7・8年ほど前、近くの雑木林から採ってきた実生の苗が、3mほどの高さに育ち、今、黄葉が見事です。
樹皮や葉がサクラに似ています。カバノキ科のミズメ(ザクラ)別名アズサではないか、と推測しています。
ミズメは家具材として重用されるようです(⇒「松本民芸家具」)。
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「この国を…46」にリンク先を追加で載せました。[12月2日 9.10、3日 9.45]
12月になりました。
一段と冷え込んできました。体がこわばります。血圧も上がります!
それでも、朝夕の犬と一緒の散歩は続けています。
朝およそ1500歩(約1km)夕方3000〜3500歩(約2〜2.5km)。私の携帯(いわゆるらくらくホン)には歩数計機能が付いているのです。
体力は戻ってきましたが、左脚の膝のあたりの「重さ」はまだ遺っています。体重の移動がスムーズにゆかないことがままあり、動きがギクシャクします。これは、傍から見れば一目瞭然なのでしょうが、自分では見えません。
ところが、そのギクシャクを一人で確認する方策があることに気付きました。
背に陽を受けた時の自分の影法師に如実にそれが表れるのです。以来、横からの陽による影も、首をひねって見るようにしています。そして、影がギクシャクしないにはどうすればよいか、いろいろと試みました。
行き着いたのは、体全体を(腰を)前に押し出すべく所作をとればよいのだ、ということでした。どうしても脚を動かせばよい、と思ってしまいすぎだったのです。その方がラクで簡単だからです。
はからずも、リハビリ中に何度も諭されたこと、すなわち、「人間の動作・所作は、体全体で為されているということを認識しなさい、部分だけで考えてはダメ、」ということを再認識することになったのでした。
そして、そのように体全体を押し出すように歩くと、これもあらためて気付いたのですが、かかとが地面を打つ音、すなわち靴音が、リズミカルになるのです。これも新鮮な気付きでした。リズミカルな足音は、歩いている本人も心地よいものです・・・!
以来、陽のないときには、極力リズミカルな足音になるべく歩くように心掛けています。
とは言うものの、脚だけでリズミカルにしようなどと思うと、これも絶対にうまくゆきません。くたびれるだけ。つまり、体全体がリズミカルに動かなければダメなのです。「小手先」の細工はダメなのです。
リズミカルなときは動きもスムーズ、そして疲れ方も少ない。これもあらためて気付いたことです。そしてまた、体調の様態は、見事にリズムの様態に反映する。つまり、体調の様子を知る物指にもなる・・・。
そういえば、素晴らしい打楽器奏者も体全体を使っています。打楽器自体、「体の躍動・脈動」を基に誕生したのかもしれません。
発症、入院、リハビリを通じて、自分の動作・所作を(そして、すべての事象を)「観察する」ことの重要さをあらためて学んだ一年。もう僅かで終りです。夕暮れも早くなりました。