A・AALTOの描いたスケッチや設計図面を集成・編集した“The Architectural Drawings of Alvar Aalto”(Garland Publishing,Inc. New York and London )という書物(全11巻)が刊行されています。
図面やスケッチは、ほとんどがAALTOの「手描き」です。
図やスケッチは、設計のはじめの段階から、工事の段階まで、大変な数にのぼります。
その凄いエネルギーには、ただ感嘆するしかありません。「退職記念?」に購入し、時折紐解いて、ため息をついています。
その中から、パイミオ・サナトリウムのいくつかを紹介させていただきます。
なお、パイミオ・サナトリウムは、設計が1928年にはじまり、1932年に竣工しています。その間のスケッチ、設計図が集められています。
紹介する目的は、そこに、A・AALTOの「設計という営為に対する考え方」が如実に表れている、と思うからです。
そしてそれは、明らかに、日本の(そしてことによると世界の)現代の「(有名)建築家」の「設計に対する考え方」とは全く異なります。
私は、若い世代の方がたに、こういう考え方がある、ということ、しかもそれは決して目新しいことではなく、かつては、こういう考え方が当り前だったのだ、ということを知っていただきたい、と考えています。
もちろん、A・AALTOを好きになってくれ、などと言っているのではありません。
「当たり前」になろう、原点に戻ろう、ということを願っているだけです。
そして、この「当たり前の考え方」で「設計」が為されているならば、「理解不能」な言動など生まれるはずがないのです。
理解不能な言動が生まれるのは、「設計という営為に対する考え方」のどこかに欠落があるからです。もっと言えば、「考えていない」からです。
この設計は、設計競技です。
先ず、建物位置・平面の決定:提出図面作成:に至る間に描かれたと思われる図・スケッチをいくつか見てみたいと思います。
最初は、当初主催者から提示された計画の基になる敷地周辺の測量図を載せます(1928年測量とあります)。
赤線で囲んだ部分が計画用地(赤線および道の符号は、筆者補筆)。道の符号は、以下の各図共通です。
ただ、図中に描かれているサナトリウムの建物の位置は、次図と少し異なるように思います。
赤線内の地形と、建物の配置の関係:配置スケッチ
図の縮尺が読み取れませんが、病棟の長さは約90mですので、推測してください。等高線は、次図と同じく@1mと考えられます。
計画地は、緩やかな勾配の丘陵状の地の裾に近い部分と思われます(次図から、約1/30以下の勾配と推定しました。針葉樹林に被われていますから、多分、地面は見えないでしょう)。
図の左に、3本の道がありますが、このうちの上へ伸びる道(「い」と記入)と、下の若干細い斜め右下へ伸びる道(「ろ」)は、上図に載っているY字型の道です。
地形図から想定して左手側にも同じような丘陵があり、「い」の道は二つの丘陵のつくる緩い谷を下ってゆく道、「ろ」 は右手の丘陵の等高線に沿った道と考えられます。
そして、この「い」「ろ」2本の道の間に描かれている道(「は」と記入)は、おそらく、AALTOが現地を訪れて「計画敷地」へのアクセス路として相応しいとして、直ちに見出したルートだったのではないか、と思います。
AALTOの構想は、この道の見出し・設定から始まったのではないか、ということです。
かつての人びとの建物づくり・住まいづくりも、これと同じ過程をたどっていました。このことについて、下記で触れています。
私たちは、そのことを忘れて(あるいは、忘れさせられて)しまったのです。
「建物をつくるとはどういうことか−11・・・・建物をつくる『作法』:その1」
「建物をつくるとはどういうことか−12・・・・建物をつくる『作法』:その2」
既存の道 「い」「ろ」 は、この一帯に暮す地元の人びとが行き交う中で「自然に」生まれた、いわば「けものみち」と言ってよいでしょう。つまり、人びとが人びとの感性で見出した「自然な」ルート。
