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だいぶ間が空きましたが、今回は、Early roof construction in stone-walled buildingsの項の紹介です。
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Early roof construction in stone-walled buildings 石造壁建物の初期の屋根工法
Roofs with lateral members only 横材主体の屋根
石造の建物の屋根は、必ずしもすべて木造と同様の工法でつくられていたわけではない。ただ、先に触れた NURSTEAD COURT (断面図 fig43 : 下図)は例外で、木造と同じく aisle 形式でつくられていて、tie-beam :繋ぎ梁レベルから下には truss :小屋: を構成する部材はなく、truss は屋根の形状の構成にだけかかわり、それゆえ、 passing brace :交差する brace や duplicate braces : fig38b のように、斜材を重複してつくることか? をつくる組み方には適さない。それゆえ、木造建物に見られる長い屋根部材(合掌材のことか?)は、 collared rafters (合掌に組んだ垂木の中途:襟首: collar :に入れた横材とでA型に組む: fig33の屋根端部参照)の単純な工法、あるいは、scissor braces 工法へと変わってゆく。collared rafters は、 main truss にだけではなく屋根全面にわたって用いられるようになる( fig33参照 )。
註 この部分の原文、難解、それゆえ、筆者の想像で訳しています。
説明のために、fig33 、fig38 を下に再掲します。
この図の右上、屋根の端部の合掌:垂木をA形に組む組み方が、collared rafters と呼んでいる部分。
当初の工法による屋根と考えられる遺構の一つが、1230年代の建設とされる LUDDESDOWN COURT に断片的に現存している。主屋とその右手の別棟の石造の切妻壁に、当初の scissor-brace 形式の truss :小屋組が遺っており、小さい方の棟の妻壁には多辺形をした truss が健在である( fig39 )。この truss は、collar :繋ぎ梁:と 単純な cissor brace で構成され、壁上には当初期の ashlar piece :束柱:も見ることができる。交叉する部位では、木材はすべて重ねられており、特にashlar piece :束柱 と rafter :垂木=合掌材は、交叉部で材相互を刻んで重ね合せている( notched laps : fig39a 参照)。
secret notched lap は、CANTERBURY の CHRIST CHURCH PRIORY の大執事邸でも見られるが、農村の事例では見たことがない。
註 secret notched lap :一見したところ、刻んで重ねてあることが分らない、という程度の意と解しました。
このような屋根の工法に加え、LUDDESDOWN COURT の床の組み方は、13世紀の木造建築の一般的な工法を示していると言ってよいだろう。すなわち、床は、支柱に支えられた太い spine beam :背骨、竜骨の上に組まれている。spine beam :背骨、竜骨と支柱の仕口、 spine beam の継手の詳細は外からは見えない。
註 この部分の原文は、次の通りです。
多分、桁を「殺ぎ継」で継いでいることの説明ではないかと思われますが、語意が分りませんので、上記のように簡単に訳しました。
they are lodged on massive spine beams, carried on samson posts which are scarfed in an unusual and not fully visible manner, with face-halved scarfs
with sallied and probably under -squinted butts.
なお、fib39b の解説文中の bolster は、日本語では肘木と呼ぶ部材の名称で、英語の原義は枕木です。
日本の工法では、支柱の頭枘で肘木を取付け、肘木と桁は何本かの太枘(ダボ)で固定します。
この方法を採るとき、桁の継手は、特に設けず、突付けで済ますこともできます。
fig40、fig41 のような scissor-brace 形式 や、collar-rafter 形式の屋根は、石造建築においては、長い間使われている。1303年建設の CHARTHAM の CHRIST CHURCH PRIORY の官邸(現在は執事邸)では、soulace で補強された二段の collar :繋ぎ梁:をもったcollar-rafter 形式の屋根が、遺されている( fig40 参照。おそらくそこには、louver :越屋根が設けられていたのだろう)。
註 soulace :fig40 のように、 collar :繋ぎ梁と rafter :合掌:垂木材の接続部を、方杖様の斜めの材で補強することを呼ぶようで、
その部材もsoulace と呼ぶらしい。
中世イギリス木造建築によく見られる方法のようです。
