近くに素晴らしい梅林があります。
水戸偕楽園の梅よりも古木です。
「梅林」と言うのは正確ではありません。「並木」と言った方がよいでしょう。
百メートル位手前から見るとこのように見えます。
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この道の両側は、栗の栽培や樹木の育苗を行っている農園です。
梅の木も、観光用ではありません。「実用」です。
当地では、ソメイヨシノは見かけません。多分、小学校の校庭にあるだけでしょう。
ヤマザクラはあちらこちらにあります。これから、樹林の中で咲きだすでしょう。
冬場には、多くのお宅の庭先にユズが実っています。
これも「実用」。
この道が舗装されたのは、そんなに昔ではありません。もともと道はあったと思われますが、細い道だったはずです。
広大な栗園の真ん中あたりに農道が走っていて、それが拡幅されたのです。
近寄ってみると、このような立派な梅の木が鉤の手(かぎのて:L型)に並んでいて、それに囲まれるように、これも年代を経た栗の木が整然と並んでいます。
ただ、栗の方は、それほどの老木はありません。どうしても虫にやられるようです。
農園の奥の方では、栗をはじめ、いろいろな果樹の若木の育成が行われています。
註 茨城県は、あまり知られていませんが、栗の産地です。
研究学園都市の一郭、谷田部(やたべ)もその一つ、そこの栗菓子をつくっている店に
長野県の栗で有名な町の栗菓子が置いてある。
訊けば、その町にこの地から出荷した栗でつくられた菓子、とのことでした。
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更に近づくと、大体、一本がこんな貫禄のある姿です。こういう姿が何十本も並んでいる、圧巻です。
当たり前ですが、一本一本、みな姿が違います。
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農園の主により、数代、おそらく百年以上、大事にされてきたのです。
今でも、毎年、丁寧に剪定されています。
そういう剪定の積み重ねが、今の姿をつくったのだと思われます。
剪定と言っても、趣味の園芸のそれではなく、梅の実を採るための剪定。
この農園を空から見るとこんな具合です。画像は google mapから。
樹木のない部分が、すべてこの農園です。
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このあたりの国土地理院の地図(web版)が下図。
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地図では分りませんが、空から見ると、農園は広大な樹林帯を拓いたものであることが分ります。
ここは、まわりの水田からはおよそ20〜25mほど高い丘陵の上。
遠くから丘陵を見ると、全体が樹林で覆われているように見えますが、大体、同じように、上は畑地になっています。
丘陵上には、ところどころに、縄文期の住居址が眠っています。
写真で農園の上〜右奥に見える樹林は、同じような台地上ですが、ここは畑にされず針葉樹の人工林です。まだ100年には達していないスギ、ヒノキが大半ですから、戦後国策で為された植林によるものと思われます。
農園を囲むように見える樹林は平地ではなく、丘陵の縁の斜面にあたります。かなりの斜面ゆえに畑地にされず残されているのです。
こういう斜面には、元来の植生と思われる樹林があります。いわゆる照葉樹林。かなりの樹齢の木があります。
この農園が何時頃から拓かれたは詳しくは分りませんが、植えられている梅の樹齢から見ると、かなり以前からあったものと考えられます。
この農園の主は、写真、地図の左側、丘陵の下端の樹林に囲まれて建っているお宅です。
言ってみれば、この丘陵は、このお宅の裏山なのです。
前面の低地で水田、住まいの近くで畑作、そして裏の山で、畑と果樹園を営んできたのです。
このお宅は、この集落の祖と言ってよいようです。
つまり、往時(多分、近世初め)、この地を探し出して定着した最初の人の一族。
そのためか、このお宅の地番は1番地。
この一帯をもう少し範囲を広げて国土地理院の地図を見たのが下図です。
地図の赤枠で囲んだところが、先ほどの農園のあたりになります。