「い」「ろ」2本の道が分岐する地点は、左右の丘陵の間の鞍部:「たるみ」で、分岐するに相応しい「自然な」場所。それゆえAALTOは、アクセス路も、そこから始まるのが「自然だ」と判断したのだと考えられます。
人が当たり前の感覚で生み出す「道」の様態:「自然な道・けものみち」の誕生については、「道…どのように生まれるのか」で簡単に触れました。
農山村には、Y字型に分岐する道をたくさん見かけます。私の暮すところにもありますが、分岐する場所は、たいてい「納得のゆく」場所です。
いわゆる「計画道路」には、Y字路の計画は、ないのではないでしょうか。私は見たことがありません。
図をよく見ると、建物の線が何重にも描かれています。病棟の「向き」:できるだけ南面させること:と周辺の surroundings との関係をいろいろと考えた過程を示しているのではないでしょうか。コンパス(磁石)片手に、何度も森の中を歩き回ったのかもしれません。
アクセス路(「は」)にも、いくつか線が見えます。これも、建物位置と連動して、いろいろ考えられたのだと思います。
AALTOは、地図の上に、現地を、そして建物が建った後の状景・場景を、常に見て(観て)いるのです。
設計競技提出図面の配置図が下図(図中の標高数字は大きな字で補筆してあります)
縮尺が不明ですが、病棟の全長が約90mですから、90mで高低差最大3mほど。つまり、勾配1/30(3.3%)以下の緩い斜面です。
等高線の形が若干前図と違いますが、「計画・整地後の地形」を示しているのかもしれません。地形の「基本」を壊すことはしていません。
現在なら、まっ平らにしてしまうのではないでしょうか。
方位は、病棟の軸が東〜西です。
なお、図の左上の「マーク」は、この「提案」の「モットー」を示した「マーク」で、提出図のすべてに付してあり、
この「提案」のポイントである病室の「窓まわり」の図です(次回紹介予定)。
おおよそ建物を建てる場所を決め、次に、建物をどのように配置するか:レイアウト:の検討がなされます。
この段階のスケッチの量は膨大です。よくこれだけ多くのスケッチ類が残されている、と感心します。なぜなら、大半はトレーシングペーパーへ鉛筆描き。トレーシングペーパーはそれほど耐久性はないからです。中には、トレーシングペーパーの裏表に描かれているものもあります。
以下に、そのうちのいくつかを転載させていただきます。
そこから、AALTOの設計の(思考の)過程が見えてくると思います。
大気療法のための病棟の位置はおおよそ決まっていて、ここでは、いわば裏勝手:サービスなど:へのアクセスを考えているのではないかと思われます。このスケッチは、A4判ほどの紙へ鉛筆描き。
「病棟(前回掲載平面図のA)」と「共用棟(同B)」、「病棟」と病棟東端部の「多用途テラス」との「接続部」の平面、外観などの検討をしているようです。これも紙へ鉛筆描き。
次はトレーシングペーパーへの鉛筆描きスケッチ。両面に描かれています。
トレーシングペーパーゆえに、裏側の線が透けて見えています。
表面(図番 a )にエントランスの立面の検討、裏面(図番 b )では、配置レイアウトの確認と断面の検討をしています。
次も同じくトレーシングペーパー両面への鉛筆描きスケッチ。
表(図番 a )で、アクセス路〜エントランスを、平面、断面、パースペクティヴスケッチで検討しています。
裏面(図番 b )は、配置レイアウトの確認スケッチと思われます。
次は、病棟(A)〜エントランス〜共用棟(B)の平面図のスケッチ。トレーシングペーパーの表裏に鉛筆描き。
a は平面のスケッチ。下段に、裏面のスケッチ( b 図)が透けて見えています。
裏面( b ) は、再度配置レイアウトの確認をしているようです。
階段の向き、エレベーターの位置が最終案と異なります。
下は、同じ場所のもう少し詳しい平面図スケッチ。トレーシングペーパー鉛筆描き。
今回紹介する図・スケッチは以上です。