collar :繋ぎ梁 と soulace は、SQUERRYES LODGE(平面図 fig5下に再掲 ) の小さい方の建屋にも使われている。この建屋は13世紀中期の建設と推定されるが、この架構は、構造的には必ずしも必要とは考えられない。同様な架構は、1290年建設の OLD SOAR ( fig20 下に再掲)や、1342年建設の IGHTHAM MOTE の chapel ( fig22 下に再掲)にも見られる。scissor braces と collar :繋ぎ梁 を併用した LUDDESDOWN COURTの架構にきわめて似た屋根が、 THANET 、 MINSTER の MINSTER ABBEY の hall のある建屋の初期建設の部分にも遺されている。CHRIST CHURCH PRIORY の官邸であった MERSHAM MANOR 、COPTON MANOR や ACRISE の HOAD FARM(これらはいずれも1320~1330年代より後に建てられたと思われる)には、collar がなく strong>scissor braces だけの架構が建屋全部に使われている。COPTON MANOR では、fig41a のような架構が、規模のまったく異なる3棟に使われている。
この経緯から、こういう簡略形の(collar がなく strong>scissor braces だけの形式の)屋根が、その効能の当否を考えることもなく使われるようになるのは、strong>scissor braces と collar :繋ぎ梁 を併用する工法より若干遅れて始まったと考えられる。
註 構造的な観点を欠いて形式だけを真似する事例が増えた、ということを述べているのだと思われます。
縦方向の強化の施されないタイプの別の形式の屋根が、ケントの初期の石造家屋に見られる。これは、crown-strut 形式と呼ぶ方式で( fig41 参照)、beam :梁と collar :繋ぎ梁との間に梁間ごとに縦方向の支柱を設ける工法である。この形式の屋根が、CANTERBURY の BLACKFRIARS (ドミニコ会の修道院か?)の refectory :食堂に現存する。屋根材を含む建設資金が1237年~1259年に取得されていることが判っているので、この屋根形式は、その頃に造られたものと考えられる。
CANTERBURY 以外にも、世紀の替る前後に建てられた事例が二つある。
一つは、SALMESTONE の ST AUGUSTINE の邸宅の chamber であったと思われる13世紀後期~14世紀のごく初期の建設と考えられる建屋の屋根で、もう一つは、前掲fig41b の GREAT CHART にある COURT LODGE : CHRIST CHURCH PRIORY の官邸:の hall の屋根で、1313年の建設であることが判っている。これらは、ともに農村地域に在るが、これまで触れてきたscissor braced 形式 と collar-rafter 形式の屋根工法に類似していて、CANTERBURY の宗教施設の工法の範疇に属すと言ってよく、いずれも、CANTERBURY の石工や大工の手によって造られたのではないだろうか。
註 crown-strut形式など、crown-・・・、king-・・・については、次項以降に解説があります。
King struts, crown post and the introduction of longitudinal roof timbers King struts, crown post :縦方向の屋根部材の採用
イギリスで、何時ごろから小屋組に縦方向の部材を用いるようになるか、については、長い間論議されてきている。この論議は、13世紀のイギリスの屋根の構築に、大陸、特にフランスとフランダースの工法が関わっているかについて、そしてそれがどのような経過でイギリス国内にに普及していったか、その二点が主な論点であった。これらの論点は、単にケント地域以外の各地の建物だけではなく、また、一般・世俗の人びとの建物はもとより、教会関係の建物の屋根に関わるものであった。今回の調査研究では、未だに工法の起源こついての最終的な結論には達し得ていないが、13世紀後期~14世紀初頭の英国内の多様な屋根工法の起源に関わる従前より詳しい知見は明らかになった。
CANTERBURY の建物の一群は、13世紀の第三四半期の建設と推察される。その事例のうちで、最も重要な2事例は、ST AUGUSTINES' ABBEY の GUEST HALL と、CHRIST CHURCH PRIORY の THE TABLE HALL である。両者とも、合掌の頂部に達する king strut :束柱があり、その柱に collar :繋ぎ梁を枘差で 取付け支えている。ST AUGUSTINES' ABBEY では collar :繋ぎ梁 が二段設けてあり、CHRIST CHURCH PRIORY の屋根は、scissor brace 形式 で架けられている。
king strut :束柱自体の形は多様で、入念に他の部材と接続されているのが普通である。他の材の支えがない独立の king strut :束柱 が使われるのは、英国南東部、CANTERBURYを中心とした一帯およびその周辺に限られ、必ずしも一般的な方法ではないようである。
それらの事例のほとんどは14世紀の第1四半期に建設されたのは確実で、ただ、その起源が13世紀第3四半期までさかのぼり得るかは今もって疑問点として残されている。 THE TABLE HALL の建設時期は、文献記録から、1823年以前であるとする説が有力ではあるが、部材に施されている moulding :化粧彫り:の形から判断すると、13世紀のかなり遅くかあるいは14世紀初頭の建設と見なした方が妥当に思われる。 一方、、ST AUGUSTINES' ABBEY の GUEST HALL の建設時期は文献記録はないので、その周辺の建設時期の判っている建物群から勘案して推定するしかない。それによれば、1260年代までさかのぼり得るが、確かであるとは言い得ない。その他の一群の CANTERBURY の建物は、ほとんどが1300年頃の建設と見なしてよさそうである。 THE TABLE HALL と同様な特徴を持つ strong>CANTERBURY の THE EASTBRIDGE HOSPITAL の chapel の屋根の建設時期は、「年輪時代測定法」に拠って、暫定的なデータではあるが、1301年という結果が出ている。
今回のケント地域の調査で、king strut :束柱:形式 の屋根を持つ事例が一つだけ新たに見つかった。
