「筑波通信 №7」 1982年10月
忙中閑話 三題
「鉄の女」イギリスの首相が来日し、研究学園都市を訪れ、とある研究所で、そこで開発している機器による(コンピュータによる)肖像画を目の前でつくり贈られ「ワンダフル!」と言ったとかいう記事が、その画のコピーとともに新聞に出ていた。多くの人もまた、「ワンダフル」と言うかどうかは別としても、驚くにちがいない。
だが、もしも一人の画家がいて、首相の前にすすみでて、すらすらと彼女の肖像画を描いて手渡したとしたらどうなるか?おそらく彼(あるいは彼女)は、たちまちにしてつまみだされてしまうだろう。少しおかしいんじゃない?多分多くの人はそう思う。仮にその手描きの肖像画がコンピュータによるそれに比べていかにすばらしいできであったとしてもそれには決して驚かず、つまみだすことの方に夢中になるだろう。
そうしてみると、この「ワンダフル!」がいったいなにに対して発せられたのかが問題となる。言うまでもなくそれは、機械に(人間の目に極力近いように)図像を識別させ、更に描かせようとする試みが、ここまで到達したということに対するもので(本来は)あるはずである。その技術の発展はたしかにすごいことである。そしてそれはまた、絵の下手な人が描くスケッチよりも、正確であるという点では(なにが正確なのかは別の問題としても)たしかに正確のはずである。だから、多くの新聞で、なにかものすごいことが行なわれた、日本の技術の勝利、とでも言うかのような胸をはった紹介のされかたがなされていた。
恐ろしいのは、この驚きの段階を越えたあとの、人々のこの「技術」に対する対しかたである。うっかりすると、機械が画を描くことができるようになった、その技術のもつ価値が、描かれた画の価値にすり代ってしまう。機械の描く画に価値があって、人間が描くものには価値がないなどということにもなりかねない。だれでもがと言ってもよいほどいま多くの人がコンピュータに気がいっている。全く同じことも、コンピュータを一度経由させて言わせると一段と価値が高まるかのごとき風潮さえ見うけられる。
だがしかし、コンピュータにことを処理させているのは、他でもない、人間であるということは忘れてもらいたくない。機械は、人間によって教えこまれた有限の数のパターンの処理のしかただけを正確に覚えているだけなのだということを忘れてもらいたくない。仮に機械に臨機応変の処理をさせることができるようになったとしてもその場合もまた教えこまれた場合の数だけに対してのものであって、それは決して本来の意味での臨機応変ではない。教えられなかった場面に対しては、お手あげなのである。
そして、こんなことは言うまでもないが、人間の目は、そして人間の思考は、有限ではなく無限の対応を示すことができる。しかも、ひとりひとりが、である。そしてまた、機械はいつでも(一度教えこまれたら最後)同じ結果を生みだすだろうが、人間は人により、そして場面により、どこを切っても同じ金太郎あめみたいなわけにはゆかないのだ。逆な言いかたをすれば、そうであることこそ(金太郎あめでないことこそが人間であることの証なのだ。
しかし世のなかには、人々がみな金太郎あめであることを望む人たちがいる。コンピュータのように、いつでもどこでも寸分違わぬ画を描くような人々に人々を仕立てあげたがっている人たちがいる。
そして、機械が画を描くということに対する単純な驚きが、それを越えて機械や技術に対しての(単純な)信奉になってしまったとき、もともとそれらの機械や技術を考えだす根幹に存在していたはずの、私たちそれぞれの感性が見失われ、信じなくなり、金太郎あめができあがる。
私たちは、なにも自らすすんで金太郎あめになる必要はない。仮に下手だと人に言われようが、私たちひとりひとりが描く画に、コンピュータの描くそれよりも、比較にならない(し得ない)価値がある。
教科書の「記述・表現」問題。「近隣諸国との友好を損なう」から改めるのだという。それで「決着する」のだという。
問題はそんなことだったのだろうか?
