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The construction of late medieval houses
以下の説明には、同じ図が前後して何回も使われますので、ご留意ください。
ケント地域の中世の建物を有名にしたのは15世紀に現れる新しい形式の家屋である。このタイプの家屋は、背丈の高い hall をつくったり 、2階部分を跳ね出させているが、このようなつくりは、当時の大工職の優れた技能がなければ誕生し得なかった。こうした彼らの卓越した技能を生み出したのは、その時代の社会・文化の変容にあったと言ってよいだろう。
すなわち、人びとが、hall内部で使われる木材が目障りにならないこと、そしてまた、生活の拠点を二階に置くことをを望んでいたことの結果なのである。彼らの望んだ暮しかたが、これは長年富裕層が石造の家屋で行ってきた暮しかたに他ならないのだが、その実現のために新しい架構法を必要としたと言えばよいだろう。
この章は、この時代の構築法の概要を検討し、社会・文化の変容の様態を詳しく知ることを通じて、家屋の形式と架構法との関係をより明らかにすることを目的とする。
各技法とその特性については、家屋(の形式・タイプ)ごとにその内部空間の様態を詳しく観ることで検証することにする。
Late aisled and base-cruck construction
註 aisled construction とは、「身廊+側廊」形式(日本の「上屋(身舎・母屋)+下屋(庇・廂)」形式の構築法のこと。
これについては、“THE MEDIEVAL HOUSES of KENT”の紹介-20を参照ください。
日本の「上屋+下屋」についての解説は、「日本の建築技術の展開-2」などをご覧ください。
base-cruck construction は、広葉樹主体の中世イングランドの木造建築特有の構築法のこと。
これについては、The Last of the Great Aisled Barns-7 を参照ください。
14世紀の後期までには、aisle :側廊・下屋を設けない hall の構築法も、よく知られていたにも拘わらず、aisled building や quasi-aisled building は依然として建てられ続けたようである。先にみたように、これらの事例は、大半が消失してしまったと思われ、遺っている事例の多くは、残念ながら建設時期が判然としない。実際、「年輪年代測定法」が適用できたのは僅か一例に過ぎない。それは、建物が oak :樫を用いていないか、若い木が使用されているからである(註参照)。
駐 年数の経った樹木でないため、年輪年代測定に使われる「基準年輪」から外れた年輪である、つまり、測定尺度に合わない、という意と解します。
しかしながら、いくつかの事例は、細部の手法から時代が判定でき、そのような諸種の形跡を総合すると、aisled construction は、15世紀中、用いられた続けたようである。
1300年代に建てられた原初的・典型的な aisled hall は、両側に側廊:下屋を設け、桁行2間の例が一般的であるが、このような典型的な建て方は、1370年代には姿を消すようである。
実際、今回の研究調査でも、それ以降の事例は一つも確認できていない。ことによると、中央部に扱いにくい小屋組を持つこの種の建物は、改造・改修せざるを得なかったのであろう。
たしかに、かなり早い時代から遺ってる事例もあり、少し変形した形の aisled hall はある程度見つかってはいるが、全容の遺っている事例は存しない。これは、多くの建物が、世紀末までに改築されてしまったことを意味していると考えてよいのではなかろうか。桁行2間の hall は、その後も建てられてはいるが、遺っている事例は、すべて、身廊:上屋の小屋組が、独立柱ではなく、他の架構法に変えられている。この変更は、14世紀初期のいくつかの事例で早くから認められ、そこでは、 base cruck か( HADLOW の BARNES PLACE など)、大きなarch-brace( CHILHAM の HURST FARM など)が使われている。この方法は、それ以降の事例は、この方法を引き継いでいるようであり、また、より小さな建物に於いても見付かっている。
arch-brace を大きくして用いている事例で確認されているのは、1401年建設の EAST SUTTON に在る WALNUT TREE COTTAGE と SITTINGBOURNE 近在 NEWINGTON に在る CHURCH FARMHOUSE の2例( fig72 下図)だけである。
註 arch-brace:アーチ状の斜材:方杖
しかしながら、大きな斜材やむくりをつけた梁の使用する点で、これらは初期のHURST FARMに似ているが、これら後期の2例は、図・写真のように、大きな方杖を承ける柱が先端を断ち切ったような不自然な形をしている。
註 頂部が唐突な終わり方でおさめている、よく考えられた仕事とは言い難い、という意と解します。
たしかに、The Last of the Great Aisled Barns-7 の写真と比べると、不自然さを感じられる。
base-cruck constructionは、おそらく、身廊柱:上屋柱を省く方策としてごく普通に用いられていた工法と考えられる。ただ、年輪年代測定法の適用できた事例はなく、base cruck だけが遺されている事例では、正確な年代確定は不可能である。しかし、fig73 の HASTINGLEIGH に在る COOMBE MANOR は、当初の構造的痕跡は皆無ではあるが、小屋組に使われている crown post が後期形式の形状であることなどから、15世紀にかなり入ってからの建設と考えられる。また、YALDING 教区には、きわめてよく似た、比較的小さな NIGHTINGALE FARMHOUSE ( fig56 下に再掲)や BURNT OAK ( fig74 下図)など、1350年前後に建設の yeoman :独立自営農民あるいは peasant :小作農の住居と思われる事例が在る。