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この地図から、集落が決して線や面になって一帯を埋めていないことが分ります。
そして、先の農園の中を走る舗装道路が、明らかに「人工的」なつくりであることも分ります。大体この道に沿って細い道はあったけれども、車など到底通れるような道ではなかったそうです。
実際、地図で、この舗装道路に対してT字型に水田に向う道がありますが、元の地形の一部を掘って、斜面の水田側に盛土をして、車の通れる勾配にしてあります。元来ここに道はありましたが、地形なりの急な坂道。この道は一軒のお宅の真ん中を通っていた。こういう敷地は昔はよくあったもの。しかし、盛土された車道のために、今では敷地の中央に土堤ができたような様相になっています。
この丘陵を通る元来の道は、丘陵の麓を、ほぼ等高線に沿っています。地図の上の水田際の細い黒い線がそれです。
これは、この地に定住した人びとが、自らの感性に拠りつくりだした道なのですが、実際に現地を歩いてみると、集落のそれぞれが、なぜその場所に生まれたか、よく分ります。とても和やかな気分になれる場所です。
集落と集落の間に点在している家々は、ずっとあとに住み着いた人びとの住まいですが、集落のある一帯よりも雰囲気が異なります。
元からある集落は、既存の SURROUNDINGS のなかから自らに相応しいところ探し求めて住み着いた、と考えられますが、後から住み着いた方がたは、多くの場合、既存の SURROUNDINGS に「加工」を施している、と言えるでしょう。
生垣や樹林を新たにつくったりするのが、「加工」の一例です。そうしないと、気持ちが和まない。
もちろん、そこに住み着いたときに、直ぐにつくられたのではなく、しばらくして補完されるのが普通です。その途中の段階のお宅も見かけます。
こうして、徐々に暮す人は増えてはいますが、この先、決して都会のように、低湿地まで埋め尽くされるようなことはないでしょう。
つまり、おそらく、今の状態とほぼ変わらない。
これが、最寄りに駅があったりしたら、一たまりもありません。
ここは、最寄の駅まで15〜20km。バスもない・・・。
当地には、防災無線による広報放送が午前と午後一回ずつあります。
いつもは、気象警報、火災発生、行事、お悔やみの案内などですが、最近、外出のときは戸締りを、という警察からのお知らせが放送されました。
実際、集落の方のお宅を訪ねると、玄関の戸は鍵はかかっておらず、時には少し開いていたりするのが常です。ネコの出入りのために開けてある、などという方も居られます。
その意味では、たしかに無用心。
しかし、これまで、空き巣にやられた、などという話は聞いたことがありません。新築の新居住者のお宅に工事人を装った空き巣が入ったという例ぐらい。
実際、工事人を装うなどしなければ、普通のカオをして通り抜けるのは無理なのです。
なぜなら、大体、集落内の道を普段見慣れない人が通ると、すぐに分ってしまうのが常。あれは誰?ということになる。人の目がないようで、どこかで誰かに見られてしまうのです。
これは車でも同じ。今通った車は、見慣れない、あそこに停まって何してるんだろう・・・、見ようとしなくても分ってしまう。
だから、口には出さずとも、どこそこの誰さん、最近見かけないけどどうしたんだろう、・・・などと皆気に掛けているのです。
こういうのは、いつも覗かれているみたいでイヤだ、と思われる方がおられます。都会はそれがないからいい・・、と。
しかし、現にそういう集落の端っこに暮していて、覗かれていると思ったことはありません。
名前も覚えてない子どもたちが、おはよう、こんにちは・・・と声をかけてくる、大人も誰もがすれ違いざまに会釈をする・・・。
そして、時間が経つにつれて、あの子はあのお宅の末っ子、とか、あの人はあそこがお住まいだ・・・、などということが分ってきます。散歩している犬でもそうです。
それは、同じ「範囲」で、繰り返して経験する「状況」から、自ずと分ってくるのです。
これが当たり前の世界。
これが、本来の集落:人の暮す場所:の姿であった、と言ってよいのではないか、と思っています。
「身の丈の知覚の範囲」におさまる大きさ。
人の感覚に納まらないような SURROUNDINGS は、決して集落の立地として選ばれないのです。
