大晦日は、夕方まで曇り空、時折り冷たい雨が当たりました。
今日は、快晴。
これは、先日の快晴の朝、神社の杜を撮った写真です。
昨日の続きの今日、今日の続きの明日・・・・。
今年もよろしくお願いいたします。
ところで、暮に一番気になったこと。
時の首相は、福島を訪れたそうですが、無人の街へは足を一歩も踏み入れなかった。
先ず訪れたのが、原発の事故処理作業者の拠点になっているJヴィレッヂ。「保守」作業従事者への激励だそうです。
それが不要とは言いませんが、事故は起こるべくして起きたこと。
先ず「被害者」と「被害地」を直かに視ることではないか、と私は思いました。
そして、最後に、形だけ(のように私には思えたのですが)仮設住宅に暮さざるを得ない避難者のところを訪れた。
更に、あろうことか、福島の地で、新しく原発を設ける、と語ったそうです。
「新しい原発」は、福島第一のそれよりも安全だから(大丈夫)という「理由」が「根拠」らしい。廃棄物の処理に、何らかの「進歩」があったのでしょうか?だから、旧い原発は、皆、廃棄する、そして新しいのに変える、それで「経済」が「再生」する・・・、そう考えているのでは・・。
また、環境相兼原発事故担当大臣は、原発再稼動については「新しい安全基準」が出来次第考える、と言っているようです。原発依存から脱却するなどという馬鹿げた夢は持たない、つまり、原発に依存し続けたい、という「夢」を見ているらしい。
どうしても「経済再興」のために(一部の人の犠牲があってもいいから)「電力が欲しい」と言うことなのでしょう。
「経済」の本来の意味が忘れられている。
東京新聞の社説は、論旨が一貫してます。しかも難しいことばでくだくだ言わない。
歳の暮の「年のおわりに考える」、そして今日の「年のはじめに考える」を、転載させていただきます。
東京新聞の社説=中日新聞の社説
また、大晦日の毎日新聞、山田孝男 氏のコラム、風知草もコピーして転載させていただきます。[追加 14.21]
数字でしかものが見えなくなる病、重症ですね。
ここに書かれている「見かけなくなった野鳥」、幸い、皆、当地では住まいの近くまでやってきます。