進行中の設計の大詰め、図面の各種喰い違いや手直しで、毎日日が暮れています。そんなわけで間があいてしまいました。
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先回の終りに、アアルトの図書館のスケッチを紹介しました。
今回は、そのスケッチを基に実現した図書館を紹介します。
アアルトの設計事例集:ALVAR AALTO ?:からの転載です。
この図書館は、フィンランドのラップランド( Lapland )のロヴァニエミ( Rovaniemi )にあるラップランド地域の中央図書館です。
同書にあるこの図書館の解説を、そのまま転載します。
ラップランドの開発にともなうものと思われます。ラップランドはきわめて寒い地域です。
できあがった図書館の平面図と前回紹介したスケッチを再掲します。
この平面図をはじめて見た方は、「いったい、この形は何だ」と思われるに違いありません。普段見慣れた《(日本の)現代建築》とまったく異なるからです。《現代建築》では、こんな「形(の平面図)」は、描かれるはずもない、あまりにも「珍奇だ」!
まして、CADではできない!?
しかし、これを見ると、先に紹介したスケッチがダテでない、考えていたことが「具体化されている」、ということがよく分ると思います。
では、アアルトは、何を「考えていた」のでしょうか。
図書館に近づくと、こんな姿が見えてきます。平面図の右手、?のあたりからの姿。
アーケードに沿って、入口に至ります。
おそらく、この手前側に、人びとが暮す一帯があるのでしょう。
残念ながら、一帯の地図がないので、どういう立地なのかが分りませんが、暮す地域から見渡すことができる低い丘の上にあるのではないか、と思います。
そう考えれば、こういうスケッチが描かれる謂れが納得ゆくからです。
スケッチで考えていたのとはアプローチのルートが変わっています。
ただ、こういう SURROUNDINGS に置かれた場合の人の動きを考えると、ごく自然です。
きっと、案内板などいらないはずです。足の赴くままに歩を進めると、建物・図書館に着いている。当然、人の気持ちに「ささくれ」などは生じないでしょう。
入口を入ると、人を取り囲むのは、以下の写真のような SURROUNDINGS です。
内部は、一つの天井の下、5個の房のように分かれた閲覧スペースが、入口のレベルと、そこから一段下ったレベルの2段で構成されています。
その内の一番大きい閲覧スペースを、?の位置(高いレベル)から見たのが次の写真です。
以下の写真で分りますが、この図書館では、何処にいても全体が見渡せます。
つまり、人は、自分が今何処にいるか(入口から歩いて今は何処にいるか)、比定することができます。
このことは、現今の日本の「公共建築」で見かける「案内表示」がまったく掲げられていないことで分ります。
左手に、メインカウンターが見えます。リファレンスや貸出しは、ここで行うのです。
別の場所にある「管理・事務室」と離れて、閲覧スペースの中に、メインカウンターが「島」になって在る、これはアアルトのつくる図書館に共通するように思います。
日本の多くの図書館のそれと比べてみてください。
日本の多くは、管理の「便宜」のためか、管理・事務室の「縁」にカウンターが在るのが普通です。
つまり、「用のある者はこっちに来い」というのが普通、「用のある」人たちの側に、管理者が進んで入る、というのがアアルトの図書館。
これは「サービス」ということについての「考え方の違い」に拠るものでしょう。
この大きい閲覧スペースは、2つのブロック:房に別れています。
奥の方、?のあたりからメインカウンターの方を振り返ってみたのが、次の写真。
この図書館の閲覧スペースの「特徴」は、あたかも「書籍に囲まれ、書斎で書物に好き勝手に接してるという場景・情景」で書物に接することができる、という点にある、と私は思います。
