[末尾に、追記しました 5日 11.45]
東京在住の知人から次のようなメールをいただきました。
・・・・・・・
実は今日「改正省エネルギー法を考える」勉強会に行ってきました。
2020年には「次世代省エネルギー基準」が全ての住宅で義務付けられるとのこと。
仕様規定で行く場合、東京では壁に110mmの断熱材が必要です。
「次世代省エネルギー基準」的には窓の少ない閉鎖的な住まいが良いらしいです。
そして省エネ・省CO2・長期優良住宅などの補助事業には税金がジャブジャブ使われています。
おかしなことになっています。
多少の暑さ寒さに耐えられる頑丈な身体を作る方が、私は大事だと思うのですが・・・。
これは、国土交通省が行なっている「次世代省エネルギー基準2012」についての《対応》を考える「勉強会」のようです。
すでに、2000年ごろから《住宅性能評価》という《制度》が出回っています。住宅の《品質確保法》が基にあります。
要するに、この法律が定める《指標》によって、住宅をランキングする、というもの。
この内容が、いかに non-scientific であるかについて、下記で触れています。
「観察、認識、そして『分る』ということ−3」
メールにある「東京では壁に110mmの断熱材が・・・」というのは、法律が、日本をいくつかの地域に分け、各地域ごとに《評価基準》が異なるからです。
簡単に言えば、地域ごとの「環境条件」(例えば平均気温とか・・)によって異なる。
しかし、「地域によっても変らないもの」が《評価》の前提になっているはずだ、と私は見ています。
すなわち、いわゆる「都会風の暮しかた」を前提にしている、ということ。
つまり、都会の家込みのなかで、極力「外気」を内に入れず、「内気」を「空調(空気調和:air-conditioning ) 」によって維持するのが当たり前、という暮しかた。
別な言い方をすると、「内気」を心地よく維持するために、「外気」を平常状態よりも熱し(夏季)、あるいは冷やす(冬季)のを当たり前、と見なす暮しかた。
緑に囲まれ、適宜に風を内に通し、自然の恵みに応じて暮す暮しかたはまったく念頭にない、ということ。
往時の日本人の暮しは、すべて、どこでもこうだったのです。
場所によって違うのは、開口部の量と開口装置のつくりかた。
何度も書いていますが、
「内法までの引戸(雨戸も含む)+開閉可能な欄間」、「縁側を設ける」などは、
最高の「対応」、と私は考えています。
そして、
現在の都会の姿をつくってしまったことこそが、エネルギー浪費の最大の因なのではないでしょうか。
人びとは、地域の状況に応じて、適切に対応していた。
当たり前ですが、同じ地域のなかでも、均一ということはなかった。
どう対応するかは、暮す人、それぞれの判断。これが当たり前。
法令が暮しかたを規定する、などというバカなことはしなかった。
人びとは、為政者も含め、聡明だったのです。
ことによると、そんなバカな、それではメチャクチャになってしまうではないか、と思う方も居られるかも知れませんが、それは、「現在が当たり前である、と思い込んでいる」からです。
「現在の様態」は、決して当たり前ではないのです。現在のいわゆる「都会の暮しかた」を、「世界標準である」などと思わないでください。
メチャクチャなのは、日本の都会の姿の方なのです。それは、人の暮す場所として「異常」なのです。
決して「標準」ではない、そのことに気付く必要がある、と私は思っています。
「SURROUNDINGS について−12」でも触れました。
この件にも通じる論を、今朝の毎日新聞で、山田孝雄氏が展開していました(朝刊「風知草」)。
まったく同感です。コピーを転載します。
蛇足ですが、私は、小学校で、頭からDDTの粉末をかけられた世代です。
追記[5日 11.45]
昨日、・・・現在の都会の姿をつくってしまったことこそが、エネルギー浪費の最大の因なのではないでしょうか、と書きました。
この点について補足します。
たとえば、東京23区内(他の大都市でもそうでしょう)。
電車に乗る人で、JRも私鉄も、時刻表を持っている人はいないでしょう。待っていれば直ぐに来る。時刻表など不要。山手線なら、一時間に20〜30本のときがある。
なぜ、そんなに本数が多いのか。乗る人が多いからです。
なぜ多いか。人口が多く、通勤者がある一帯に集中しているからです。
なぜ、集中しているのか。その方が、仕事の進行上、「効率がいい」からと思っているからです(この IT 全盛の世でも・・)。・・・
そして、その電車は、どれも、車内「空調」用機械を積んで動いています。夏ならば、生じた熱を振り撒いて走っています。
膨大な電力を使いながら・・・。
その一方で、私の暮す地域では、バスは廃止されています。採算上、「効率がよくない」からです。
で、どうなるか。車に乗れる人は車を運転します。運転できない人は、誰かに乗せてもらいます。乗せてもらえない人は・・・、不便をかこつしかありません。
一家に2台はあたりまえ。車は化石燃料が要ります。
註 最近、行政の予算で、1ルートだけ、一日5本!運行されるようになりました。
ルートに遠い人は、ルートまで車で来て乗り替えるでしょうか?
