪しを決めるという悪弊については、以下で何度も書いています。
数値の軽重・・・・数の大小でものごとは決まるか
本末転倒の論理
観察・認識、そして分るということ
一票の格差の是正=不条理の是正?
私は、1937年生まれ、1945年、つまり敗戦の年、数えで8歳。疎開先で敗戦を知りました。
疎開先から戻ったのは小学校3年。3年、4年は何を教わったのか分らないくらい「混乱」の時期。
1年のときは、防空頭巾を持って学校に行き、着いて間もなく、空襲警報で頭巾を被って一目散に下校の毎日。
2年のときは疎開先(山梨県・竜王町)、砂利道を片道4・50分かけて歩いて学校へ。冬は冷たかった!
5年、6年の担任が、戦地から帰って来たばかりの若い先生でした。当時、25歳前後だったのではないでしょうか。
この方の授業は、今でいう「指導要領」などとは無関係な「授業」。
もしかしたら、それは、彼の受けた「教育」の「裏返し」だったのかもしれません。
よくクラス全体の「会議」が催されました。
そこで常に「教わった」のは、クラスの中の「少数意見」を大事にすることでした。
ものごとを「みる」にあたって、「数の多いものが《正しい》《よい》」、という「判断」をしてはならない、ということを具体的に教えてくれたのです。
堅苦しい言い方で言えば、「数の大小は、ものごとの本質の指標ではない」、ということ。
今考えれば、ものごとを、まわりの数の多い「意見」に惑わされずに、自分の頭で、「理」をもって判断すること、これが大事なのだ、ということを教えていただいたのです。[文言補訂 22日 9.55]
おそらく、これも、大きな声を出す者の「見解・指示・命令」に「従わされてきた」、「従わざるを得ないように仕向けられてきた」、この方の過ごしてきた「過去」を通じての「実感」だったのではないか、と思います。
この方は、90に近く、ご健在です。
また、よく、音楽の時間には、教室を抜け出して、近くの田んぼ(今はまったく面影を亡くしてしまった井の頭公園から流れてくる神田上水の縁です)に出て合唱をしたものです。
そして、休みの日には、多摩丘陵(なだらかな丘陵が続いていましたが、多摩ニュータウンの造成で破壊されてしまいました)や奥多摩へ日帰りの「遠足」に出かけました。そこで、川や山に馴染んだのです。
当時はそれと気付いてはいなかったのですが、この先生は、人を取り囲む世界に、身をもって直かに接する機会をつくってくれていたのです。
「人を取り囲む世界に身をもって直かに接する」ことは、特に子どもの頃、最も大事なことである、と私には思えるのですが、今の世は、どうもそうでないらしい。
かつて、ある小学校で、面積の単位、アールやヘクタールを教えているとき、運動場で、その大きさを実際に区画して「実感したらどうか」と意見を述べたところ、皆さん(先生も父兄も)ポカンとしていたことを印象深く覚えています。「実感する」ことを、それほど大事だとは思っていないのかもしれません。
私は、子どもの頃から、実感できないと納得できない、という悪いクセがあります。
掛け算の九九を教わった頃、夜寝ているとき、竿縁天井の升目を数えては
九九のナカミを確かめたことを思い出します。それも何回も・・・。
そして、「合っている」「間違いじゃないや」とやっと「納得する」・・・。
ただ暗記するというのはダメなのです。
先の「民意」「民意」と言われる方は、「よい成績」を挙げる子どもたちを「つくる」ことが「教育(の目的)」である、と考えているらしい。
たとえば、「実感」がなくてもよいから、?、アール、ヘクタール・・・を、間違いなく換算できる、そういう子どもたちが「よい子」なのに違いありません。
たしかにそういう子どももいます。数字の、あるいは数式の一人歩き。テストの成績はいいでしょう。
サン・テグジュペリではないですが、それに何の意味がある?
サン・テグジュペリの言葉を引用します。
・・・
私が山と言うとき、私の言葉は、茨で身を切り裂き、断崖を転落し、岩にとりついて汗にぬれ、
その花を摘み、そしてついに、絶頂の吹きさらしで息をついたおまえに対してのみ、
山を言葉で示し得るのだ。
言葉で示すことは把握することではない。
・・・
言葉で指し示すことを教えるよりも、把握することを教える方が、はるかに重要なのだ。
ものをつかみとらえる操作のしかたを教える方が重要なのだ。
おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、それが私にとってなんの意味があろう?
それなら辞書と同じである。
・・・
サン・テグジュペリ「城砦」(みすず書房)より
この本に出会ったのは、大学生のとき。神田神保町の東京堂書店の2階。
この部分を立ち読みし、「衝撃」とともに、「嬉しくなった」ことを、はっきり覚えています。
ところが、この「民意」で選ばれた方は、そういう「成績のよい子どもたち」を「数多くつくった」先生は「優秀」、そうでない先生は「教師落第」という「条例」をつくりたいのだそうです。数の多さで押し切って・・・。
そうだとしたら、私が小学校5・6年のときに接したあの先生は、「教師落第」となるのでしょう。
私は、こういう方こそ真の「教師」だ、と思っています。なぜなら、その方の「実践」の方が、「理」が通っているからです。人としての「理」にも、ものごとの「理」にも。[文言補訂 22日 9.55]
いったい、どうしてこんな「事態」になってしまったのでしょう。
その訳を知る恰好の言葉を先日新聞紙上で知りました。
「一億総思考停止」。
野坂昭如氏の言です。皆が自分で考えなくなった。そして「大樹」を希求している。寄らば大樹・・・。というような主旨だったと思います。
これでは「民主主義」の時代ではない。「封建の世」を希求しているようなものだ、と私は思います。
もう一つ、この偉い「民意の方」には、「言葉・語」を「語感」で使う傾向があるように思っています。
言ってみれば、新興住宅地に、アザミも咲かなくなってしまったのに「あざみ野」、月も見えないのに「月見丘」、四季が豊かでもないのに「豊四季」、緑も少なくなっているのに「緑区」・・。などと名付けるのと同じ「感覚」。
「民意」という「聞こえのいい語」を使って、煙にまく。そのことを誰も気付かない・・・。皆、「数」至上主義なのでしょう。彼のそばにいると「恩恵」が得られる・・・。
情けないな、と私は思います。
ついこの間から、「収束」という語が飛び交ってます。これも、その「真意」ではなく、その「語感」で使われているように、私には思えます。世を「落着かせる」ために・・・。これについては又の機会に。