筑波通信-3 「逃・避」考・・・・《絶対に安全》を、「技術」は保証できるのか? 1981年6月1日 刊 復刻
昨年(1980年)、折あって、中国の河西回廊いわゆるシルクロードを訪れることができた。それは非常に貴重な体験であった。これには二つの意味がある。
その一つは、そこで、「人びとの住む(暮す)すがた」を見ることができたこと。
もう一つは、たまたま同行の方がたが建築関係の方ではなくその「関心」が私とは違うところにある研究者であったため、学問とは何か、今学問や研究というものが、一般に、どうなってしまっているのか、それがものの見事に見えてきたからだ。
彼らは、研究者として、「人びとからの金」で暮しているのにも係わらず、「人間として」の視点を欠いて、ものを見ている、それでは、その学問は「人間の(ための)学問」でなく、「学問・研究のための学問」になってしまうではないか、そう思えたのである。
さて、シャンハイからセイアン(古の長安)を経てトンコウまで、およそ3000km)、これほど目に見えて姿が変ってゆく「大地」、あるいは「自然」「風土」は、日本のそれに慣れた目には、まったく想像を絶するものであった。
そして、その大地の変容にともなって、その「大地」への人の対処のしかたも、ものの見事に変ってゆく。
註 ここで書いている「変容」は、鉄道、バスでの移動中、車窓から見た「景色」に拠っている。
一般に、中国の建物というと、大概、瓦屋根のそっくり返った《いわゆる中国風》の建物を思い浮かべるだろう。
しかし、あの姿は中国の建物のなかの全く極く一部のものに過ぎず、中國だからといって直ぐその姿を思い浮かべるのは、西欧の建物を全て石造りだと思い込んでしまうのと同様に誤りである。単なる「事実の見誤り」ならともかく、そういう《事実》を基に、西欧の思想は《石の思想》で、日本は《木の思想》などと言われてしまうと、全く困ってしまう。
今回は、この屋根の話から始めようと思う。
列車が、シルクロードを東から西へと進むにつれ、初めかなりの勾配(6寸勾配以上はある)の瓦屋根が、だんだんと緩くなり、次いで、瓦がなくなって土泥だけの勾配屋根になり、遂にはほとんど水平に近い土泥だけの屋根になってくる。いずれの場合も、屋根の骨組みは木造の梁・垂木の上に葦の類を敷き並べ、その上に土をこねた泥を塗り付けるのが基本となる。土は、建物を建てる屋敷まわりを掘ったもの。瓦は、塗り付けた土泥の上に敷き並べることになる(日本のいわゆる土居葺きである)。
当り前と言ってしまえばそれまでだが、この屋根形状の変容のしかたは、実に見事にその地の雨の降り方次第のようだ。
日本でも、地域・地方によってそれぞれ独特な形の屋根が見られるが、ただ見た限りでは、これほど単純に「雨次第」などと言い切れるようには見えてこない。
中國の車窓の風景の中に、日本ではそれこそ絶対にお目にかかれない瓦屋根に出会った。
日本では、現在は、いわゆる引掛け桟瓦葺きが普通だが、かつては平瓦を敷き並べその継ぎ目に丸瓦を被せる本瓦葺きが普通であった。現在でも寺院の屋根が大方本瓦葺きである。
中國で見たのは、本瓦葺きの丸瓦を取り去った葺き方。つまり、平瓦が並んでいて、継ぎ目に被せる丸瓦がない、つまり、隙間が空いている。雨が降れば、そこから確実に水が入ること請け合い。多分、そのやりかたを採る地域では、隙間からの水漏れは問題にならない程度の雨しか降らない、ということなのだろう。葺いている現場を間近で見ると、接触面を砥石で研いで摺り合わせてはいたが・・・、絶対に日本ではあり得まい。
しかし、日本の場合、丸瓦を被せることで、完全に雨は侵入を防げているのだろうか。そうではあるまい。そんな他愛ない降り方ではない。中国の乾燥地帯に比べると、その百倍以上の雨が降るのが日本である。いかに雨が少ないからと言って、中國でも、雨は隙間から入っているはずである。いずれにしろ、雨は瓦の下まで入り込んでいるはずなのだ。瓦だけで、雨は防げていないはずだ。
それでいて、なぜ、「問題ない」としているのだろうか。