バスは使わないで、そのまま車で行きます。当たり前です。
あれもこれも、「均衡」がとれていないないからです。
そして、この不均衡こそが、エネルギーを非効率的に消費しているのです。
省エネの根幹は、《断熱材》を厚くするなどという小手先の策ではなく、この不均衡の基を除去することだ、と私は考えています。
註 世の中に、断熱材は存在しません。あるのは「保温材」です。熱伝導の少ない材。
では、どうするか。
たとえば、都会の電車の本数を50%減らすのです。そして、「空調」もやめるのです。
どうなるか。猛烈な混雑になるでしょう。夏は猛烈に暑いでしょう(冬は空調不要かも・・・)。痛勤になります。悲鳴をあげる人も出てくるでしょう。
でも、バス1本もない地域では、ずっと、人びとが悲鳴をあげてきているのです。
都会に暮すなら、電車は込むのが当たり前・・・。空気が汚れているのは当たり前。・・・
そうなれば、都会に暮すのがイヤになる方がたも出てくるでしょう。
これが最高の都市計画。人口集中が「自動的に」減るはずだからです。
都会だけを「便利」にしてはならないのです。
都会を、不便な場所にしようではありませんか。バス1本もない地域と同じように。
註 こういう私の考え方は、東京にいたときに「育まれた」ものです。
この点については、すでに下記でも触れています。
「本末転倒の論理・・・・『複雑系』のモデル化を誤まると」
東京在住の知人から次のようなメールをいただきました。
・・・・・・・
実は今日「改正省エネルギー法を考える」勉強会に行ってきました。
2020年には「次世代省エネルギー基準」が全ての住宅で義務付けられるとのこと。
仕様規定で行く場合、東京では壁に110mmの断熱材が必要です。
「次世代省エネルギー基準」的には窓の少ない閉鎖的な住まいが良いらしいです。
そして省エネ・省CO2・長期優良住宅などの補助事業には税金がジャブジャブ使われています。
おかしなことになっています。
多少の暑さ寒さに耐えられる頑丈な身体を作る方が、私は大事だと思うのですが・・・。
これは、国土交通省が行なっている「次世代省エネルギー基準2012」についての《対応》を考える「勉強会」のようです。
すでに、2000年ごろから《住宅性能評価》という《制度》が出回っています。住宅の《品質確保法》が基にあります。
要するに、この法律が定める《指標》によって、住宅をランキングする、というもの。
この内容が、いかに non-scientific であるかについて、下記で触れています。
「観察、認識、そして『分る』ということ−3」
メールにある「東京では壁に110mmの断熱材が・・・」というのは、法律が、日本をいくつかの地域に分け、各地域ごとに《評価基準》が異なるからです。
簡単に言えば、地域ごとの「環境条件」(例えば平均気温とか・・)によって異なる。
しかし、「地域によっても変らないもの」が《評価》の前提になっているはずだ、と私は見ています。
すなわち、いわゆる「都会風の暮しかた」を前提にしている、ということ。
つまり、都会の家込みのなかで、極力「外気」を内に入れず、「内気」を「空調(空気調和:air-conditioning ) 」によって維持するのが当たり前、という暮しかた。
別な言い方をすると、「内気」を心地よく維持するために、「外気」を平常状態よりも熱し(夏季)、あるいは冷やす(冬季)のを当たり前、と見なす暮しかた。
緑に囲まれ、適宜に風を内に通し、自然の恵みに応じて暮す暮しかたはまったく念頭にない、ということ。
往時の日本人の暮しは、すべて、どこでもこうだったのです。
場所によって違うのは、開口部の量と開口装置のつくりかた。
何度も書いていますが、
「内法までの引戸(雨戸も含む)+開閉可能な欄間」、「縁側を設ける」などは、
最高の「対応」、と私は考えています。
そして、
現在の都会の姿をつくってしまったことこそが、エネルギー浪費の最大の因なのではないでしょうか。
