今年は、神社の大銀杏が、もう葉を落としてしまいました。
原発を稼動させないと、日本の《経済》は破滅する、《景気》は更に悪くなる、日本は沈没する・・・、と広言する《政治家》や《経済人》がいます。しかも声高に・・・。
しかし、《経済》が《好調》で、《景気がよかった》・・とき、いわゆる「ホームレス」の方がたが、街に、河原・・・にあふれていました。そして今もまったく変りはない・・。
更に福島の周辺では・・・。
福島の立ち入り禁止区域で、殺処分の指示を拒否し、400頭以上の家畜の飼育を続けている方が、東京の町ゆく人たちに次のように呼びかけている、という記事が昨日(14日)の毎日新聞に載っていました。
「福島を蹴飛ばし、犠牲の上に成り立つ皆さんの暮しはこのままでいいのか」
「原発がなきゃ仕事がないって言うけど、何もかも無くした福島を見てほしい」
この方のことは、かつて東京新聞などでも紹介されています。
世の中では、まるで何ごともなかったかのように、福島が放って置かれている、というのは私の変らぬ実感でもあります。
先日いただいた福島・いわき の知人からのメールに、次のような一節がありました。
・・・・・
今日から我家の屋根瓦の葺き替えです。
放射能汚染直後でしたら洗浄で洗い落とせたかも知れません。
瓦の中に放射性物質が染み込んでいて、表面を洗い流しても数値が下がりませんでした。
やっと瓦屋さんが来てくださり、葺き替えとなりました。
室内、ロフト天井面で0.14μシーベルト(昨年の今頃の測定値は0.17位でした)
から0.10μシーベルトまで下がりました。
屋根から降ろした瓦の山に線量計をかざすと0.3μシーベルトありました。
以前は線量計であちこちを計測し、言いようの無い不安な日々でしたが、
そのストレスを避けるためか、私達も含め皆計測することを止め、
考える事をしないようになってきています。
街は、廃炉や除染の為か 県外ナンバーの車が多く見受けられます。
又、災害復旧(まだまだ)でトラックが多く、幹線道路は渋滞します。
会津、二本松から いわき へ移り住む方々の応急仮設住宅が今も建設され、
仮設と別に災害公営住宅(津波や全壊、大規模半壊等方々用の)が1500戸が建てられるようです。
まだまだ落ち着く日がくるのは先のことのようです。
・・・・・
この部分を紹介させていただきたいとお願いしたところ、こころよく承諾いただきました。その旨の返信にも、次のようにありました。
・・・・・
夏に 浪江 の家屋調査に伺った家は、昨日まで生活していたそのままでした。
そのまま埃がかぶっていて、タンスなどからそのつど必要な衣類が持ち出されているようでした。
きれいに引っ越し荷物をまとめた家ではありません。
当時の急いで避難された様子がすぐわかりました。
又、食べ物があったからか、けものが入った形跡がありました。
建物の外からは判らないですね。
同じ夏、いわきの住宅団地(いわきニュータウン)で20区画程度の土地分譲がありました。
面積は80坪〜150坪、警戒区域内の方々の申し込みが多く、150坪の土地に10数倍の倍率、80坪は当初0でした。
楢葉、双葉、大熊、浪江の方々には150坪でも小さいのかも知れませんね。
まだまだですね・・・。
・・・・・
これは、無人地域に隣接する福島のなかでも比較的「安全」と見なされている町 いわき での話なのです。
こういう状態を知ったならば、原発を稼動して《景気》をよくしようなどと言えるはずはない、それがあたりまえ。
停止中の原発がある各地では、稼動しないと仕事が無くなる、地域が衰える・・・と《経済人》や《政治家》と同じことを言う方がたが、まだたくさん居られるようです。
無人になり荒れはてつつある福島の町や農地や山林・・・そして放って置かれた動物たち・・を、想像できないのかもしれません。
そう言えば、現場からの帰りに通り過ぎた東京の街は、「節電」などはとうの昔に忘れてしまったのでしょう、これでもかとばかりに輝いていました。