次回は、病室の窓まわり、家具など、工事段階の図やスケッチを紹介したいと思います。
ただ、数が多いので、選択・編集に時間がかかりそうです。
以上を見ただけでも、同じところの図・スケッチを、例えば同じ場所の平面図を、微細に変えるたびに何度も描いていることが分ります。変更箇所だけを直す、ということはしないのです。
配置レイアウトに至っては、ひっきりなしに描いています。これでいいかどうか、常時、確認作業を厭わずに行っているのです。
現在の設計のやりかたに慣れてしまっている人には、ムダな作業を繰り返しているように見えるかもしれません。
しかし、そうではない、決してムダではない、と私は思っています。むしろ、必須な作業なのだ、とさえ考えています。
そして、そのためには、「手描き」でなければならない、とも考えています。
紙の上に線を描く。手で描こうが機械が描こうが線は線であって同じではないか、と思われる方が、今は多いでしょう。
ところが大きく違うのです。
手で線を描く。その線が何を意味しているか、その位置でよいのか、・・・などを考えないと線は描けないはずです。私はそう考えています。
それは、機械で描いたって同じではないか、と思われるかも知れません。でも、違うのです。
手で描く場合には(定規を使おうが、フリーハンドであろうが)、描き終わった後、「描く」「描いた」という身体的「動作」が、記憶に残るのです。
なぜ記憶に残るか。それは、「考えた」からです。「しばし考えた後、はじめて描くという動作に移ることができた」ということを、体が(頭が)覚えているのです。
それゆえ、描かれた線の向うに「考えたこと」が隠れていて、描いた本人には、その線を見ただけで、「考えたこと」を思い出す、見えるのです。
つまり、「記憶」「記録」が、データファイルにではなく、本人の中に生き生きとして重層的に蓄えられているのです。
これが「手描き」の特徴なのです。
だからこそ、他人のスケッチでも、そこに描かれている線の向うに、おおよそではありますが、その人の思考(の過程)を想像し、辿ることができるのです。
現在、数値制御の木工機械が普及しています。複雑な継手・仕口も加工できます。いわゆるプレカットの機械です。町場の大工さんも使うようになってきました。
ところで、実際の加工は、誰がやっても同じでしょうか。
たとえば、ある仕口の加工を機械で加工する場合、
その仕口を手で刻んだ経験のある方の加工と、刻んだことのない方のそれとで、仕上がりは同じでしょうか?
違います。
手刻み経験者の加工の方が、どうしても上をゆくのです。
それは、加工する木材に対する「見かた」が違うからです。木への対し方が、教科書的、辞書的理解ではないのです。
CAD が普及し始めた頃、設計事務所の対応に二つありました。
一つは、もう製図板も建築士も要らない、オペレーターがいればいい、と考える方、
もう一つは、若い人にはすぐには CAD を使わせない、ある程度製図板上で図が描けるようになってからだ、と考える方。
そうでないと、CAD に使われてしまう、と考えたのです。computer aded ではなくなる、と感じたのです。年輩の方に多かったと思います。
私も後者に属します。人の行動は、その人の感覚に拠る。そして、感覚・感性はアナログである、と認識しているからです。
そして、そう考えれば、AALTOのスケッチの多さも理解できるのではないでしょうか。
このサナトリウムにかかわる患者・療養者、スタッフなどの人びとにとって、この既存の環境: surroudings の中に、いかなる環境: surroudings を用意するのが適切か、AALTOは考え続けているのです。だから、ああでもない、こうでもない・・・とスケッチが増えるのです。
そして、スケッチの内容を見ると、どうしたら「斬新な造形になるか」などということは、毛頭も考えてはいないことが読み取れるのではないでしょうか。