それは、fig42a (下図)の SALMESTONE GRANGE(大地主の邸宅)の現存の建屋(当初から木造の建物である)の屋根で、明らかにCANTERBURY の建物群の架構法の影響が見られる。
この屋根は、great chamber の crown strut 形式の屋根の先駆けと言え、確かなことは言えないが、いずれも1326年建設の chapel よりも早い時期の建設と見てよいだろう。
石造建物の屋根の工法は、最終的に、crown-post 形式に行き着くようである。
crown-post 形式の工法は、tie beam の上に建てられた柱:束柱で、collar :繋ぎ梁を支持する方法であるが、king strut :束柱:形式とは異なり、束柱は、合掌頂部までは伸びず、collar :繋ぎ梁で止まる。通常は、束柱の脚部と頭部に化粧彫りの施された「座」が設けられ、 fig42b(前掲)、fig44a(下掲) のように、頭部の座に取付いた斜材が、collar :繋ぎ梁~合掌材を結ぶ soulace :斜材(前掲 fig40 の註・解説参照)とcollar :繋ぎ梁相互を長手に繋ぐ材:桁とを支えている。
現存するking strut 形式 が、大多数の crown-post 形式よりも先行していたことは明白であるが、しかし、当初の両者の関係は、未だに詳らかではない。イギリスのなかで最も旧いcrown-post 形式の屋根は、WELTSHIRE, SALISBURY の THE OLD DEANERY(管区長邸) 、CAMBRIDGESHIRE, BOURN の MANOR FARM (荘園内の農家か?) の遺構で、ともに1260年代もしくは70年代の建設と考えられる。その他に散在している遺構事例は、いずれも13世紀の最後の20年に建てられたと考えられているが、その中にはケント地域の事例が若干含まれる。
PLAXTOL の OLD SOAR ( fig42b、fig44a )の石造の chamber の crown-post 形式は1290年建設であるとする説や、AYLESHAM の RATLING COURT ( fig9 下に再掲)の木造 aisle 形式の hall の crown-post の屋根は13世紀第4四半期の建設とする説に異論があるのも当然である。
最近になって、これら中世初期の建物の建設年代推定の確度は、「年輪年代測定法」によって、EAST SUSSEX WARBLETON の木造の OLD RECTORY の建設が1292,3年と判定されたことで、その妥当性が認められるようになってきた。この遺構には crown-post は現存していないが、その痕跡は遺っている。
ケントで「年輪測定法」によるデータがある初期の crown-post の事例は、1309年と判定された NURSTEAD COURTの屋根である( fig43:下に再掲、fig44b:下図 )。
NURSTEAD COURT では、crown-post のささえる短い yoke :繋ぎ材の上にking strut を想起させるように垂直の柱が立っている。この他の比較的初期の事例は、すべて全石造あるいは石造木造混淆の建物で、fig44e に示す1322年建設の east farleigh の gallants manor の附属棟、fig42c の1326年に奉納の記録のある SALMESTONE GRANGE の chapel 、そして1330年代よりも遅い建設と考えられる SOUTHFLEET の OLD RECTORY の hall・ chamber 棟や IGHTHAM MOTE (内観:fig13 、全容: fig22いずれも既掲 )などである。
註 crown-post とking strut :は、イギリスに於いても理解に混乱が見られるとのこと。
crown-post の crown は、その形状が、「樹冠:枝を張った樹木の頂部:crown 」に似ていることからの呼称・通称・俗称ではないかと推察します。
ただし、彼の地の辞書には、そのような解説は載っていませんでした。
この項を読んでの筆者の感想
crown-post についての原文の解説・説明は、よく分らない点があります。
crown-post は、tie beamごとに立っています。
tie beamの間隔は長手方向の柱間ごとですから、tie beamの間隔も同様に柱間ごとになります。
それゆえ、crown-post の頭部から梁間方向:、tie beamの方向に出る斜材が支えているsoulace :斜材 +合掌材も柱の間隔であることになります。
したがって、これ以外の合掌材には、支えがないことになります。このことから、
おそらく、crown-post 頭部からの斜材が支えている合掌材(+ soulace )は、垂木ではなく、いわゆる登り梁(+ soulace )であり、
その上に適宜母屋が置かれ、垂木が架けられるのではないか、と推察します。
fig44a の写真には、この母屋材が見あたりませんが、多分、天井が母屋下面に設けられているのではないでしょうか。
もっとも、fig42 の断面図にも、この材は記されていません? ゆえに、疑問は解消されません!
なお、soulace を斜材が支える方式にも、違和感を感じます。
collar を支えるようにすれば、合掌材と collar との接続部を補強する soulace の必要もなくなるからです。
fig43 ではそのようになっています。ただ、その場合の soulace の架構上の役割がよく分りませんが? 単なる形式、様式か・・・。
このようないわば「面倒な」工法が生まれたのは、ことによると、直材が得やすい日本には base-cruck 方式の発想が生まれなかったように、
針葉樹主体の地域と広葉樹主体の地域の違いが、関わっているのかもしれません。
それゆえに、おそらく、日本の工人は、こういう方向には向わなかったのではないか、とも思いました。
このあたりについて注視しながら、このあとの解説を見てゆきたい、と思っています。