追記を末尾に追加しました[3月6日10.15]
「落」語考 (「筑波通信」1981年4月6日 刊 の 復刻)
今年(1984年3月)卒業していった学生の一人から、卒業論文にからんで、よく「自然発生的な集落」などと言うけれども「集落って何ですか」、「自然発生的ってどういうことですか」という半ば挑発的にして容易ならざる質問をもらって狼狽えたのは、あれはまだ寒い二月のころではなかったか。
いまは四月、筑波の野にも陽炎がたち、花のにおいも空気にひそみ、そしてその学生ももういない。
そのときの受け答えの内容はさておき、この「集落」の「落」の字が、やたらと気になってきた。
集落、村落、部落、・・・この「落」の字はいったい何か。
漢和辞典で調べると、「落」の字には、「おちる」「おとす」「おちつく」・・「死ぬ」・・・という「落」の字に対する日常的な感覚からみて普通に分る意味に続いて、「はじめ」「完成」という意味があるのにいささか驚く(とは言え、我われは「落成」「落慶法要」といった言葉を、「落」の字をとりたてて気にもせず、それなりの「成句」として平気で使っている・・・)。
そしてその次に、「むら」「むらざと」の意という説明が出てくる。つまり、「落」の字一つに、既に「集落」の意味が込められていることになる。
これは、日常的感覚での「落」の意味、そして我われの日常的な「しゅうらく」「そんらく」ということばに対するイメージからは、ちょっと思い及ばない。
「集落」を辞書的に説明すれば、「いくつかの住居が集まって生活が展開している場所をいう。・・・集落は村落と都市に大別される。」(平凡社:大百科事典)
しかし、この説明ではあまりにも static 過ぎる。何か知らないが、人が(住居が)まったく偶然に天から降って湧いたかのおもむきがある。
それでは、この語に対する外国語はどうか。
英語、独語では、それぞれ settlement 、siedlung になり、辞書によれば、いずれもその本義は、「ある土地への定住」を意味している。つまり、いわば「漂って」いた人びとが定住すること、定住した所なのであって、そこには「天から降って湧いた」という感じがない。人びとの「意志」が感じられる。
因みに setlement の語幹 settle の項をみていたら、「据える」「移住する」「落ちつかせる」「決定する」「片づける」という意味があり、私のひいたその辞書の末尾に、「日本語の『すむ』(住む、済む、澄む)に同様」という説明があって驚いた。
同様に、siedlung の動詞 siedeln は、sitzen 、setzen と同源であるとされ、(動いているものが)「すわる」あるいは「すわらせる」つまり「おちつかせる」という意味がある。
こうみてくると、先に「集落」の説明を static と感じたのは、その説明文のゆえであって、「集落」という語そのものには、もともとこれらの外国語と同様の意味があることに気づくのである。
つまり、「落」の字のもつ日常的な意味、「おちる」「おとす」「おちつく」といった意味が、きわめて重要な意味を担っているのに違いない。もともと dynamic な意味をもつ事象であるにもかかわらず、説明が static にしてしまっていたのだ。
このように、我われが何気なく使っていることばを次から次へと順に辿ってゆくことは、そういうことばをもった我われ人間の心が見えてきて、ふと我に返る場面が多い、言ってみれば収穫の多い作業なのだが、ここでは、単にことばの持つ隠れた意味に驚く以上に、もっと「まじめに」(単なる「教養」あるいは「物識り」的興味としてではなく)驚き考えねばならないことがあるように思う。
つまり今、我われは「住む」とか「住まう」とか「住まい」「住居」ということの(あるいは、ことばの)本来の重い意味を、あまり重く考えていない、あるいは、考えないで当然のことのように済ましてしまうようになってしまってはいないだろうか。
今我われは、特に都会風に住むのに慣れた我われは、ある場所に住むということを、まことに他愛なく考えてしまう。それどころかそういう都会風な考えかたが、それこそが《中央》文化の模範であるかの如く、《地方》へも流れてゆく。
その他愛なさとは、「人はどこにでも住める」、「《ある広さの地面さえあれば》住める」、と考えてしまう他愛なさである。先に見た集落、 siedlung 、 settlement ということばの本来の意味は、明らかにこの他愛なさに抵抗を示すはずである。
今我われは、再びこの重い意味を考えなければならない時期に来ているのではないか、と私は思う。
確かに、都会には各地から(中央を目指して)人びとが集まり定住するようになっているという点では、《現象的》には「集落」の字義のとおりに見える。