それは、パースペクティヴスケッチを見れば明らかです。そのときAALTOの念頭にあるのは、その造形が、サナトリウムの環境: surroudings :として適切であるかどうか、そのあくなき検討のためのスケッチなのです。だから、この場合も、同じ場所が、何度も描かれるのです。
図面やスケッチは、ほとんどがAALTOの「手描き」です。
図やスケッチは、設計のはじめの段階から、工事の段階まで、大変な数にのぼります。
その凄いエネルギーには、ただ感嘆するしかありません。「退職記念?」に購入し、時折紐解いて、ため息をついています。
その中から、パイミオ・サナトリウムのいくつかを紹介させていただきます。
なお、パイミオ・サナトリウムは、設計が1928年にはじまり、1932年に竣工しています。その間のスケッチ、設計図が集められています。
紹介する目的は、そこに、A・AALTOの「設計という営為に対する考え方」が如実に表れている、と思うからです。
そしてそれは、明らかに、日本の(そしてことによると世界の)現代の「(有名)建築家」の「設計に対する考え方」とは全く異なります。
私は、若い世代の方がたに、こういう考え方がある、ということ、しかもそれは決して目新しいことではなく、かつては、こういう考え方が当り前だったのだ、ということを知っていただきたい、と考えています。
もちろん、A・AALTOを好きになってくれ、などと言っているのではありません。
「当たり前」になろう、原点に戻ろう、ということを願っているだけです。
そして、この「当たり前の考え方」で「設計」が為されているならば、「理解不能」な言動など生まれるはずがないのです。
理解不能な言動が生まれるのは、「設計という営為に対する考え方」のどこかに欠落があるからです。もっと言えば、「考えていない」からです。
この設計は、設計競技です。
先ず、建物位置・平面の決定:提出図面作成:に至る間に描かれたと思われる図・スケッチをいくつか見てみたいと思います。
最初は、当初主催者から提示された計画の基になる敷地周辺の測量図を載せます(1928年測量とあります)。
赤線で囲んだ部分が計画用地(赤線および道の符号は、筆者補筆)。道の符号は、以下の各図共通です。
ただ、図中に描かれているサナトリウムの建物の位置は、次図と少し異なるように思います。
赤線内の地形と、建物の配置の関係:配置スケッチ
図の縮尺が読み取れませんが、病棟の長さは約90mですので、推測してください。等高線は、次図と同じく@1mと考えられます。
計画地は、緩やかな勾配の丘陵状の地の裾に近い部分と思われます(次図から、約1/30以下の勾配と推定しました。針葉樹林に被われていますから、多分、地面は見えないでしょう)。
図の左に、3本の道がありますが、このうちの上へ伸びる道(「い」と記入)と、下の若干細い斜め右下へ伸びる道(「ろ」)は、上図に載っているY字型の道です。
地形図から想定して左手側にも同じような丘陵があり、「い」の道は二つの丘陵のつくる緩い谷を下ってゆく道、「ろ」 は右手の丘陵の等高線に沿った道と考えられます。
そして、この「い」「ろ」2本の道の間に描かれている道(「は」と記入)は、おそらく、AALTOが現地を訪れて「計画敷地」へのアクセス路として相応しいとして、直ちに見出したルートだったのではないか、と思います。
AALTOの構想は、この道の見出し・設定から始まったのではないか、ということです。
かつての人びとの建物づくり・住まいづくりも、これと同じ過程をたどっていました。このことについて、下記で触れています。
私たちは、そのことを忘れて(あるいは、忘れさせられて)しまったのです。
「建物をつくるとはどういうことか−11・・・・建物をつくる『作法』:その1」
「建物をつくるとはどういうことか−12・・・・建物をつくる『作法』:その2」
既存の道 「い」「ろ」 は、この一帯に暮す地元の人びとが行き交う中で「自然に」生まれた、いわば「けものみち」と言ってよいでしょう。つまり、人びとが人びとの感性で見出した「自然な」ルート。