水戸偕楽園の梅よりも古木です。
「梅林」と言うのは正確ではありません。「並木」と言った方がよいでしょう。
百メートル位手前から見るとこのように見えます。
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この道の両側は、栗の栽培や樹木の育苗を行っている農園です。
梅の木も、観光用ではありません。「実用」です。
当地では、ソメイヨシノは見かけません。多分、小学校の校庭にあるだけでしょう。
ヤマザクラはあちらこちらにあります。これから、樹林の中で咲きだすでしょう。
冬場には、多くのお宅の庭先にユズが実っています。
これも「実用」。
この道が舗装されたのは、そんなに昔ではありません。もともと道はあったと思われますが、細い道だったはずです。
広大な栗園の真ん中あたりに農道が走っていて、それが拡幅されたのです。
近寄ってみると、このような立派な梅の木が鉤の手(かぎのて:L型)に並んでいて、それに囲まれるように、これも年代を経た栗の木が整然と並んでいます。
ただ、栗の方は、それほどの老木はありません。どうしても虫にやられるようです。
農園の奥の方では、栗をはじめ、いろいろな果樹の若木の育成が行われています。
註 茨城県は、あまり知られていませんが、栗の産地です。
研究学園都市の一郭、谷田部(やたべ)もその一つ、そこの栗菓子をつくっている店に
長野県の栗で有名な町の栗菓子が置いてある。
訊けば、その町にこの地から出荷した栗でつくられた菓子、とのことでした。
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更に近づくと、大体、一本がこんな貫禄のある姿です。こういう姿が何十本も並んでいる、圧巻です。
当たり前ですが、一本一本、みな姿が違います。
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農園の主により、数代、おそらく百年以上、大事にされてきたのです。
今でも、毎年、丁寧に剪定されています。
そういう剪定の積み重ねが、今の姿をつくったのだと思われます。
剪定と言っても、趣味の園芸のそれではなく、梅の実を採るための剪定。
この農園を空から見るとこんな具合です。画像は google mapから。
樹木のない部分が、すべてこの農園です。
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このあたりの国土地理院の地図(web版)が下図。
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地図では分りませんが、空から見ると、農園は広大な樹林帯を拓いたものであることが分ります。
ここは、まわりの水田からはおよそ20〜25mほど高い丘陵の上。
遠くから丘陵を見ると、全体が樹林で覆われているように見えますが、大体、同じように、上は畑地になっています。
丘陵上には、ところどころに、縄文期の住居址が眠っています。
写真で農園の上〜右奥に見える樹林は、同じような台地上ですが、ここは畑にされず針葉樹の人工林です。まだ100年には達していないスギ、ヒノキが大半ですから、戦後国策で為された植林によるものと思われます。
農園を囲むように見える樹林は平地ではなく、丘陵の縁の斜面にあたります。かなりの斜面ゆえに畑地にされず残されているのです。
こういう斜面には、元来の植生と思われる樹林があります。いわゆる照葉樹林。かなりの樹齢の木があります。
この農園が何時頃から拓かれたは詳しくは分りませんが、植えられている梅の樹齢から見ると、かなり以前からあったものと考えられます。
この農園の主は、写真、地図の左側、丘陵の下端の樹林に囲まれて建っているお宅です。
言ってみれば、この丘陵は、このお宅の裏山なのです。
前面の低地で水田、住まいの近くで畑作、そして裏の山で、畑と果樹園を営んできたのです。
このお宅は、この集落の祖と言ってよいようです。
つまり、往時(多分、近世初め)、この地を探し出して定着した最初の人の一族。
そのためか、このお宅の地番は1番地。
この一帯をもう少し範囲を広げて国土地理院の地図を見たのが下図です。
地図の赤枠で囲んだところが、先ほどの農園のあたりになります。
Image may be NSFW.