しかしそのとき、その《「定住」は、そもそも先に見た集落、settlement 、siedlung という語の意味では既にない。人びとは、「ある場所」に辿り着き、落ち着いたのではなく、いわば「金の生る木にたどり着く」、いや、ことばが悪ければ、「《文化》に辿り着く」のだ、すなわち、「都会の《文化》」「都会の《文化的》生活」に。
だから、《文化》さえあればよし、としてしまう。「住まい」で言えば、「近代的、合理的、機能的」な「住まい」であればよし、としてしまう。
いや、それでよし、と思うように仕向ける人たちと、それに安易に従ってしまう人たちがいるのだ。
「住まいの地面」「職場の地面」「公園の地面」「レジャーの地面」・・・、そういった近代的・合理的・機能的に用意された地面があれば、我われの生活が total に遂行し得ると、あまりにも安易に考えすぎてはいないだろうか。
このように考えている限りにおいては、ある「土地」の必要はさらさらなく、「地面」がありさえすれば、それで済んでしまう。
しかし、立ち止まって考えてみれば直ぐに分ることだが、この考えかたの根には、明らかに、人間(の生活)を理解するには、それをいくつかの要素に分離・分解すればよい、というとんでもない考えが潜んでいる。我われの生活というのは、そんなに他愛ないものなのだろうか。
今の建築や都市についての考えかたのほとんどは、こういう「都会風な」考えかたが基になっている。もはや、「土地」ではなく、いかにその地面の拡がりを「有効に(そこから上がる収益・利益がいかに高く、有効に)」使えるか、という視点で律しようとする。
よく考えてみると、いわゆる環境破壊というのは、この、ある土地に人が住むということの重い意味を見失ったことに発している、と断言して決して間違いでない。ゆえに、土地を地面としてしか見ない人たちが、その一方で自然保護、環境保全・・・を唱えたりするのは(つまり、視点を変えないのでは)、まったく悲劇的な漫画なのだ。
しかし、たとえはじめは「地面」に住み着いたとしても、あるいは「地面」に住み着いているのだという「慣習」に慣らされてしまっていても、人はふと、人が住むのは、「地面」ではなく「土地」であると気付くことがある。(先に「発行の辞」で触れた)東京・中野の教育委員準公選制実現の原動力となった人たちの運動も、この方がたが、この事実に気付き、そしてつい忘れそうになるのを忘れなかったからなのだ。
このように、「地面志向」が「特色」の都会にも、「土地」(の意味)に気付く人びとがいる一方で、いまや、本来地面ではなく「土地」に向い合わなければならなかったはずの農村にまで「地面志向」の考えかたが浸透しはじめているし、またそれを積極的に推進する人たち:専門家!?がいる。それがまた同時に「地方の時代」や「伝統的環境の保護」を説いたりするから、話がややこしくなるのである。
この《現象》は、「地方」を「都会」「中央」の対立概念と見なすからである。
因みに、研究社の英和辞典で local を引くと、そこに・・・首都も「一地方」なので local である。・・との注釈がある。
私はよく学生諸君に、文化財なるものを保存する、保護する(すればいい)というのはおかしい、古来人びとはいさぎよく壊し、建て替え、造り替えてきたではないか、どんどん建て替えよう、造り替えよう!
だいたい、《文化財》などと言い出したのは、それを壊してしまった後、それ以上のものを造れそうにない、と(情けなくも)思うようになってしまったからなんだ、と話すのだが、そうすると学生諸君は、まさか、という顔をして聞いている。
悪い冗談かもしれないが、半分以上本気である。
要は、人びとの為してきたことの重い意味を分る気もないままに(分ろうともせずに)、「伝統的環境の保護」だとか「地方の時代」とか、はたまた「人間的な都市」「豊かな農村」「調和ある開発」等々というその場限りのおためごかしは、お断わりしたいのだ。
ことばというのは、何の気なしに使い慣れてしまうと怖ろしい。使う人の考えかたまで、ことによると左右しかねないからだ。
最近ある方の書かれたエッセイに、台湾では国際「障害者」年のことを、国際「残障者」年と表記していることが紹介されていたが(その他、「盲」学校と言わず「啓明」学校という、などいくつか紹介されていた)、私はそこに重い意味の差、つまり、我われの「障害者」に対する対し方まで左右しかねない思い意味の差を、どうしても見てしまう。
はたして、私たちが日ごろ使っていることばは、その重い意味を担っているだろうか?
追記[3月6日 10.15]
関連記事があったのを思い出しました。「客観的」とは何かについての私見です。