「い」「ろ」2本の道が分岐する地点は、左右の丘陵の間の鞍部:「たるみ」で、分岐するに相応しい「自然な」場所。それゆえAALTOは、アクセス路も、そこから始まるのが「自然だ」と判断したのだと考えられます。
人が当たり前の感覚で生み出す「道」の様態:「自然な道・けものみち」の誕生については、「道…どのように生まれるのか」で簡単に触れました。
農山村には、Y字型に分岐する道をたくさん見かけます。私の暮すところにもありますが、分岐する場所は、たいてい「納得のゆく」場所です。
いわゆる「計画道路」には、Y字路の計画は、ないのではないでしょうか。私は見たことがありません。
図をよく見ると、建物の線が何重にも描かれています。病棟の「向き」:できるだけ南面させること:と周辺の surroundings との関係をいろいろと考えた過程を示しているのではないでしょうか。コンパス(磁石)片手に、何度も森の中を歩き回ったのかもしれません。
アクセス路(「は」)にも、いくつか線が見えます。これも、建物位置と連動して、いろいろ考えられたのだと思います。
AALTOは、地図の上に、現地を、そして建物が建った後の状景・場景を、常に見て(観て)いるのです。
設計競技提出図面の配置図が下図(図中の標高数字は大きな字で補筆してあります)
縮尺が不明ですが、病棟の全長が約90mですから、90mで高低差最大3mほど。つまり、勾配1/30(3.3%)以下の緩い斜面です。
等高線の形が若干前図と違いますが、「計画・整地後の地形」を示しているのかもしれません。地形の「基本」を壊すことはしていません。
現在なら、まっ平らにしてしまうのではないでしょうか。
方位は、病棟の軸が東〜西です。
なお、図の左上の「マーク」は、この「提案」の「モットー」を示した「マーク」で、提出図のすべてに付してあり、
この「提案」のポイントである病室の「窓まわり」の図です(次回紹介予定)。
おおよそ建物を建てる場所を決め、次に、建物をどのように配置するか:レイアウト:の検討がなされます。
この段階のスケッチの量は膨大です。よくこれだけ多くのスケッチ類が残されている、と感心します。なぜなら、大半はトレーシングペーパーへ鉛筆描き。トレーシングペーパーはそれほど耐久性はないからです。中には、トレーシングペーパーの裏表に描かれているものもあります。
以下に、そのうちのいくつかを転載させていただきます。
そこから、AALTOの設計の(思考の)過程が見えてくると思います。
大気療法のための病棟の位置はおおよそ決まっていて、ここでは、いわば裏勝手:サービスなど:へのアクセスを考えているのではないかと思われます。このスケッチは、A4判ほどの紙へ鉛筆描き。
「病棟(前回掲載平面図のA)」と「共用棟(同B)」、「病棟」と病棟東端部の「多用途テラス」との「接続部」の平面、外観などの検討をしているようです。これも紙へ鉛筆描き。
次はトレーシングペーパーへの鉛筆描きスケッチ。両面に描かれています。
トレーシングペーパーゆえに、裏側の線が透けて見えています。
表面(図番 a )にエントランスの立面の検討、裏面(図番 b )では、配置レイアウトの確認と断面の検討をしています。
次も同じくトレーシングペーパー両面への鉛筆描きスケッチ。
表(図番 a )で、アクセス路〜エントランスを、平面、断面、パースペクティヴスケッチで検討しています。
裏面(図番 b )は、配置レイアウトの確認スケッチと思われます。
次は、病棟(A)〜エントランス〜共用棟(B)の平面図のスケッチ。トレーシングペーパーの表裏に鉛筆描き。
a は平面のスケッチ。下段に、裏面のスケッチ( b 図)が透けて見えています。
裏面( b ) は、再度配置レイアウトの確認をしているようです。
階段の向き、エレベーターの位置が最終案と異なります。
下は、同じ場所のもう少し詳しい平面図スケッチ。トレーシングペーパー鉛筆描き。
今回紹介する図・スケッチは以上です。
次回は、病室の窓まわり、家具など、工事段階の図やスケッチを紹介したいと思います。
ただ、数が多いので、選択・編集に時間がかかりそうです。