雨は確かに瓦の下へ侵入している。ただ、濡れては困るところに顔を出さずに、その前にどこかに消えてしまっているのだ。雨水は、なくなったのではなく、室内と関係のないところで処理されている、ということ。だから「問題ない」と思うのである。
昔から日本の建物は、四周に軒の出をもつ勾配屋根であった。私が建築を学びだした当時、一般に、何となくそういう見慣れた屋根の形が古くさく感じられたものだった。平らな屋根の方が、新鮮で《現代的な》形であるように思えてしまい、平らでないとすれば、せいぜい片流れの屋根が《好まれた》のである。おまけに、軒の出も(特に片流れでは)嫌われた。ところが今は、卒業生に聞いた話では、逆に平らな屋根に見飽きてしまい、勾配屋根の方が好まれるのだという・・・。
その当時のことを振り返ってみると、屋根の形が、単に「建物の形」としてしか見えず、「屋根の形」としては見えて(捉えて)いなかったのではないか、と思う。
これは、妙な言いかたに聞こえるかもしれないが、要は、「建物という『立体』の形」が、それだけが考えられていた、ということである。屋根は、ただその「立体」の一部としてのみ考えられ、立体の形に対する《美的感覚》だけが、その形状の決定権を持っていたのだと思う。《美的感覚》をくすぐるには目新しいものの方が手っ取り早く、それゆえ、見慣れた形が見捨てられ、ただやみくもに《新しい》形が追い求められた、ということだ。おそらく「新しい」ということの(本当の)意味さえ分らなかったのだ。
そして、このような風潮をたしなめるでもなく、むしろすすんで保証していたのが、当時の(そして今も変りはないが)一般的な建築に対する考えかたであり、その最も大きい影響源であると言ってよい大学をはじめとする「専門教育」であった、と私は思う。屋根で言えば、屋根は雨水を防ぐもの⇒その要件を充たせばいかなる形状でもいい、極端に言えば、そのように「教えられた」のである。
しかし、建物に降る雨は、どこでも同じわけではない。此処と彼処では、同じ雨でも違うのだ、と先ず初めに思わなければならない。
場所・場所なりの雨が降る。雨に限らず、場所・場所なりに、その場所特有の「自然」「環境」がある。そういう「場所」で「どのように生きるか(暮すか)」:どのように対処すれば生きてゆけるか、それこそがその「場所」に「住んだ人たち」が考えたことなのだ。机上でこねくり回したようなそれではない。そうであるからこそ、それぞれの地方に、その地方独特の「同じようなつくりの建物」ができあがったのだ、と考えなければならない。その地で「どう生きるか、暮すか」人びとが考えた結果が、そういう「形」に結実したのである。そうでなくて、どうして、ああも同じようにならなければならない理由があろう。
ただしそれは、あくまでも「同じような」建物なのであって、どれ一つとして「同じ」建物のないことに留意する必要がある。
この点こそ、現代の建売住宅や「公共住宅」の「同じ」形とは、「同じ」の意味の違う点なのだ。
端的に言えば、往古の住居の群れは、その「『考えかた』が同じ」なのであり、現代のそれは「『形』が同じ」なのである。
言いかたを変えれば、往古のそれは、「その場所での生活・暮し」が根にあるのに対し、現代は、その場所とは関係なく机上でひねり出された抽象的・観念的「生活像?」がその根にある、と言えばよいだろう。
そしてこの「現代的思考法」は、先に触れた「雨水が防げればどんな形の屋根でもいい、つくれる」という考えかたに連なっている。
私は、前回、「現代的思考法:ものごとへの対し方」は、「それはそれ、昔は昔、今は今」と考えるやりかたなのだ、と書いた。そして、そういうやりかたをとる「最も現代的・先進的な人たち」は、「現実」すなわち「本当のこと」に根ざさずに、すなわち「現実」・「本当のこと」が「見えていない」「見ない」「見ようとしない」のであって、まさに「観念的に」それを是としているに過ぎない。仮に見えていたとしても、そんなことに係わるのは面倒くさいから、そういう局面に直面することを逃げて済ますのである。それがつまるところ、「それはそれ、昔は昔、今は今」という形に、現象として、結果する。そうなると、ますます見えなくなり、見ようともしなくなるのである。
