今回は、これも最近見かけなくなった「長押」について。
「長押」は、かつて、少し格の高い住宅に欠かせない化粧部材でした。
「長押」は、元はと言えば、古代日本において軸組工法の架構を保持するために工夫された技法・部材で、他地域には見かけません。
しかし、架構保持にとって「貫」の効能が広く確認され普及するとともに、「長押」は、「古代の建物の形式」を継承するための、つまり「様式」のための化粧部材となってしまいます。
その「謂れ」については、下記をご覧ください。
「日本の建物づくりを支えてきた技術−7」
「貫」は、軸組工法の他の部材と同じく、そのまま表に現れることを厭わない使い方がされていました(東大寺・南大門、浄土寺・浄土堂など)。
これについては、下記をご覧ください(関連記事も示してあります)。
「日本の建築技術の展開−9」
「日本の建物づくりを支えてきた技術−20」
しかし、「古代の建物の形式」にこだわる人びとの間では、「貫」の効能を知ってそれを用いても、表に現れないように隠す「習慣」が残ります。「貫」を表すと、古代の「形式」を損なうからです。
そのいわば「極値」がいわゆる「書院造」であったと見なすことができます。
そこでは盛大に「貫」が用いられ、架構の維持に大きな役割を担っているのですが、多くの場合、そのすべてが壁内に隠されています。
そして、その「隠すための方策」の一つとして、化粧の「長押」が使われました。
「長押」が柱の外面に設けられるため、その内側ならば、厚い「貫」をしまい込むことができるからです。
その方策の事例は、たとえば下記をご覧ください。
「園城寺・光浄院客殿の補足」
いわゆる「書院造」の「形式」は、そこに現れる「上下関係の格」が武家層に好まれ、武家の住居にも多用されたことは以前にも触れました。
明治以降、いわゆる幕藩体制の崩壊後、主たる都市居住者となった旧武家階級の人びとの住まいにもこの「形式」は、少し矮小化された形ですが、引継がれます。
つまり、「日本家屋構造」が紹介している「長押」は、古代に生まれた「長押」が、長い時間を経て行き着いた先の姿がである、と言ってよいでしょう。「長押」は、いわば、格の象徴であったのです。
したがって、すでにそこには、「長押」の「謂れ」:「来し方」を見ることはできません。
ここでは、「形式」をどうしたら確保できるか、という視点で語られます。その点に留意の上、お読みください。
第一 長押を柱に取付ける仕口
第五十一図は、長押を柱に取付ける仕口を表した図。
図の甲および乙は、長押を裏側から見た図で、柱に襟輪欠き(えりわがき)で取付け、釘彫りを設けた個所で鴨居に釘打ちする。釘打ちの間隔は8寸程度。
釘打ち箇所を丸鉋で凹型に削るのは、凹部の縁に力が集中して、長押と鴨居の密着具合をよくするための工夫。
図の丙は、長押の入隅(いりずみ:内側になる隅)の仕口を示す。上端側には目違いを設け、下端の目に見える部分を留めにする方法。
図の丁は、長押、鴨居(および貫)の断面図を示す。
長押の取付く位置には各種あるが、そのうち鴨居の上に取付けるのが普通で、これを内法長押(うちのり なげし)と呼んでいる。
長押(の幅)には、本長押、半長押などがある。
本長押は、その幅(丈)を柱径の8〜9/10ほど、半長押は6〜7/10くらいとするのが普通。天井長押(次項参照)は柱の6/10程度とする。
各部の大きさは、「製図編」の木割に示してある。
製図編の木割寸法の解説を、今回の末尾に転載します。
次は蟻壁についての解説。
第二 蟻壁および長押第五十二図の甲は、蟻壁を設けるときの各部の仕口を示すもので、図の乙は長押と鴨居の矧ぎ合せを裏面から見た図である。
図の丙は、床の間の柱に長押が取付く場合の仕口で、これを雛留(ひなどめ)と呼ぶ。
図の丁は、丙の平断面である。
図の戌は、長押を柱の三方に廻して留めとする一見鉢巻をしたような姿になる納め方で、枕捌(まくら さばき)と呼んでいる。
「枕」は「巻き裏」の訛りという説あり(「日本建築辞彙」)
蟻壁は、上等の客室で格天井として、その格子の縁と柱との割り合わせが悪い(縁の芯が柱の芯と微妙にずれる、など)ときに使われる方法である。
図のように、天井長押と蟻壁長押との間、柱径の1.2本分くらいを柱面と同面で壁とする。
格天井の場合だけでなく竿縁天井でも使われる。
また、蟻壁面は柱面と同面でもない。むしろ、柱の外面に壁がつくられる(大壁)。
代表的な例は下記をご覧ください。
「園城寺・光浄院客殿・・・・ふたたび」
この壁部分をなぜ「蟻壁」と呼ぶのかは不明です。「日本建築辞彙」では、「有壁とも書く」とあります。
なお、第五十一図、五十二図の貫には、数値が書いてありませんが、比率から見て、厚さが薄すぎます。
「園城寺・光浄院客殿の補足」で紹介の事例のように、
書院造のように壁内に隠蔽してしまう場合でも、
貫は厚さは、柱の径の1/4程度はあるのが普通です。
明治期の都市住居の貫は、すでに現在のいわゆる「ヌキ」材のように薄くなっていたのでしょうか。
次に、「第一」にあった、「日本家屋構造 製図編」の中の木割:各部材寸の項のうち、室内の部分を転載します。
後半は床の間の寸法について触れられていますので、今回までの事項にかかわる部分だけを整理して載せます。
敷 居:幅は柱の幅と同じ。縁側付の場合は柱幅の9.5/10。丈(高さ・厚さ)は2寸。
畳寄せ :敷居に同じ。
鴨 居:幅は柱径の9/10。丈(高さ・厚さ)は柱の3.5〜4/10。
付鴨居 :丈は鴨居と同じ。
内法長押:丈(幅)は柱径の8〜9.5/10。柱面から丈の1/5外に出す。
小壁釣束:柱の8/10角。
欄間敷居、鴨居:幅は柱の6.5〜7/10、丈(厚さ)は柱径の2.5/10。
天井長押:丈(幅)は柱径の6〜6.5/10。下端は柱の外面より柱径の1/5出す。
天井廻縁:丈(高さ)は柱の5/10。柱からの出は長押に同じ。
天井竿縁:柱径の3/10角、または高さ3/10×幅2.5/10。
以下は床の間の解説紹介のときに載せます。
ここで示されている数字でつくらなければならない、というわけではありません。
また、以前に「匠明」の紹介時に触れたように、木割書の通りにすれば、かならず見栄えよくなるわけでもありません。
最終的には、制作者の感性に拠ります。
次回は「床の間」まわりの解説の項を紹介します。