これは、初期に設計したヴィープリの図書館以来の、アアルトの一貫した「図書館像」である、と言ってよいでしょう(と言うより、彼の「建築像」そのもの、と言った方がよいかもしれません)。
この図書館の閲覧スペースを「五つの房」に分けたのも、「書籍に囲まれ、書斎で書物に好き勝手に接してるという場景・情景」は、広漠とした空間ではつくり得ない、という判断があったからだ、と私は思います。
つまり、あらゆる場景・場景は、「それなりの(大きさの) SURROUNDINGS 」が用意されなければならない、ということです。
「それなり」とは、たとえば、「本に接するなら」、あるいは「診察を受けるなら」・・・と言った「それなり」です。
多分、子どもたちの閲覧スペースと思われるのが、?から見た写真。
入口レベルから一段下った空間、それでいて「上の空間の内」にある、これがこの場所の言いようのないすばらしい場景・場景を生みだしているのだと思います。
次は、?から見た写真で、ハイサイドと閲覧スペースの関係が分ります。
このように構成され建物は、外から見ると次のようになります。?のあたりから見ています。
ハイサイドが分ります。
この建物には、かつては当たりまえであった、しかし《現代建築》が忘れ捨ててしまった、「建物をつくることの意味」が、ごく自然に表出されている、と私は思います。
アアルトの設計事例は、すべて、「当たりまえ」である、「人の感性に信を置いている」と言って過言でない、と私は思っています。
建物は「《形》の追求」から始まるのではなく、「あるべき場景・場景となるべき SURROUNDINGS の追求」の「結果」、初めて生まれるのです。それが「形の謂れ」にほかなりません。
次回も、更に、アアルトの建物を紹介します。
なぜなら、「現在が忘れてしまった『形の謂れ』」を考えるには、最適だ、と考えるからです。
「単なる建築家の思いつき・《好み》」で建物の「形」がでつくられてしまうのは、「犯罪」に等しい、と私は思っています。それは、人びとにとって最大の不幸です。「理解不能」だからです。
蛇足
江東図書館の設計では、いろいろと考えましたが、当たりまえですが、アアルトの域には
到底達し得ませんでした。
追記
日本のアニメと西欧のアニメの大きな違いは、日本のそれが「背景」を重視していることだそうです。
西欧では、キャラクターそのものに集中し、背景は重視しない、とのこと。
背景とは、すなわち「場景・情景」、 SURROUNDINGS にほかなりません。
ところが、建築の世界では《西欧化》が進み、 SURROUNDINGS を考えなくなった!
これは、「建築」の本質に悖る(もとる)ことです。私はそう思います。
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先回の終りに、アアルトの図書館のスケッチを紹介しました。
今回は、そのスケッチを基に実現した図書館を紹介します。
アアルトの設計事例集:ALVAR AALTO ?:からの転載です。
この図書館は、フィンランドのラップランド( Lapland )のロヴァニエミ( Rovaniemi )にあるラップランド地域の中央図書館です。
同書にあるこの図書館の解説を、そのまま転載します。
ラップランドの開発にともなうものと思われます。ラップランドはきわめて寒い地域です。
できあがった図書館の平面図と前回紹介したスケッチを再掲します。
この平面図をはじめて見た方は、「いったい、この形は何だ」と思われるに違いありません。普段見慣れた《(日本の)現代建築》とまったく異なるからです。《現代建築》では、こんな「形(の平面図)」は、描かれるはずもない、あまりにも「珍奇だ」!
まして、CADではできない!?