ところで、今私たちが、極く当たり前に目にしている「平らな屋根」が、日本で流行りだしたのは極く極く近々の話である。もちろん、それは元をただせば「洋風」に行き着くかもしれないが、「洋風」自体が元から平らな屋根であったわけではなく、そこでも同様に極く近々、「近代」以降に起きた話なのだ。西欧でも、藁葺き、茅葺きはあり、木造も珍しくはない。屋根の形も全く「雨次第」だったのである。
「近代」が「平らな屋根」を「望み」、「それを是とした」ということは、まことによく「近代」を象徴している、と私には思えてならない。
では、この平らな屋根では、雨はどうなるのか。簡単に言えば、平らな屋根というのは、建物の上に「盆」が載っているのだ、と思えばよいだろう。
その「盆」に溜まった水を、「所定の場所」から排水する。これが平らな屋根の「原理」である。
万一「所定の場所」以外から水が流れ出すようなことがあれば、水は当然想定外のところ:濡れては困るところへも顔を出す、つまり「雨漏り」と言われることになる。しかし、「所定の場所」を所定たらしめることはなかなか難しく、万一どころか、もっと頻繁に、設計者は、所定以外からの雨漏りに悩まされているはずだ。
このような雨水処理のことを一般に「防水」の語で括っているが、平らな屋根の場合、コンクリートなどで形づくられた「盆」の上に設けられるアスファルトや合成樹脂の「層」や「膜」:「防水層」・「防水膜」:がその役を担う。
これらは、それが水を通さないということが前提だから、もしもそれが水を通したら、雨水は必ず屋内へ顔を出す。それゆえ、平らな屋根の多用・増加とともに、「防水層」・「防水膜」の技術は、それなりに格段の進歩があったのは確かである。
しかし、言うのは簡単だが、ことはそんなに簡単ではない。「絶対に」水を通さない、ということは至難の業なのである。
私自身の経験から言うのだが、水が漏るのは、必ずこの「絶対に」水が通ってはならないとして処理した箇所からなのだ。つまり、「絶対に」水が入らないはずのところ(正確に言えば、そのように「思い込んでいたところ」)が、雨漏り事故の最たる発生個所になっている、というのは疑いない事実なのだ。
ならば、平らな屋根を成り立たせる前提の、「絶対に水を通さぬ技術」の「絶対に」とは、いったいどういうことなのか。
実は、この、「絶対」をどう考えるか、という点こそが、平らな屋根に象徴的に示される「現代的考えかた」と、瓦屋根に表れる「古来の(伝統的な)考えかた」の、絶対的・本質的相違点に他ならない。すなわち、一般に「伝統(的)技術」と称せられる、長い年月にわたる人びとの体験を踏まえて培われてきた技術と、最新科学に拠って裏付けられたとする「現代(的)技術」との、根本的にして本質的な違いが、まさに象徴的に表れている、と考えることができる。
「伝統(的)技術」も「現代(的)技術」も、いずれも、屋内に雨水が漏れないこと、を考えている。しかし、それを実現するにあたり、この二つの技術は、全く異なる方策・考えかたを採っているのである。
「伝統(的)技術」においては、雨を防ぐために、雨水を拒否する、といういわば短絡的な手段は採られていない。むしろその技術を考え出した人びとは、雨水を「絶対に」拒否する・止めるということは、それこそ絶対にあり得ない、不可能である、ということを知っていたのではないかと思う。
それは、単に、彼らの技術のレベルにおいてあり得なかったという意味ではなく、雨水を絶対に拒否する・止めるということは存在し得ない、という意味においてである。しかし、雨が漏ってはならないということは、彼らにとって重要な課題である。
彼らは、彼らが雨漏りを防ぎたいと思うのは、屋内で雨に濡れるのが困るからだ、と認識していた。それゆえ、彼らは、彼らにとって濡れては困るところに雨水が「絶対に」顔を出さなければよい、としたのである。どのような対策を講じたか。
