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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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この国を・・・・27:詭弁

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梅雨の晴れ間、夕方の陽射しの中で神社の老杉が映えていました。若緑色の葉も、この杉のもの。
高さは30mを越えていると思います。[18日 20.22 追加]

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車を運転しながら、聞くとはなしに聞いていたラヂオで、15歳の女性(高校生か)と、54歳の「エネルギー問題の専門家(男性)」の「応答」が耳に入りました。

15歳の女性、「原発は数万年もの間放射線を放出する、何世代にもわたって危険をふりまくことになる廃棄物の処理が問題だ」、
専門家曰く「太陽光発電だって、永久ではないから廃棄物が生じる。その点では、原発と変らない・・・」。
15歳の女性は即座に返す。
「太陽光発電の廃棄物は、放射線を放出することはない」・・・。

明らかに15歳の女性に「理」があります。勝負あった、です。
私は、この若い方に敬意を表したい、と思ったものです。
「大人」よりも、はるかに「理的」である・・・。もしかしたら、将来は明るいのかも・・・。

おそらく、この「専門家」は、多分それが「専門家」を自称する方がたの本性だと思われますが、こういう「説明」で、非専門家は納得させることができる(チョロイものだ・・・)、と思っているに違いありません。
これを「詭弁」と言います。
「詭弁」とは、「本来つじつまの合わない事を強引に言いくるめようとする議論」(「新明解国語辞典)
そして、原発再起動を「決断した」政府の、総理をはじめ各位の発言もまた「詭弁」。
本来、日本語は、こんなに「軽い」ものではない。
往時の人たちが聞いたら、呆れ返るのではないでしょうか。

web上で、原発再起動に対する新聞の社説を読み比べてみました。
その中で、最も明解な見解を表明しているのは、「東京新聞」だ、というのが私の感想です。
歯に衣を着せたような文言、あるいは、もってまわったような文言、ではありません。
下記に転載させていただきます。
段落は、読みやすいように変えてあります。

【社説】
大飯原発が再稼働へ 私たちの望む未来は   2012年6月17日

政府は、大飯原発3、4号機の再稼働を決めた。
だが、私たちは日本の未来をあきらめない。
原発に頼らない社会を目指そう。節電の夏にも挑もう。

「福井県の決断に感謝したい」と、野田佳彦首相は言った。
まさか、危険を背負い続けてくれることへの感謝ではあるまい。

東日本大震災のあと、私たちはこの国を変えようとしてきたはずである。
何よりも命を貴び、災害に強い地域をつくる。そのために私たち一人一人も変わろうとしてきたはずだ。

◆安全の根拠はどこに

原発の再稼働を、このような形で今許すのは、間違いだ。新しい日本が遠ざかってしまう。

第一に、福島の事故原因がわかっていない。
まだ誰も責任を取っていない。
誰もきちんと謝ってはいない。
そういうあいまいさの中での再稼働なのだ。

政府はまるでピンポンのように、「責任」というボールを地元に投げ付けて、最終的には、野田首相、枝野幸男経済産業相ら関係閣僚の協議で決めた。

最後が政治判断というのは、間違いではない。
だが、それには大方の国民が納得できる科学的根拠が欠かせない。

政治判断のそもそもの根拠にされた安全基準は、経産省の原子力安全・保安院がたった二日で作った即席だ。
福島第一原発事故の張本人で、間もなく解体される予定の保安院が作った安全基準を、国民として信じられるはずもない。
新たな原子力規制機関の設置法は、まだ成立していない。
原発の安全をはかる物差しが、今この国には存在しないのだ。

ところが、関西電力が一方的に主張する「この夏14・9%の電力不足」という予測だけを前提に、流れ作業のように再稼働へと判断が進んでいった。

非常時の指揮所になる免震棟と放射性物質のフィルターがついたベント(排気)設備は、それぞれ二〇一五年度、防潮堤のかさ上げは来年度にしか完成しない。
地表がずれて原子炉を損傷させる恐れがあると専門家が指摘する、原発直下の断層に至っては、再調査の予定もないという。

後ずさりする政治をよそに、私たちは、今も変わろうと願っている。
政府がなすべきことは、綿密な節電計画を立てて、国民によく説明し、協力を求めることだったのではないだろうか。私たちは喜んで受け入れた。

◆世界はグリーン経済へ

太陽光パネルや家庭用燃料電池を取り付ける家が増えている。装いは涼しく、エアコンは、ほどほどに。打ち水をし、風鈴を軒に下げてみるのもいい。際限なき電力依存から抜け出そう。

モニターの数字を見ながら、ゲーム感覚で節電を楽しむ家庭も増えた。

多くの企業は、直接の経費節減につながり、ビジネスチャンスの宝庫でもある省エネへの取り組みをやめるはずがない。

二十日からブラジル・リオデジャネイロで始まる「国連持続可能な開発会議」もテーマに掲げたように、世界の潮流は、省エネ、省資源のグリーン経済だ。

経済の繁栄は、原発ではなく持続可能性の上に立つ。
技術立国日本こそ、グリーン経済移行の先頭に躍り出るべきなのだ。

そのためには、原発の寿命を最大でも四十年と厳しく定め、この間に風力や太陽光、太陽熱の効率利用に磨きをかける。

移行期間は水力や火力でつなぐ。クリーン・コール(有害排出物の少ない石炭燃焼)技術などを駆使した小規模な発電所を、可能な限り地域に分散配置して、高度な通信技術で需給の管理を図るエネルギーの地産地消が望ましい。