原発を稼動させないと、日本の《経済》は破滅する、《景気》は更に悪くなる、日本は沈没する・・・、と広言する《政治家》や《経済人》がいます。しかも声高に・・・。
しかし、《経済》が《好調》で、《景気がよかった》・・とき、いわゆる「ホームレス」の方がたが、街に、河原・・・にあふれていました。そして今もまったく変りはない・・。
更に福島の周辺では・・・。
福島の立ち入り禁止区域で、殺処分の指示を拒否し、400頭以上の家畜の飼育を続けている方が、東京の町ゆく人たちに次のように呼びかけている、という記事が昨日(14日)の毎日新聞に載っていました。
「福島を蹴飛ばし、犠牲の上に成り立つ皆さんの暮しはこのままでいいのか」
「原発がなきゃ仕事がないって言うけど、何もかも無くした福島を見てほしい」
この方のことは、かつて東京新聞などでも紹介されています。
世の中では、まるで何ごともなかったかのように、福島が放って置かれている、というのは私の変らぬ実感でもあります。
先日いただいた福島・いわき の知人からのメールに、次のような一節がありました。
・・・・・
今日から我家の屋根瓦の葺き替えです。
放射能汚染直後でしたら洗浄で洗い落とせたかも知れません。
瓦の中に放射性物質が染み込んでいて、表面を洗い流しても数値が下がりませんでした。
やっと瓦屋さんが来てくださり、葺き替えとなりました。
室内、ロフト天井面で0.14μシーベルト(昨年の今頃の測定値は0.17位でした)
から0.10μシーベルトまで下がりました。
屋根から降ろした瓦の山に線量計をかざすと0.3μシーベルトありました。
以前は線量計であちこちを計測し、言いようの無い不安な日々でしたが、
そのストレスを避けるためか、私達も含め皆計測することを止め、
考える事をしないようになってきています。
街は、廃炉や除染の為か 県外ナンバーの車が多く見受けられます。
又、災害復旧(まだまだ)でトラックが多く、幹線道路は渋滞します。
会津、二本松から いわき へ移り住む方々の応急仮設住宅が今も建設され、
仮設と別に災害公営住宅(津波や全壊、大規模半壊等方々用の)が1500戸が建てられるようです。
まだまだ落ち着く日がくるのは先のことのようです。
・・・・・
この部分を紹介させていただきたいとお願いしたところ、こころよく承諾いただきました。その旨の返信にも、次のようにありました。
・・・・・
夏に 浪江 の家屋調査に伺った家は、昨日まで生活していたそのままでした。
そのまま埃がかぶっていて、タンスなどからそのつど必要な衣類が持ち出されているようでした。
きれいに引っ越し荷物をまとめた家ではありません。
当時の急いで避難された様子がすぐわかりました。
又、食べ物があったからか、けものが入った形跡がありました。
建物の外からは判らないですね。
同じ夏、いわきの住宅団地(いわきニュータウン)で20区画程度の土地分譲がありました。
面積は80坪〜150坪、警戒区域内の方々の申し込みが多く、150坪の土地に10数倍の倍率、80坪は当初0でした。
楢葉、双葉、大熊、浪江の方々には150坪でも小さいのかも知れませんね。
まだまだですね・・・。
・・・・・
これは、無人地域に隣接する福島のなかでも比較的「安全」と見なされている町 いわき での話なのです。
こういう状態を知ったならば、原発を稼動して《景気》をよくしようなどと言えるはずはない、それがあたりまえ。
停止中の原発がある各地では、稼動しないと仕事が無くなる、地域が衰える・・・と《経済人》や《政治家》と同じことを言う方がたが、まだたくさん居られるようです。
無人になり荒れはてつつある福島の町や農地や山林・・・そして放って置かれた動物たち・・を、想像できないのかもしれません。
そう言えば、現場からの帰りに通り過ぎた東京の街は、「節電」などはとうの昔に忘れてしまったのでしょう、これでもかとばかりに輝いていました。