雨水が屋根材・防水材を通して入ってきても止むを得ない。ただし、それをそのまま屋内に落下させずに、無難な所へ「逃がして」しまえばよい、としたのである。これなら、「絶対に」可能である。方策が存在し得る。
なぜなら、「水は高きから低きへ流れる」「土に浸み込んだ水はいずれは蒸発してなくなる」という「原理・真理」をわきまえてさえいればよいからだ。
このことに気付いたのは、だいぶ前の話である。
書名は忘れたが、旧い茶室の檜皮葺(ひわだぶき)の屋根に開けられた天窓の断面詳細図が載っていた。
具体的には覚えていないが、とにかくその見事な雨水の「逃げっぷり」「逃がしっぷり」に感嘆したことを覚えている。
確か、三段か四段構えで、内側に入り込んでくる雨水を、最終的には、外へ「逃がして(流して)」しまう工夫が施されていたと思う。そこには、雨水を「止める」という発想が微塵もない。あるのは、ただ、「流れよう」とする水を(自由に)「流す」(流し去らせる)ことだけであり、もちろん、「溜める」などということは全く視野にない。そこにあるのは、言ってみれば、「水の本性に対するゆるぎない『信頼』」とでも言い得ようか。
今私は日本を例にして見てきたのであるが、乏しい資料ではあるが、それで見る限り、西欧にあっても、「伝統(的)技術」において為されてきたことは、原理的には何らの差も見出せない。つまり、変らない。そう思えた。
一方、「現代(的)技術」の雨を防ぐ考えかた・やりかたは、既に触れたように、雨水を「絶対に」拒否する、あるいは断つ、止める、という発想が先に来る。元で止めれば、屋内に入ってくるわけがない、という点では何ら意義を差し挟めないくらい「合理的」な考えだ。そして、その「合理的」指向で(いわばドンキホーテ的に)突っ走ったのである。そのこと自体は論理的には全くその通りだから、文句は極めてつけにくい。しかし、論理的な整合性と、それが可能であるか、存在し得るか、ということは全然別である。防水の例で言えば、確かに「元で止めれば、屋内には入らない。しかし、これが成り立ち得るためには、「『絶対に』元で止めることができた」場合に限られる。一滴でも水が入ったならば、この論理は合理的に消滅する。
直ちに分ることだが、このような「絶対に」は、それこそ絶対にあり得ない。努力目標としての「絶対指向」はあり得ても「絶対」はあり得ないのである。だから、通常言われる「絶対に」は、「確率的に絶対に近い」ということに過ぎないのだ。
つまり、「現代(的)技術」の追っている「絶対に」と、「伝統(的)技術」の追ってきたそれとは、全く(根本的に)意味が異なるのだ。
「伝統(的)技術」においては、目指すものが何であるか十分に知った上で、それが絶対的に可能な局面において、それを解決しようとする。雨水の侵入を「絶対に止める」ことは絶対にできないという「事実」を見ぬき、その局面に立ち入ることを避けている。言いかたをかえれば、その局面から「逃げている」。
これに対し、「現代(的)技術」は、聞こえよく言えば、この「不可能な局面」に《果敢にも》挑戦する。しかしそれは、つまるところは、「《絶対的絶対》指向」「《確率的に近絶対》指向」でしかあり得ない。
この「伝統(的)技術」の、不可能な局面にに立ち入らず、そういう局面から逃げる・逃避する、そして可能な局面で勝負するやりかたは、その一見消極的なイメージとは逆に、極めて思慮深く、かつ積極的なやりかた・考えかたなのではないか、と私は思う。
しかし今、現代的科学技術への無節操・無思慮な信奉は、この不可能な局面での《挑戦》:「現代的技術」のやりかた・考えかた:を正当な方策、正攻法と考えてしまう。それはまさにドン・キホーテ的行動以外の何ものでもない。私にはそう見える。
しかし、私は現代の「雨を絶対に拒否する」ことを目指す技術開発を全面的に否定しているのではない。また、単なる懐古趣味、文化財保護論で言っているのでもない。
そうではなく、そういう技術開発が存在してもよいが、如何にしようが、その目標の「絶対に」は、あくまでも「努力目標」に過ぎないのであり、そこで生まれる技術が、そういう「性格」であることを忘れ、その技術に拠っていれば、《絶対に雨は漏らない》と思い込みがちになるのは危ないことだ、と言いたいのだ。