両側に側廊:下屋をもつ桁行2間の hall は、建てられなくなったが、両側ではなく裏側にだけ側廊を設ける事例は、15世紀を通じて建てられている。その初期の一例が、fig75a(下図) の14世紀後期建設と推定されるCHILHAM の TUDOR GIFT SHOP and PEACOCK ANTIQUES である。
この fig75a の事例は、普通の WEALDEN 形式の建物で、当初前面には建物全高の窓があり、階上に日当たりのよい諸室があった(図には二階が描かれていない)。そして、後側には側廊:下屋があり、身廊:上屋の小屋組を承ける独立柱が立っている。
他の片側側廊の事例( SETLING の WELL HOUSE 、CHIDDINGSTONE の SKINNERS HOUSE COTTAGE など)の細部の技法は、それらの建設時期が、(先のTUDOR GIFT SHOP and PEACOCK ANTIQUES よりも)遅いことを示している。
また fig75b の BORDEN の BANNISTER HALL のように、側廊:下屋部分を base cruck に改造し独立柱を取り去った事例も二例ある。この建物の hall の端部(妻側)の壁には、増設された cross wing(主屋 に直交配置の別棟)へ通じる four-centred head (下註参照)の出入口が設けられている。また、EAST PECKHAM の OLD WELL HOUSE では、base cruck が1セット用いられていたと考えられるが、確認はされていない( fig86b :下図)。後者は、end-jetty 形式の建物で、fig77c(下図) のように、妻壁部分では、小屋を承ける柱が(下屋:側廊の外部側柱~側柱間を繋ぐ)大梁の上に立てられている。
註 four-centred head= four-head arch :下図のように、4個の中心の円弧を集成して得られるアーチ形状をいう。
fig75b の出入口の頂部に使われている。
イスラム建築に多く、中世イギリスの建物にもよく用いられたモティーフ。以上 wikipedia より。
この2事例は、この架構法が、(他の時期に見られず)15世紀中期乃至は後半だけに用いられたことを示唆している。同じく、SUSSSEX の片側側廊+ base cruck工法の建物も、同じ時期の建設と考えられている。
aisled construction の身廊:上屋の梁を承ける柱すなわち上屋柱を取り除くもう一つの方策は、中途にある小屋梁: open truss を隔壁位置に移動させる策である(つまり、桁行の間隔を広げる→fig76 はその一例?)。しかし、この方策を用いた事例は、ケント地域ではあまり見かけない。この方策の事例は、14世紀かあるいはそれ以前に稀に存在する。たとえば、SUTTON VALENCE の BARDINGLEY FARMHOUSE や後期の quasi-aisled hall などに散見される。HASTINLEIGH の COOMBE MANOR では、隔壁部の小屋組は base cruckを併用しているし、EASTRY の FAIRFIELD HOUSE では、fig46(fig47 と併せ下に再掲) の FAWKHAM の COURT LODGE と同じく、小屋梁は、柱なしで 桁で承けている(つまり、日本の京呂組)。これらの事例では、隔壁部の小屋組は、上屋の小屋組・屋根を承ける距離の長い桁を承けるべく強化されている。それによって、 hall には邪魔な柱を省くことができている。
また、小規模の家屋の場合には、小屋組の梁自体を下屋の外側の側柱間に架けることにより邪魔な柱を省いている。つまり、隔壁部の小屋組が新しい役割を持つようになったわけで、その結果 open truss と spere truss の役割が不鮮明になった、と言えるだろう。STAPLEHURST の COPPWILLIAM ( fig60 下に再掲 )や WESTWELL の LACTON MANOR ( fig76 下図)などがその例で、上屋の小屋組を承ける桁を補強するために、桁材を承けるのではなく斜材を斜材で補強するという他に例のない方策が採られている( fig76 )。
aisled construction の建物の上屋柱を省く別の方法は、 hall を桁行1間の大きさに縮小する方策である。その場合、隔ての通路部のうえだけではなく、そこを通り越して、下手側の部屋がいわばかぶさることになる。地上階の平面は、これらの場合も前者(つまり、桁行2間以上の事例)と変らないが、通路部分は隔壁部により hall とは分離し、下手側の部屋の占める面積も多くなる。
註 この部分の説明は、fig76 の左側の部分のような場所の説明と思われる。
全事例を見る限り、CLIFFE-at-HOO の ALLENS HILL や WALTHAM、ANVIL GREEN の THE COTTAGE のように( fig77a,b 参照)、これらもまた片側だけ aisled の hall だが、それゆえ、建物前面の壁を高く見せることができている。
この節 了
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次回は、Dating of aisled structures の節の紹介になります。
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筆者の読後の感想
上屋の小屋組を承ける柱を省くことは、日本でも行われる。
その場合、日本では、桁行の横材:桁の寸面を大きくする、差物:差鴨居等を用いるか、fig77c と同じように、梁行の横材:梁の寸面を大きくする方法を採る。
つまり、当該柱の負担を 横材で代替する方法である。このあたりについては、「日本の建築技術の展開-25」などで解説。
これに対して、イギリスでは、横材による方策ではなく縦材:base-cruck などで代替 する方策で対応している、と考えてよいと思われる。
これにも、おそらく、石造の「伝統」と「広葉樹」による架構の「伝統」が影響しているのではなかろうか。
つまり、「直材」主体の束立組:いわゆる和小屋組の技法に至らなかった・・・。それゆえ、fig77c などは、珍しいのだろう。
なお、fig77c では、上屋柱の頂部の幅広部分に折置で小屋梁を承け、一段段違いに加工した部分で桁を承けている(いずれも枘差だろう)。