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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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“THE MEDIEVAL HOUSES of KENT”の紹介-24

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  The pattern of late medieval development

ケント地域の中世家屋の調査により、調査終了時点までに、1370年代以降の建設と判定された477事例について、その詳細が明らかになった。それらは、特別な目的で造られた建物も在るが、総二階建ての事例が多数あり、その他は、全体の形態が分らない断片的な遺構である。しかし、断片的遺構のうちの379事例は open hall 形式で、これらは、いろいろな観点で分析され、この地域の建物の1370年~1540年代の発展と分布の様態を描くうえで貴重であり、役に立たない事例は一つもなかった。ただ、遺構のいくつかは、まったく年代を確定できないため、発展のどの過程にも位置付けることができない。また他の事例は多様な様相を呈していて、それぞれは別の目的があったものと考えられる。更に、まったく記録されなかった事例もかなりある。たとえば、ある wealden 型式の事例は、近づくことができなかったため、数の上では中世遺構の事例として、また wealden 型式の一事例として数えられているが、家屋の「時代-家屋」の考察からは除外されている。
それゆえ、以下の諸表で挙げられる建物の数は、表によって異なっている。たとえば、総二階建てや特別な目的の建物は含まれていない。二階建の建物は事例が少なく、その分析も定かにできていない。それゆえ、これらについての解析は、必然的に推論の域に留まらざるを得ず、解析も項目それぞれ独立に扱っている。

  The chronology of surviving houses

中世の open hall の様態を論じるためには、はじめに建物の建設年代判定の問題について考えておく必要がある。
年代構成の枠組みは、年輪判定法で年代が既定の建物を基に為され、その枠組みの中に、すべての建物の建設年代を位置付けている。なお、年輪判定法によるデータの扱い:問題点については、付録1(後に紹介予定)において詳しく論じてある。
時代を越えて発展過程を表すために、各遺構・遺物は、必ずしもすべてに適切ではないが、およそ40年程度の幅の中に位置づけるようにしている。この時間区分に割り振られた事例は、計算の都合で中間の年代が与えられる。
先ず、fig64 。これは、建物の件数を10年単位でまとめた表である。

対象になし得る建物の実数は378件であるが、事例によってはいくつもの時期にわたるものがあり、架構として際立つ様相を1件として数えているため、図表上では405件になっている。
表は、調査が集中して行われた教区の事例数とそれ以外の教区の事例数に分けて表示している(表の註記参照)。表に入れた全てを数えると、これらの教区の様相・傾向は他の地区のそれと大きな違いはないと思われる。このように色分けしてみると、この表は、全域をくまなく調べなくても、この地域で何が実際に起きていたのか、それを如実に反映していると見なせるのではなかろうか。ただ、建設年を中間の年とする方法で決めるのは逆に不確かさを増幅するのは明らかである。しかしながら、他に「これは」という絶対的な決め手がない以上、この方法が最も妥当であると考えている。
   註 60教区の調査でも(全域調査しなくても)、全域の様態を推測できること、つまりこの研究調査法の妥当性を説いているものと解します。
fig64 は、14世紀中期以降の建設とされる事例が存在しないなかで、1370年代以降の建設の新しい建物の現存数が増え始めることを示している。表に示されている各10年間の事例数は決して多くはないが、初期の状況と以降の状況の違いは注目してよい。しかしながら、15世紀初期には、事例数は増加することなくほぼ一定に推移し、状況の変化を正確に反映していると思われる調査した60教区に限れば、むしろ減少しており、その傾向は1440年~50年代まで続いている。このことは、現存している型式が、後の時代ほどには、その時代の一般的な建物の用途を反映はしておらず、また、一旦ある形式が採り入れられると、それが一定の比率で増える傾向があることを示している。それゆえ、高さの低い建物が後の時代に改造された事例も多いと思われるが、ケント地域に遺っている家屋の多くは、1370年代以降になって着実に数を増していると考えてよいだろう。
しかし、fig64 の示す数値に過度に依拠することは誤りである。たとえば、表に示されている60教区で収集された事例(数の変移)から、15世紀上半期の新築建物は減少傾向にある、と見なすには注意がいる。

変遷のペースの低下は、建物の形式が変わり始める頃と時期が重なっている。
fig65 は、1370年代以降に建てられた open hall を型式別、建設時期別に示した表である。