近隣諸国(だけではないが)の人々が問題にしたのは、教科書によって若い世代の人々に対して正しい事実であるかの如くに「知らされること」が(なにも近隣諸国の人々の視点にたたずとも)事実と異なっていたからに他ならず、しかもなににもまして、それらの事実は全てそれらの諸国において起きた彼らにとって「こちら側」のことだったからである。要するに「うそつき」だからなのである。「うそつき」だから「友好」のためにならないと言ったのである。ことの本質は、事実と「知らせることの内容」との関係のはなしなのであって、もちろん単なる文章表現の問題ではなくその内容のはなしだったはずなのだ。
おかしなことが、おかしなままであまりにも多くまかり通るとき、そのおかしなことがいつのまにかあたりまえなことのように思われてしまうようになる。あやまりをあやまりと見ぬき、言う感性がまひしてしまうのだ。なぜなら、誤った情報、誤りではないにしても言わば一方的な解釈によった情報の洪水のなかで生きるとき(しかもそれが唯一絶対であるかの装いをこらしていると)、私たちは自らの感性によるその真・偽正・誤に対しての判断を省略し(他人のつくった判断に委ね)、それらをうのみにしてしまいがちだ。というのも、考えてみれば、日常的に身のまわりにあるものは(本来が)あたりまえなものだと思うのが人の性の善なるところだからだ。身のまわりに人々がつくりだし整えてきたものは全て、本来は人々がその性の善なるところに拠ってつくりだしてきたはずなのであって、そういう意味で人々は、まずその最初から、人々を「おとしいれ」たり、「だまし」たりすることを目標にかかげてきたことはなかったと私は思いたい。そのような場合なら、自らの判断を省いてうのみにしたとしてもまだ救われる。少なくともまだ人々を互いに信じているのだから。
いまほど人の性の善なることを無視し、あるいは逆用し、「人為」的にものごとを処理しあるいはつくりだしている時代はないと思う。人々を信じるために、一見矛盾するようにも見えようが、身のまわりに充ちあふれる情報はそのまま信じない、一度自らの感性を通過させるという過程を(面倒でも)とる必要がありはしまいか。いま、情報(知らされること)は必らずしも「事実」とは限らないのだから。
「ペルシャ秘宝」のほんもの・にせもの論議が新聞紙上をにぎわしている。にせもの・ほんもの論議。なにがほんものなのかという論議、にせものをほんものとして売った商売の当否について・・・・・いろいろ言われ書かれている。そして・・・・「秘宝展」で商売をしようとしたデパートの社長がその職を追われ、・・・・それで一件落着したのだろうか?まさか某社長をやめさせるのが目的の記事であったわけではあるまい?
もしあの「秘宝」が全て正真正銘のほんものだったら、それにいくら高い値がつこうが(あるいは高い値がついていればいるほど)その「価値」が高くなることはあっても、決してけちはつかなかったにちがいない。ほんものなんだからそれでいっこうにかまわない?
私には、にせものだろうがほんものだろうが(にせもの・ほんもの論議はそれはそれとして)、あれほどさわぐのならば、新聞はもっと重要な問題に触れるべきではなかったかと思えてならない。その問題とは、なぜペルシャの出土品:当事国にとっては文化財であるはずの物:がその国の外に持ち出され(売買の対象にされ)ているのか、ということである。いわゆる先進諸国(この場合には日本は含まない)の国宝扱の品物がその国の外で売買の対象になっているというはなしは、まずきいたことがない。必らずといってよいほど、それら「秘宝」は、いわゆる発展途上国というていのいい呼び名で呼ばれる諸国のものだ。もとはといえば、この先進諸国があの植民地「進出」時代に勝手に持ちだしたのである。日本の国宝級の品物が国外にあるのも大方はそれだ。ときには先進諸国の学者たちでさえ現地に行っては持って帰っている。その人たちが(学問のためといえばきこえはいいが、言ってみれば盗みに近いかたちで現地の「文化」を持ちだした人たちが)文化を語っているわけだ。これもまた「侵略」以外のなにものでもないと思うがどうだろう。
なぜなら、その国で生まれたものはその国の必然で生まれたのであり。そのものの本来の価値はその国にそれが存在してはじめて意味あるのであって、決して骨とう品としての値だんによるわけではないからだ。その多くを骨とう品にしてしまった(そういう風習にしてしまった)のは、文化がすすんでいると称した先進諸国の人たちだったのである。早いはなし、中国の「文化財」を見るのに、なぜイギリスやドイツやアメリカ・・・・に行かなければならないのか。中国のものは、そしてペルシャのものも、いずれの国でつくられたものも、そのつくられた国の大地の上ではじめてその本来の意味を持つのである。考えてみれば、文化はその土地をはなれて生まれもせず、従って語るわけにもゆかないのである。文化にあたる英語cultureの原義もそうのはずである。
ときあたかも「侵略」論議が教科書問題にからんで盛んであった。しかし「侵略」はなにも「武力侵略」だけではなかったのであり、言うならばそれと併行して「文化侵略」があったということを広く知らせる絶好の機会だったのに、新聞は某社長の「非行」論議で終ってしまうようである。
あとがき
〇もう稲刈がはじまった。夜気のなかに稲わらを燃やしたにおいがこもっていたりする。なつかしいにおいである。
〇今回は締め切り仕事に追われる破目になった結果、ついに雑感を三つならべるだけに終ってしまった。ほんとはこの三つの雑感を一つのはなしにまとめてみたかったのであるが、いかんせん時間がなかった。 残念。 ラフ・スケッチの段階をそのまま書くわけで、言わば私の舞合裏。
〇その代りというわけでもないけれども、この六月に別のところに書いたものが活字になったので、そのコピーを同封させていただく。これは実は、昨年十二月の通信「蔵のはなし」を全面的に改編書きなおしたものである。
〇それぞれなりのご活躍を!
1982・9・27 下山 眞司
「筑波大学芸術年報1982年」より PDF「『環境』の見方・見えかた(その5)― 使いかたと使われかた―」B5版4頁