人びとは、地域の状況に応じて、適切に対応していた。
当たり前ですが、同じ地域のなかでも、均一ということはなかった。
どう対応するかは、暮す人、それぞれの判断。これが当たり前。
法令が暮しかたを規定する、などというバカなことはしなかった。
人びとは、為政者も含め、聡明だったのです。
ことによると、そんなバカな、それではメチャクチャになってしまうではないか、と思う方も居られるかも知れませんが、それは、「現在が当たり前である、と思い込んでいる」からです。
「現在の様態」は、決して当たり前ではないのです。現在のいわゆる「都会の暮しかた」を、「世界標準である」などと思わないでください。
メチャクチャなのは、日本の都会の姿の方なのです。それは、人の暮す場所として「異常」なのです。
決して「標準」ではない、そのことに気付く必要がある、と私は思っています。
「SURROUNDINGS について−12」でも触れました。
この件にも通じる論を、今朝の毎日新聞で、山田孝雄氏が展開していました(朝刊「風知草」)。
まったく同感です。コピーを転載します。
蛇足ですが、私は、小学校で、頭からDDTの粉末をかけられた世代です。
追記[5日 11.45]
昨日、・・・現在の都会の姿をつくってしまったことこそが、エネルギー浪費の最大の因なのではないでしょうか、と書きました。
この点について補足します。
たとえば、東京23区内(他の大都市でもそうでしょう)。
電車に乗る人で、JRも私鉄も、時刻表を持っている人はいないでしょう。待っていれば直ぐに来る。時刻表など不要。山手線なら、一時間に20〜30本のときがある。
なぜ、そんなに本数が多いのか。乗る人が多いからです。
なぜ多いか。人口が多く、通勤者がある一帯に集中しているからです。
なぜ、集中しているのか。その方が、仕事の進行上、「効率がいい」からと思っているからです(この IT 全盛の世でも・・)。・・・
そして、その電車は、どれも、車内「空調」用機械を積んで動いています。夏ならば、生じた熱を振り撒いて走っています。
膨大な電力を使いながら・・・。
その一方で、私の暮す地域では、バスは廃止されています。採算上、「効率がよくない」からです。
で、どうなるか。車に乗れる人は車を運転します。運転できない人は、誰かに乗せてもらいます。乗せてもらえない人は・・・、不便をかこつしかありません。
一家に2台はあたりまえ。車は化石燃料が要ります。
註 最近、行政の予算で、1ルートだけ、一日5本!運行されるようになりました。
ルートに遠い人は、ルートまで車で来て乗り替えるでしょうか?
バスは使わないで、そのまま車で行きます。当たり前です。
あれもこれも、「均衡」がとれていないないからです。
そして、この不均衡こそが、エネルギーを非効率的に消費しているのです。
省エネの根幹は、《断熱材》を厚くするなどという小手先の策ではなく、この不均衡の基を除去することだ、と私は考えています。
註 世の中に、断熱材は存在しません。あるのは「保温材」です。熱伝導の少ない材。
では、どうするか。
たとえば、都会の電車の本数を50%減らすのです。そして、「空調」もやめるのです。
どうなるか。猛烈な混雑になるでしょう。夏は猛烈に暑いでしょう(冬は空調不要かも・・・)。痛勤になります。悲鳴をあげる人も出てくるでしょう。
でも、バス1本もない地域では、ずっと、人びとが悲鳴をあげてきているのです。
都会に暮すなら、電車は込むのが当たり前・・・。空気が汚れているのは当たり前。・・・
そうなれば、都会に暮すのがイヤになる方がたも出てくるでしょう。
これが最高の都市計画。人口集中が「自動的に」減るはずだからです。
都会だけを「便利」にしてはならないのです。
都会を、不便な場所にしようではありませんか。バス1本もない地域と同じように。
註 こういう私の考え方は、東京にいたときに「育まれた」ものです。
この点については、すでに下記でも触れています。
「本末転倒の論理・・・・『複雑系』のモデル化を誤まると」