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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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露見した設計・デザイン界の底の薄さ

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昨日の毎日新聞夕刊の特集「読書日記」に気になる書物が紹介されていました。
スイスの建築家ペーター・ツムトアの「建築を考える」という著書の邦訳本の紹介です。
私は不勉強で、ツムトアをまったく知らなかった。記事は、松家 仁之 氏によるこの書の紹介です。下に、記事全文をコピー・転載します(文字が小さくて恐縮です)。

その「見出し」の「無用の主張をしない建築」という文言に目がとまり全文を読ませていただきました。
書き出しの松家 氏の文言、「建築の種類を思い切ってふたつに分けてみる。ひとつは、見る人を驚かせ立ち止まらせるもの。もうひとつは、ぼんやりあるいていたら見落としてしまうほど風景に馴染んでいるもの。・・・・」はまさに現在の「建築」の「姿」を見事に腑分けしていると私は思いました。
そして、ツムトアが「後者の建築をてがけたら右に出るものがいない存在」であることを事例を挙げて紹介しています。

時あたかも、国立競技場の設計やオリンピックのエンブレム問題が話題になっています。
この二つの「問題」は、ともに、「デザイン、設計」とは何か、という「根幹」についての「認識:思考」が、「デザイン・設計界にかかわる『いわゆる専門家』に欠落している」ことから発している、と私は思っていましたが、松家氏の「腑分け」は、まさにその点を突いているのです。
事態は、この「欠落」の論理的帰結に過ぎないのです。「根幹についての専門家たちの認識・思考の欠落」が、彼らの間にいわゆる「差別化」意識だけを生んでしまった、と言えばよいかもしれません。そこでは、「競技場とは何か」、「エンブレムとは何か」、という「本質」が置き去りにされ、「差別化競争」にのめり込むのです。

その意味で、今回の騒動は、期せずして、設計・デザイン界の底の薄さを、広く世に知らしめる効果があった、と私は思っています。そう、「いわゆる専門家」の化けの皮がはがされた・・。


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