以上を見ただけでも、同じところの図・スケッチを、例えば同じ場所の平面図を、微細に変えるたびに何度も描いていることが分ります。変更箇所だけを直す、ということはしないのです。
配置レイアウトに至っては、ひっきりなしに描いています。これでいいかどうか、常時、確認作業を厭わずに行っているのです。
現在の設計のやりかたに慣れてしまっている人には、ムダな作業を繰り返しているように見えるかもしれません。
しかし、そうではない、決してムダではない、と私は思っています。むしろ、必須な作業なのだ、とさえ考えています。
そして、そのためには、「手描き」でなければならない、とも考えています。
紙の上に線を描く。手で描こうが機械が描こうが線は線であって同じではないか、と思われる方が、今は多いでしょう。
ところが大きく違うのです。
手で線を描く。その線が何を意味しているか、その位置でよいのか、・・・などを考えないと線は描けないはずです。私はそう考えています。
それは、機械で描いたって同じではないか、と思われるかも知れません。でも、違うのです。
手で描く場合には(定規を使おうが、フリーハンドであろうが)、描き終わった後、「描く」「描いた」という身体的「動作」が、記憶に残るのです。
なぜ記憶に残るか。それは、「考えた」からです。「しばし考えた後、はじめて描くという動作に移ることができた」ということを、体が(頭が)覚えているのです。
それゆえ、描かれた線の向うに「考えたこと」が隠れていて、描いた本人には、その線を見ただけで、「考えたこと」を思い出す、見えるのです。
つまり、「記憶」「記録」が、データファイルにではなく、本人の中に生き生きとして重層的に蓄えられているのです。
これが「手描き」の特徴なのです。
だからこそ、他人のスケッチでも、そこに描かれている線の向うに、おおよそではありますが、その人の思考(の過程)を想像し、辿ることができるのです。
現在、数値制御の木工機械が普及しています。複雑な継手・仕口も加工できます。いわゆるプレカットの機械です。町場の大工さんも使うようになってきました。
ところで、実際の加工は、誰がやっても同じでしょうか。
たとえば、ある仕口の加工を機械で加工する場合、
その仕口を手で刻んだ経験のある方の加工と、刻んだことのない方のそれとで、仕上がりは同じでしょうか?
違います。
手刻み経験者の加工の方が、どうしても上をゆくのです。
それは、加工する木材に対する「見かた」が違うからです。木への対し方が、教科書的、辞書的理解ではないのです。
CAD が普及し始めた頃、設計事務所の対応に二つありました。
一つは、もう製図板も建築士も要らない、オペレーターがいればいい、と考える方、
もう一つは、若い人にはすぐには CAD を使わせない、ある程度製図板上で図が描けるようになってからだ、と考える方。
そうでないと、CAD に使われてしまう、と考えたのです。computer aded ではなくなる、と感じたのです。年輩の方に多かったと思います。
私も後者に属します。人の行動は、その人の感覚に拠る。そして、感覚・感性はアナログである、と認識しているからです。
そして、そう考えれば、AALTOのスケッチの多さも理解できるのではないでしょうか。
このサナトリウムにかかわる患者・療養者、スタッフなどの人びとにとって、この既存の環境: surroudings の中に、いかなる環境: surroudings を用意するのが適切か、AALTOは考え続けているのです。だから、ああでもない、こうでもない・・・とスケッチが増えるのです。
そして、スケッチの内容を見ると、どうしたら「斬新な造形になるか」などということは、毛頭も考えてはいないことが読み取れるのではないでしょうか。
それは、パースペクティヴスケッチを見れば明らかです。そのときAALTOの念頭にあるのは、その造形が、サナトリウムの環境: surroudings :として適切であるかどうか、そのあくなき検討のためのスケッチなのです。だから、この場合も、同じ場所が、何度も描かれるのです。