この四月から、「電力の自由化」が始まるとのこと。
原発の稼働に反対する方がたの中に、原発に拠る発電をしていない電力会社と契約しよう、という動きがあるとのこと。
1970年代の中ごろだと思いますが、東海村の原発が運転を始めたころ、それに反対する人びとに対して、「ならば、電気を使うな」という《名言》が発せられました。今でも同様の「言」があるように思います(「交付金で潤うではないか」などというのもその派生文言の一つでしょう)。
そのとき、反対する人びとからは、「ならば、電力にその身元を示す色を付けてくれ」というこれまた《名言》が発せられました。
しかし、本当の問題は、そういう身元調べではなく、より根本的な点にあるのではないでしょうか。
そのあたりについて何時もながら明解・明快に説いていたのが、東京新聞の新年の社説でした。以下に転載させていただきます。
そこに紹介されている「人びとの言葉」は、いずれも、忘れてはならない、忘れられない「名言」です。
予告:「ケントの家々」の続き、徐々にですが、進めています。もうしばらく時間をいただきます。
原発の稼働に反対する方がたの中に、原発に拠る発電をしていない電力会社と契約しよう、という動きがあるとのこと。
1970年代の中ごろだと思いますが、東海村の原発が運転を始めたころ、それに反対する人びとに対して、「ならば、電気を使うな」という《名言》が発せられました。今でも同様の「言」があるように思います(「交付金で潤うではないか」などというのもその派生文言の一つでしょう)。
そのとき、反対する人びとからは、「ならば、電力にその身元を示す色を付けてくれ」というこれまた《名言》が発せられました。
しかし、本当の問題は、そういう身元調べではなく、より根本的な点にあるのではないでしょうか。
そのあたりについて何時もながら明解・明快に説いていたのが、東京新聞の新年の社説でした。以下に転載させていただきます。
そこに紹介されている「人びとの言葉」は、いずれも、忘れてはならない、忘れられない「名言」です。
予告:「ケントの家々」の続き、徐々にですが、進めています。もうしばらく時間をいただきます。