いろいろと用事が輻湊して間遠くなりましたが、小屋組の解説の続きです。
今回は、梁の架け方:京呂組と折置組について。
[註追加 26日 9.44]
[註追加時の操作で、図版が別の図になってしまいました。補正します。27日 10.34]
「第三 京呂梁と折置梁の区別
京呂梁とは、先ず柱の上部に桁を架け、その上に梁を仕掛ける方法。
折置梁は、柱の上に梁を架け、その上に桁を載せる方法。
第三十七図の甲は京呂梁の側面図。
図の右側の仕口は、桁に渡り腮(わたり あご)で架けた場合の図、左側は兜蟻(かぶと あり)で架ける場合の図。
図の乙は、渡り腮の仕口。
梁の木口(こ ぐち)を桁の外側まで伸ばし、桁の内外の側面を桁幅の1/8ほど残した大入れとして渡り欠きを彫り、内側の側面には蟻掛けをつくりだす。
桁の上端は、内側の角から外側の口脇の角にかけて斜めに欠き取り、梁の下端もこの欠き取りに合わせ欠き取り、両者を嵌め合わせる。
梁の上端は、垂木の上端に合わせて勾配なりに削り、木口に垂木を受ける垂木彫(たるき ぼり)を彫る。
梁の下端は、桁の水墨(みずずみ)を下端とするのが定めではあるが、梁の形状によっては、多少下げることもある。
図の丙は、兜蟻の仕口。
梁を桁上端の真(芯)で切り止め、木口を面戸板で隠す。
桁には渡り腮の内側同様、蟻掛けで掛ける。
垂木は、梁の端部にわなぎ彫(輪薙彫)で取付ける。
図の丁、戌は、柱と桁の取合いおよび桁の継手を示す。
桁の継手としては追掛大栓継がよい。金輪継もよいが、その際は、あらかじめ地上で組んでおくこと必要で、建て方が難しい(後註)。」
語彙の説明 「日本建築辞彙」(新訂版)の解説
仕掛(け)る 一木を他の木の上へ、取付けることをいう。
それよりして・・・仕掛けるための切欠きを仕掛(しかけ)と称するに至れり。・・
わなぎ彫 一つの木を他の木に、わなぎ込むために、後者を彫ることなり。
わなぎ込む 一つの木を他の木に食ます(はます)こと。
補注 相欠き、渡り腮などは、組合わせる二材の双方を刻むが、この場合は片方の材は原型のまま。
「わなぐ」という動詞は、一般の国語辞典にはありません。語源不明です。ご存知の方、ご教示ください。
当然、「輪薙」という表記は、当て字でしょう。
兜蟻 その外形が兜に似ているから、と説明を聞いたことがあります。
要するに、普通の蟻掛けです。
次は折置組について
「第四 折置梁
第三十八図の甲は、折置梁の側面図。同じく乙は軒桁、丙は折置梁の仕口を示している。
軒桁は、梁に1寸〜1寸5分ほどの深さで渡り欠きにして、梁の両側面に深さ5〜6分ほどの大入れ(追入れ)とする。
この場合、柱の枘は重枘(じゅう ほぞ、またはかさね ほぞ)として桁の上端まで差し通す。
図の丁は、梁の木口を板に写し取り、他の梁に転写する方法を示す。写し取る板をヒカリ板という。
この方法は、どのような場合でも、正確に転写することができる。」
補注 ヒカル または シカル
ヒカリ付け または シカリ付け
これも語源が分りませんが、礎石の形に合せて柱の下端を削るなど、一般に転写する方法を言います。
シカルはヒカルの江戸弁なのか、よく分りません。
ご存知の方、ご教示ください。「日本建築辞彙」には載っていません。
補足
京呂組、折置組は、古代から用いられている方法です。
ただ、古代の例は、どちらの方式でも、必ず、梁の両端の下部には柱が立っています。
ある時代以降(正確には分りませんが近世末ではないか、と推測しています)、京呂組で、大きな断面の材を柱から持ち出した位置で継いで桁を架け、桁の中途に梁を架けることによって、すべての梁の下に柱を設けない方法が生まれます。柱を間引くことを目的とした方策と言えるでしょう。今回の京呂組の図解:第三十七図は、その例です。
もちろん、古代の京呂組でも、建物が長くなれば、当然桁を継ぐ必要が必ず生じますが、その時は、柱の真上:芯で継ぐ方法を採るのが普通です。
すなわち、古代の京呂組は、柱を抜くことを目的とはしていなかった、と考えてよいと思います。
古代の事例は、下記をご覧ください。
「日本の建物づくりを支えてきた技術−5・・・・礎石建て2・原初的な小屋組」
なお、一般の農家や商家の建物では、通し柱や差物、差鴨居のような横材を使用することで柱を抜く策を採っていますが、持出継ぎで継いだいだ桁を用いている例は見かけないようです。
下記で、差物、差鴨居を用いることで柱を抜いた古井家の例を紹介しています。
「日本の建築技術の展開−25・・・・住まいと架構・その2 差鴨居の効能」
ことによると、京呂組+持出継ぎは、一般の武家系の住居で多用された方法なのかもしれません。多くの武家系の住居は、見かけの上で書院造を模したつくりが多いからです(「見かけ」と「形式」の重視)。
書院造では、桔木(はねぎ)や長大な桁を使って柱を抜いている例が多く、それを模すために、(長大な材を得ることは一般には至難であるため)短い材を継いで長い材にする方策が生まれたのだと思われます。
持出継ぎは、寺院や書院造では、架構材には使われず、化粧の材で使われています。このあたりについては、下記をご覧ください。
「日本の建物づくりを支えてきた技術−25・・・・継手・仕口(9)中世の様態」[追加 26日 9.44]
明治になって都市に暮すようになった人びとは、圧倒的に旧武家の方がたです。「日本家屋構造」で紹介されている家屋は、その方がたの住まいの代表的な事例をとり上げているのかもしれません。