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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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“THE MEDIEVAL HOUSES of KENT”の紹介-9

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今回は、3 Ground-floor halls : late 13th and early 14th centuries の章の紹介です。
この章は、概説に続き、次の節から成っています。分割して、紹介します。
  Timber-framed halls
  Stone halls
  Differences between stone and timber halls
  The form and layout of the hall
  Builders of stone houses
  Builders of timber-framed houses

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[文言補訂 19日16.55]

今回は、分量の都合で、次の節を紹介します。
  Timber-framed halls : 木造の hall
  Stone halls : 石造の hall


なお、全編を通して、地名、建物名が続出しますが、地名については、地図上ですべてを確認できていません。
また、建物は、本書に図などが載っている事例以外は(引用文献等に紹介がある事例は)紹介を省きました。ご了承ください。

参考として、ケント地域の地図を再掲します。[地図再掲追加 20日11.10]



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3 Ground-floor halls : late 13th and early 14th centuries

中世の住居の主な形態としてGround-floor hall 形式が長い歴史があることは、多くの遺構調査で明らかにされてきた。
また、aisled hall 形式も、イギリス中の上層社会に於いては、12世紀以来、建てられ続けてきている。HEREFORD の司教官邸 、SURREY の FAHNHAM CASTLE 、LEICESTERSHIRE の OAKHAM CASTLE などがその例である。
しかし、ケント地域には、これらに相当する例が少ない。この地域で現存する初期の hall は、一部だけが保存されている13世紀初頭建設の CANTERBURY の大司教官邸 の aisled hall ぐらいではなかろうか。
この地域で最近まで遺っている中世初期の ground-floor hall の事例は、いずれも13世紀中期に造られたと考えられるが、すべて aisle hall 形式ではない。GODMERSHAMの裁判所公邸 、CHRIST CHURCH 修道院の邸宅 などがその例であるが、これらはいずれも石造である。

今回の調査研究の過程で、20件あまりの14世紀前期あるいは中期の ground-floor hall の事例が収集・記録されたが、その半数は石造、残りの半数が木造である。
知り得る限り、最も初期の ground-floor hall 形式の建物は石造と思われるが、しかし、石造の住居が木造の住居よりも以前から造られていたのだ、と言い切ることはできない。何故なら、事例を見ると、木造の建物のいくつかの架構は、明らかに1300年代以前のつくりと考えられる「古風な: archaic 」形をしているからである。それゆえ、現存する石造事例の大部分は、14世紀(1300年代)前半以降の建設と見た方がよいのではなかろうか。

Timber-framed halls : 木造の hall

最も旧い(初期のもの)と思われる木造建物の建設時期の判定は難しい。附録1( APPENDIX Ⅰ )で明らかなように、これら「古風な架構」事例から採取した試験体は、いずれも「年輪年代測定法」にそぐわなかったため、いまのところ、その判定は従来の方法に拠るしかない。
   註  APPENDIX Ⅰ 本書の巻末に Tree-ring dating の詳しい解説及び50余の実測事例が紹介されていますが、今回の紹介では省かせていただきます。
      いずれ、紹介いたします。
建設時期がよく分っている事例が一つだけある。CHRIST CHURCH 修道院の官邸の EASTRY COURT である。その1293~1295年の「資財帳」に、木材と石材の購入、古い草葺の hall の取り壊し、新しいhall と chamber 建築のための大工職への支払い、などの記録が残されている。
   註 「資財帳」:原文は serjeant's rolls です。内容から、日本の資財帳に相当する文書ではないか、と推察しました。
     〇〇COURT : COURT は「中庭」「路地」の意で、地名に用いることもあるようです。この場合は「〇〇邸」の意、とも思われますが、原文のままとします。
                英語の用法・用語に詳しい方、ご教示ください。
この13世紀後期建設の hall は、14世紀に入ると、はじめに木材部が補強改修され、次いで外壁が石造に改修されている。そして、その後の改築では、一つのトラス組を残し、全てが取り壊されてしまっている。その一部遺っていたトラスを想定復元したのが下図( fig8)である。しかしこの事例は、全容は当初の形で遺されてはいないが、ケント地域に残存する最古の遺構の中でも、 aisled hall の初期の架構ならびに形態を想起させるに十分な遺構と言ってよい。ケント地域での正統な木造架構の起源は、13世紀末の10~20年の間であろう、との仮説は、この事例の状況の考察により生まれたのである。