しかし、これを見ると、先に紹介したスケッチがダテでない、考えていたことが「具体化されている」、ということがよく分ると思います。
では、アアルトは、何を「考えていた」のでしょうか。
図書館に近づくと、こんな姿が見えてきます。平面図の右手、?のあたりからの姿。
アーケードに沿って、入口に至ります。
おそらく、この手前側に、人びとが暮す一帯があるのでしょう。
残念ながら、一帯の地図がないので、どういう立地なのかが分りませんが、暮す地域から見渡すことができる低い丘の上にあるのではないか、と思います。
そう考えれば、こういうスケッチが描かれる謂れが納得ゆくからです。
スケッチで考えていたのとはアプローチのルートが変わっています。
ただ、こういう SURROUNDINGS に置かれた場合の人の動きを考えると、ごく自然です。
きっと、案内板などいらないはずです。足の赴くままに歩を進めると、建物・図書館に着いている。当然、人の気持ちに「ささくれ」などは生じないでしょう。
入口を入ると、人を取り囲むのは、以下の写真のような SURROUNDINGS です。
内部は、一つの天井の下、5個の房のように分かれた閲覧スペースが、入口のレベルと、そこから一段下ったレベルの2段で構成されています。
その内の一番大きい閲覧スペースを、?の位置(高いレベル)から見たのが次の写真です。
以下の写真で分りますが、この図書館では、何処にいても全体が見渡せます。
つまり、人は、自分が今何処にいるか(入口から歩いて今は何処にいるか)、比定することができます。
このことは、現今の日本の「公共建築」で見かける「案内表示」がまったく掲げられていないことで分ります。
左手に、メインカウンターが見えます。リファレンスや貸出しは、ここで行うのです。
別の場所にある「管理・事務室」と離れて、閲覧スペースの中に、メインカウンターが「島」になって在る、これはアアルトのつくる図書館に共通するように思います。
日本の多くの図書館のそれと比べてみてください。
日本の多くは、管理の「便宜」のためか、管理・事務室の「縁」にカウンターが在るのが普通です。
つまり、「用のある者はこっちに来い」というのが普通、「用のある」人たちの側に、管理者が進んで入る、というのがアアルトの図書館。
これは「サービス」ということについての「考え方の違い」に拠るものでしょう。
この大きい閲覧スペースは、2つのブロック:房に別れています。
奥の方、?のあたりからメインカウンターの方を振り返ってみたのが、次の写真。
この図書館の閲覧スペースの「特徴」は、あたかも「書籍に囲まれ、書斎で書物に好き勝手に接してるという場景・情景」で書物に接することができる、という点にある、と私は思います。
これは、初期に設計したヴィープリの図書館以来の、アアルトの一貫した「図書館像」である、と言ってよいでしょう(と言うより、彼の「建築像」そのもの、と言った方がよいかもしれません)。
この図書館の閲覧スペースを「五つの房」に分けたのも、「書籍に囲まれ、書斎で書物に好き勝手に接してるという場景・情景」は、広漠とした空間ではつくり得ない、という判断があったからだ、と私は思います。
つまり、あらゆる場景・場景は、「それなりの(大きさの) SURROUNDINGS 」が用意されなければならない、ということです。
「それなり」とは、たとえば、「本に接するなら」、あるいは「診察を受けるなら」・・・と言った「それなり」です。
多分、子どもたちの閲覧スペースと思われるのが、?から見た写真。
入口レベルから一段下った空間、それでいて「上の空間の内」にある、これがこの場所の言いようのないすばらしい場景・場景を生みだしているのだと思います。
次は、?から見た写真で、ハイサイドと閲覧スペースの関係が分ります。
このように構成され建物は、外から見ると次のようになります。?のあたりから見ています。
ハイサイドが分ります。
この建物には、かつては当たりまえであった、しかし《現代建築》が忘れ捨ててしまった、「建物をつくることの意味」が、ごく自然に表出されている、と私は思います。
アアルトの設計事例は、すべて、「当たりまえ」である、「人の感性に信を置いている」と言って過言でない、と私は思っています。
建物は「《形》の追求」から始まるのではなく、「あるべき場景・場景となるべき SURROUNDINGS の追求」の「結果」、初めて生まれるのです。それが「形の謂れ」にほかなりません。
次回も、更に、アアルトの建物を紹介します。
なぜなら、「現在が忘れてしまった『形の謂れ』」を考えるには、最適だ、と考えるからです。
「単なる建築家の思いつき・《好み》」で建物の「形」がでつくられてしまうのは、「犯罪」に等しい、と私は思っています。それは、人びとにとって最大の不幸です。「理解不能」だからです。
蛇足
江東図書館の設計では、いろいろと考えましたが、当たりまえですが、アアルトの域には
到底達し得ませんでした。
追記
日本のアニメと西欧のアニメの大きな違いは、日本のそれが「背景」を重視していることだそうです。
西欧では、キャラクターそのものに集中し、背景は重視しない、とのこと。
背景とは、すなわち「場景・情景」、 SURROUNDINGS にほかなりません。
ところが、建築の世界では《西欧化》が進み、 SURROUNDINGS を考えなくなった!
これは、「建築」の本質に悖る(もとる)ことです。私はそう思います。