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この地図から、集落が決して線や面になって一帯を埋めていないことが分ります。
そして、先の農園の中を走る舗装道路が、明らかに「人工的」なつくりであることも分ります。大体この道に沿って細い道はあったけれども、車など到底通れるような道ではなかったそうです。
実際、地図で、この舗装道路に対してT字型に水田に向う道がありますが、元の地形の一部を掘って、斜面の水田側に盛土をして、車の通れる勾配にしてあります。元来ここに道はありましたが、地形なりの急な坂道。この道は一軒のお宅の真ん中を通っていた。こういう敷地は昔はよくあったもの。しかし、盛土された車道のために、今では敷地の中央に土堤ができたような様相になっています。
この丘陵を通る元来の道は、丘陵の麓を、ほぼ等高線に沿っています。地図の上の水田際の細い黒い線がそれです。
これは、この地に定住した人びとが、自らの感性に拠りつくりだした道なのですが、実際に現地を歩いてみると、集落のそれぞれが、なぜその場所に生まれたか、よく分ります。とても和やかな気分になれる場所です。
集落と集落の間に点在している家々は、ずっとあとに住み着いた人びとの住まいですが、集落のある一帯よりも雰囲気が異なります。
元からある集落は、既存の SURROUNDINGS のなかから自らに相応しいところ探し求めて住み着いた、と考えられますが、後から住み着いた方がたは、多くの場合、既存の SURROUNDINGS に「加工」を施している、と言えるでしょう。
生垣や樹林を新たにつくったりするのが、「加工」の一例です。そうしないと、気持ちが和まない。
もちろん、そこに住み着いたときに、直ぐにつくられたのではなく、しばらくして補完されるのが普通です。その途中の段階のお宅も見かけます。
こうして、徐々に暮す人は増えてはいますが、この先、決して都会のように、低湿地まで埋め尽くされるようなことはないでしょう。
つまり、おそらく、今の状態とほぼ変わらない。
これが、最寄りに駅があったりしたら、一たまりもありません。
ここは、最寄の駅まで15〜20km。バスもない・・・。
当地には、防災無線による広報放送が午前と午後一回ずつあります。
いつもは、気象警報、火災発生、行事、お悔やみの案内などですが、最近、外出のときは戸締りを、という警察からのお知らせが放送されました。
実際、集落の方のお宅を訪ねると、玄関の戸は鍵はかかっておらず、時には少し開いていたりするのが常です。ネコの出入りのために開けてある、などという方も居られます。
その意味では、たしかに無用心。
しかし、これまで、空き巣にやられた、などという話は聞いたことがありません。新築の新居住者のお宅に工事人を装った空き巣が入ったという例ぐらい。
実際、工事人を装うなどしなければ、普通のカオをして通り抜けるのは無理なのです。
なぜなら、大体、集落内の道を普段見慣れない人が通ると、すぐに分ってしまうのが常。あれは誰?ということになる。人の目がないようで、どこかで誰かに見られてしまうのです。
これは車でも同じ。今通った車は、見慣れない、あそこに停まって何してるんだろう・・・、見ようとしなくても分ってしまう。
だから、口には出さずとも、どこそこの誰さん、最近見かけないけどどうしたんだろう、・・・などと皆気に掛けているのです。
こういうのは、いつも覗かれているみたいでイヤだ、と思われる方がおられます。都会はそれがないからいい・・、と。
しかし、現にそういう集落の端っこに暮していて、覗かれていると思ったことはありません。
名前も覚えてない子どもたちが、おはよう、こんにちは・・・と声をかけてくる、大人も誰もがすれ違いざまに会釈をする・・・。
そして、時間が経つにつれて、あの子はあのお宅の末っ子、とか、あの人はあそこがお住まいだ・・・、などということが分ってきます。散歩している犬でもそうです。
それは、同じ「範囲」で、繰り返して経験する「状況」から、自ずと分ってくるのです。
これが当たり前の世界。
これが、本来の集落:人の暮す場所:の姿であった、と言ってよいのではないか、と思っています。
「身の丈の知覚の範囲」におさまる大きさ。
人の感覚に納まらないような SURROUNDINGS は、決して集落の立地として選ばれないのです。