第一、雨を防ごうという同一の目標に対して、「雨を止めればよい」と考えるのと、「(生活・暮しが)雨に濡れなければよい」と考えるのでは、どちらが当初の目的の理解として妥当と言えるだろうか。
暫し考えてみるならば、軍配は明らかに「(生活・暮しが)雨に濡れなければよい」と考える側に挙げざるを得ない、と私は思う。
なぜなら、そもそも「雨を防ごう」と人びとが考えたのは、人びとが、雨の日にも雨に濡れないで生活を営める場所を確保したいがためであったはずだからである。「技術」の根に、先ず第一に「生活」があった、ということである。これ以上の「正攻法」が何処にあろうか。
現代的技術の方法の「絶対指向」も、それが雨水に対する方策ならば、まだ救いがある。「絶対」が絶対でなく雨漏りがあったところで、それは確かに困ったことではあるが、漏れたのはあくまでも「ただの水」に過ぎない。しかしそれが、原子炉の放射能漏れ、放射性物質のそれであったらどうか。
残念ながら、この場合の漏れに対しては「伝統的」方策は通用しない。放射能の特性に従いそれを「逃がしてしまう」というわけにはゆかないからである。水に濡れるのは嫌なことではあるが、ただそれだけでは無害である。しかし放射能はそうはゆかない。あるのは唯一「止める」「拒否する」ことだけである。ただその方策は、先に水を例にして書いたように、「絶対指向」はあり得ても、「絶対」はあり得ない。「ある確率で《絶対に近く》防ぐこと」はできても、「絶対に防ぐこと」はできないということだ。
これは、技術がそこまで到達していないからできない、ということではない。「絶対」ということ自体が、それこそ絶対に存在し得ないという意味だ。漏れることは必ずある、生じる。
そこで登場するのが「許容量」という《概念》である。漏れは〇〇程度までなら問題ない、という《考えかた》である。これは一見正当・妥当なことのように見えはするが、「絶対に近い《絶対》」を、「絶対」であるかのように装うために、いわば「巧妙に仕掛けられた」《概念》なのである。絶対を標榜しながら、早々にその局面から「逃げ出している」「逃げようとしている」に等しい。
第一、「許容量」そのものさえ、一たびそれを決めてしまってから後は、あたかもそれが「絶対」であるかのように扱い、その数値を「目指す絶対」と思い込んで追及するわけだが、その許容数値自体、相対的にして任意の数値ではなかったか。
つまり、「許容量」概念を持ち出すということは、「放射能の漏れは、絶対に防ぐことはできない」と言う事実・真実を示す証左以外の何ものでもないのである。
然るに、「原子力発電所は絶対に安全だ」と説かれるのは、いったいどういうことだ。
最近(1980年ごろを指している)「原発を東京に!」という本のあることを知って、私は非常に《嬉しかった》。「絶対に安全」なのだから、需要の最も多い東京に原発を置くことぐらい合理的な話はない!
どうしても原発が必要である、というならば、「原発は、決して、絶対に安全、ではない」という当たり前の認識から出発すべきなのだ。それを、論理操作を巧みに行うことであたかも絶対に安全である、と「思わせる」のが「現代の科学」であり「技術」であるというのであるならば、それはそれこそ「絶対に」「伝統的技術」に比べ、あるいは比べるに値しないほど、質が悪いと言わざるを得まい。
「伝統的技術」を培った人びとは、雨に濡れないことを欲しはしたが、それが、「雨を止める」ことで求められる、などという短絡的発想はしなかった。
彼らは「雨に濡れない」とはどういうことか、彼らの生活にとってどういうことか、「知っていた」「分っていた」のである。彼らは、自らの生活に、真っ向から立ち向い、「逃げなかった」。
了
あとがき
原文の標題の副題は「原子力発電所は『絶対に』安全なのか?」でしたが、このように改めました。
また、原文の冗長な部分も改めています。ただし、論旨は全く不変です。