ただ10年ごとに仕分けるには事例数が少ないので、より大きく34~35年ごとの5期に分けてある。最初は主屋に直交配置の別棟、あるいは open hall :主屋:だけが現存する事例が主で、より新しい側壁の高い建物が少ない。第二期になると、新しい形式が旧型式を上回るようになるが、その多くは重点的に調査した60教区の事例ではない。この展開は予想外ではあるが、fig64 で明らかになっている15世紀初期の事例数減少傾向を何ら説明してはくれない。これらの主屋や別棟が中世の新形式の建物あるいは中世以降の建物に建替えられたのであるならば、中世の遺構の事例数は、減るのではなく増えていなければならない。それゆえ、14世紀後期の短期間の新築ブームの後は、15世紀中期以前の新築事例は数少なかったか、あるいは中世以降に取り壊されてしまうような相変らず小さく高さの低い建物しか建てられなかった、と考えられる。これらの詳細についての論議は後12章で触れるが、このどちらの可能性が強いかを考えるにあたっては、15世紀における農業、経済の不況下では立派な建物を造る費用はなく、不況から抜け出せるのは15世紀下半期になってからである、という事実に留意する必要があろう。それまでは、新形式の建物など、彼らの手の届くものではなかったのである。
新しいより良い建物の建設が急増するのは1450年以降に集中しており、fig64 の示す変遷の様態や、年輪時代判定法で1460年代建設とされた事例がいくつかあることから、新築しようとする気運は既にその頃にあり、増加への変化はその10年間に始まっていることが推論できる。その頃から16世紀初頭の10年にかけて、目に見えて遺構数が増加している。fig64を見ると1480年代、90年代に最大になっているが、遺構のいくつかの年代判定に誤りがあったとしても、この傾向には変りがないだろう。
そして、16世紀初頭には、遺構数は15世紀中期と同程度にまで劇減している。これまでの研究では、見事なつくりの open hall のいくつかは、1520~30年代に建てられたとされてきた。しかし、年輪測定法の判定に拠って、その再考が必要になってきている。open hall 型式流行の最終段階に建てられたと考えられる見事なつくりの建物のなかには、実際は1480年代より以前に建てられているが、1510年代までに総二階建ての家屋に建替えられたと見られる例がある。これは、ある一定の地域の様態である。なぜならば、立派な open hall が建てられなくなる地域がある一方で、16世紀中期の終わる頃までは、幾分印象は薄いが open hall 形式の建物は各地で建てられていたのである。ただ、これら後期の事例で現存している遺構は少ない。
しかしながら、fig64 に示されている open hall 激減の理由として、二階建ての hall の導入を挙げるのは、適切ではないだろう。16世紀初期の新築の二階建て家屋は、これまで正式な数や分析は為されておらず、ただ見つかり次第記録されてきただけである。それらの中には、たとえば1506年建設の LINTON の COURT LODGE 、1507年の STAPLEHURST の LITTLE HARTS HEATH などがある。ただ、このような初期の事例は稀であるが、16世紀後期になると、総二階建て家屋が当たり前のように造られ始める。そして、最も興味深いのは、fig64,65 で分るように、16世紀初頭、新築家屋の総数が、100年前(15世紀初頭)と同じような様態で激減していることである。
                                                この節 了
 
  註 イギリスケント地域の中世の家屋の形態・形式の諸相
    このシリーズの第19回で載せたwealden 形式など、イギリス中世の家屋の諸形式を図解した fig49 を下に再掲します。

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次回は The dating of different house types の節を紹介の予定です。
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筆者の読後の感想
  調査地域内の中世家屋の遺構数の多さ(500に近い!)に驚きました。知る限り、日本では、まったく考えられないことだからです。
  たとえば、私の暮している集落は、総戸数50戸以下と思います。8割以上が地付きの方がた。つまり、代々この地で暮してこられた方がた。
  その方がたの住まいで、明治以前にまでさかのぼると思しき家は多分存在せず、ほとんどは明治以降、おそらく昭和になってからの建設が最多でしょう。
  詳しく調べたわけではありませんが、昭和30年代に建替え・新築のブームがあったようです。
  おそらく、改造・建替えは、何時の時代にも、頻繁に行われてきているのだと思われます。日本の場合、他の地域でも同じでしょう。
  それゆえ、中世の遺構が多数現存するイギリスの様態に、驚かざるを得ないのです。
  何故なのか、ここまで読んだ限りでは、読み解けません。これも工法の違いが関係しているのかな・・・?

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