廃熱を利用し、蓄電技術に磨きをかけ、国内に豊富な地熱や森林(バイオマス)などの資源も、もっと活用すべきである。

日本経済の未来をひらいてくれるのは、原発ではなく、積み上げてきた省エネ技術なのである。

国民は原発の立地地域にも、深い理解を寄せている。原発の危険と隣り合わせに生きてきた地元の痛みを感じている。

原発マネーが支える暮らしは永続しない。
電力への依存をお互いに改めて、この国全体の体質改善を目指したい。

◆なし崩しは許さない

大飯原発3、4号機は、動きだす。
しかし、例えば四国の伊方原発、北海道の泊原発と、再稼働がなし崩しに進むのを、私たちは恐れる。
安全と安心は立地自治体はもちろん、日本全体が求めてやまないものだから。

福島の教訓を教訓以上の成果にするため、私たちは立ち止まらない。
福島に報いることでもある。原発推進、反対の立場を超えて、持続可能な新しい日本を築く。

同じ日の同紙コラム「筆洗」も紹介します。

筆洗   2012年6月17日

全国の原発がすべて止まったのは五月五日の「こどもの日」だった。
きょうの「父の日」を前にして、関西電力大飯原発再稼働が正式に決まったのはどこか示唆的である
▼福島第一原発の事故では、何万人もの人が故郷を失う代償を払った。
子どもの未来のために、原発に依存しない社会の実現を願う気持ちを、強圧的な父権が経済原理で蹴散らす。
そんな構図が見えてくるからだ
▼大飯原発を皮切りに、野田政権は停止中の原発を順次、再稼働させたいようだ。
その理由も電力の不足というより、燃料費の高騰で電気料金が上がると、国民生活に影響が出るという理由に変わってきている
▼消費税増税関連法案の修正協議は民主、自民、公明三党の「密室の談合」で合意したが、増税の生活への影響は電気代の値上げの比ではない。
増税の大義名分が「子孫につけを残さない」というなら、原発ほど膨大なつけを残す存在もないだろう
▼首相官邸の前などには連日、多くの人が集まり、再稼働に反対する声を上げた。
震災後に亡くなった岸田衿子さんの詩を引く。
<一生おなじ歌を 歌い続けるのは/だいじなことです むずかしいことです/あの季節がやってくるたびに/おなじ歌しかうたわない 鳥のように>
▼震災の前に、時計の針を戻そうという流れが急速になっている。
それにあらがうには、歌い続けるしかない。


以下は、2週間ほど前の東京新聞の社説です。

【社説】
「大飯」再稼働へ 地元の苦悩を思いやれ   2012年6月1日

関西電力大飯原発3、4号機の再稼働について、政府は「安全」を置き去りにしたままで、七月実施に突き進む。
「最後は私の判断で」と野田佳彦首相。
無策の政府に、どんな責任がとれるのか。

すべてがあいまいなまま、ずるずるとことが進んでいく。
明確なのは、七月二日というタイムリミットだけ。
この夏のピーク時に、管内で14・9%の電力不足になるという試算に基づき、関西電力が15%の節電要請を出す日である。

起動したあと、フル出力に達するまでに六週間。七月二日から逆算し、早々に再稼働を決めてしまいたいという、つじつま合わせの計算だけが、そこにある。

国会の調査結果が、教訓として生かされたわけではない。
科学的根拠も薄く、国民の安全という物差しは、見当たらない。

最後は政治判断と言うものの、責任逃れの応酬は目に余る。
福井県は、まず首相に明確な責任ある見解を求めるといい、政府は、地元の同意を待つと、福井県にボールを投げ返す。

拙速な再稼働に反対のようだった関西広域連合は、再稼働を容認したとも、していないとも受け取れる、抽象的な態度になった。
再稼働を決めた責任も、万一、大停電が起きたときの責任も負いたくないのだろうか。だから、あいまいなものになる。消費者、市民の多くが節電への挑戦を覚悟しているというのにだ。

福島第一原発事故から一年余、政府はいったい何をしてきたのだろうか。
この国のエネルギー政策をどうするか、原発をどうするか、具体的な未来図を示せない。

電力会社は、十分にデータを開示しないまま、停電と値上げの心配だけを押しつける。

この間、国の無策と無責任に翻弄(ほんろう)され続けてきたのが、地元おおい町であり、全国の電力消費者にほかならない。

財政の約半分を原発関連の交付金などに依存するおおい町にとって、原発の存廃は死活問題だ。
町民の多くは安全と生活の糧のはざまで、心引き裂かれるような状態が続いているに違いない。
だが、大飯原発の寿命もせいぜいあと二十年。未来を生きる世代のために、原発に代わる地域おこしを、考え始めるべきときだ。

これまで苦悩を押しつけてきた消費地の責任として、新しい未来をともに考えたいし、応援もしたい。
そのためにも、安易な再稼働をこのまま許すべきではない。

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