EASTRY COURT に類似のaisled hall は、EASTLING の EASTLING 邸、SITTINGBOURNE の CHILTON 邸、SUTTON VALENCE の BARDINGLEY 家(農家)などがあり、更に洗練された例として、TONGE の、 NEWBURY 家(農家)、AYLESHAM の RATLING COURT ( fig9:下図) が挙げられよう。


その他の初期の木造建築では、HADLOW の BARNES PLACE ( fig47:下図)や EAST PACKHAM の LITTLE MOAT COTTAGE ( fig48:下図)、 FAWKHAM の COURT LODGE ( fig46 a )のように、open truss は aisle 形式(身廊+側廊形式)を採っていない。
   註  open truss とは、部屋の中央の「 open : 全容が現わしになっているトラス組:をもつ梁間軸組」の意と解します。
      fig46 bのような場合を spere truss と呼ぶようです。後註参照。




また、時には、CHILHAM の HURST 家(農家)のように( fig10:下図 、)まったく aisle (側廊:下屋に相当する部分)を設けていない事例もある。
この側廊:下屋を設けない形式は、 aisle 形式(身廊+側廊形式)よりも若干遅れて出現するようである。

   註 open truss と spere truss の語義についてwikipediaから抜粋。
     The terms closed truss and open truss are used in two ways to describe characteristics of truss roofs.
     Closed truss:  1) A truss with a tie beam;
                2) A roof system with a ceiling so the framing is not visible.
     Open truss:   1) A truss with an interrupted tie beam or scissor truss which allow a vaulted ceiling area;
                2) Roof framing open to view, not hidden by a ceiling.
     spere, speer, spier, spure.
      Screen, usually treated decoratively, and with one or two doorways, at the lower end of a medieval hall defining the screens passage between hall and
       kitchen, or separating the cross-entry from the hall.
       Its top often coincided with the tie-beam of a roof-truss above, in which case the screen and truss were termed the speer- or spere-truss.

      base-cruck : 下記をご覧ください。
       “CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS”:イギリスの古建築ー4

屋敷地も含めての遺構調査の分析から、最も初期の木造架構は、建設がすべてほぼ同時期の建設で、また、広さも大体同じであることが分ってきた。
ケント地域では、農家住居が2事例だけ完全な形で見つかっている。LEIGH と PIVINGTON、PLUCKLEY の MOAT FARM である。これに BEKLEY 近在の JOYDENS WOOD の事例も付け加えてもよい(この建物は、現在、GREATER LONDON に在る)。
この3事例は、同時に見付かった陶器から、13世紀後半あるいは14世紀初期の建設と判定されている。いずれも、基本は aisle 形式であるが、側面に arcade を備えた軸組は(アーチ状の支えを設けた軸組の意か:下柱参照)設けられていない。
   註 MOAT FARM : MOAT は都市や城の周りの堀、濠のこと。ゆえに、濠で囲まれた農場:環濠の農場だろうか?
     arcade : fig9 右手奥の出入口部のように、桁を柱から斜材で支えるとアーチ状になります。ゆえに「アーチ状の支え」と解しました。
     これを連続させるつくりが、  arcade の原義のようです: 拱廊(きょう ろう) と訳すとのこと。拱は斗拱の拱です。
     斜材は直材でなく弧を描いていてもよい。その方が、よりアーチ状になる。上註の cruck 構造の記事を参照ください。
JOYDENS WOOD の家は、おそらく base-cruck 構造であったと考えられるが、その他の事例は、梁間1間の軸組(2本の柱の間=1間に梁が架かる軸組: cruck 構造でもなく、 aisle 構造でもない、という意と解します)で組まれた hall であったらしい。
   註 fig10のような構造もこれに該当すると考えられますが、この説明は、梁がもっと単純な(日本の束立組のような)場合の意と推察します。
このような単純な架構を採ることは、それぞれの広さに明白に反映している。たとえば、 JOYDENS WOOD の事例は72㎡で、最近の現存家屋とほぼ同じである。そして、 BEKLEY の事例は、 JOYDENS WOOD の事例よりも狭く52㎡、 PIVINGTON の例は31㎡にすぎず、他の14世紀に建てられた事例に比べても数等小さい。
   註 中世の人びとは、「定型」に拘らず、用に応じて(所要の部屋の広さに応じて)適切な架構方式を考えていた、ということの解説と思われます。

Stone halls : 石造の hall

石造の邸宅は、世俗、教会関係の別を問わず、 14世紀前半から現れだす。
CHRIST CHURCH 修道院の「 Memorandum Book of PRIORY EASTRY」 に、当修道院が行なった1285年~1322年の間の事業・業務が記録されているが、そこには、修道院関係の建物の更新と拡張が、この時期盛んに行われていたことが記されている。
更に、この「 Memorandum Book 」には、修道院が手を付けたすべての建築以外に、先に触れた「資財帳」からしか分らなかった EASTRY COURT の建築についての記録もあり、1303年の CHARTHAM 、1313年の GREAT CHART の 石造 hall の建築も記録されている。なお、これらの建物はすべて現存している。
MERSHAM の MERSHAM 邸(fig11:下図)や

   註 窓まわりの煉瓦積は、修理によるものと思います。
SHELDWICH の COPTON 邸( fig18:下図)の hall も、これらにきわめてよく似ているのだが、

Memorandum Book には触れられていないから、これは1322年までには建てられていなかったみてよく、様式的な点から、1320年から1340年の間に建てられたと考えるのが妥当だろう。ほとんど同時期に、 St Augustine's Abbey でも、建物改修が進められ、THANET の MINSTER SALMESTONE の農園の新しい建設が始まっている。
このような教会・宗教界に見られる突然の建設ラッシュは、1279年の MORTMAIN 法による規制が一因のようである。
この法律は、宗教団体による新規の土地の取得を禁じていた。そこで、彼らは、手元の資金を既存建物の改修・改築に費やすことに熱中し、その一環として、堅固なつくり:石造:の建物の新築が盛んに行われたのである。 
   註 MORTMAIN 法 : 宗教団体への不動産の譲渡を禁じた法律か?ご存知の方ご教示ください。

現存する一般の人びとの石造家屋の建設時期も、そう大きくは違っていない。その唯一の事例である石造の aisled hall を持つ MEOPHAM の NURSTEAD COURT ( fig12 :下図)は、「年輪測定法」で、1309年建造と判定されている。

一方、EAST FARLEIGH 、 GALLANTS MANOR には、「年代測定法」が1322年を示した建屋を持つ事例が在ったようだ。
ACRICE の HOAD 家(農家)は、 MERSHAM 邸(前掲: fig11) と類似点ががあり、LEEDS の BATTEL HALL は、1330年代あるいは1340年代初め頃に建てられたことが知られている IGHTHAM MOTE ( hall 内観 fig13 :下図 )に匹敵する。

PENSCHURST PLACE は1340年代に建てられているが、ほぼ同時期14世紀中頃とおぼしき事例として石造の牧師館が2例分っている。すなわち、CLIFFE-at‐HOO の THE RECTORY HOUSE とSOUTHFLEET の OLD RECTORY 別称 SOUTHFLEET RECTORY ( FRIARY COURT and OLD FRIARY としても知られている:後章で紹介。この建物の長手の断面図が fig14 : 下図 )である。
   註 rectory : 牧師館
      friary : 托鉢修道会の修道院 詳しくは分りません。

 

                 以上で、Timber-framed halls 、Stone halls の項の紹介は終りです。

              
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     次回は Differences between stone and timber halls と The form and layout of the hall の項を紹介の予定です。
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   筆者の読後の感想
   石造と木造のように異なる架構技術がが併存し、互いに影響しあいながら進展・展開するという状況は、日本ではありませんでした。
   イギリスは、近代建築に於いても、先頭を走ったはずです。彼の国の人びとは、鉄やコンクリートが現れても、特段慌てることがなかったのです。
   そういう状況の経験・体験がなかった、ということが、日本が「いわゆる近代技術との接し方」においてギクシャクした因なのかもしれません。
   そのギクシャクは、日本の建築界では、今もって、尾を引いている、そのように思えます。
   大事なのは、虚心坦懐に「建物をつくるとはどういうことか考えること」だと改めて思っています。
   
   


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