先に載せたイチョウの樹の落葉です。
先日傍を通ったら、あのイチョウの樹は伐採されていました。何かの用材にするようでした。
先日の新聞投稿に、年末になると流行る「イルミネーション」を疑問に思う、との投稿が載っていました。
これまでにも「疑問」が投かけられることはありましたが、多くのそれは、電気のムダ遣い、あるいは、樹木を傷める、という理由が大半だったと思います。
私も「イルミネーション」には好感が持てない人種です。
社寺の参道には、よく石灯籠が列をなしています。灯りがともされるとそれは見事です。しかし、これは、イルミネーションとは同一視できないはずです。今のイルミネーションは、それで人が何人集まった、などと言っていますから、人集め目的の event ですが、参道の灯篭は、参詣する人びとの足元を照らすのが目的。筋の通った理由がある。
ところで、投稿者の「疑問」は、震災被災者、とりわけ12万を超えるという故郷を追い出された福島の原発事故被災者に対して、思いやりを欠いた所作ではないか、 LED で電気消費量が少ないから・・などとというのは理由にならない、との主旨でした。
特に、自然災害とは別の不条理な理由で故郷を追われた方がたは、イルミネーションを見て楽しい気分になれるだろうか?「癒される」だろうか?
都会の人たちは、はしゃいでいていいのか?原発事故のことを忘れてしまっているのではないか?
私は、投稿者の心の細やかさに感動しました。
「年忘れ」と言いますが、月日が経っても決して忘れてはならないものがある、そのように私は思いました。
12月初めのころのNHK・BSで面白いドキュメンタリーが放映されていました。
北米北部シカゴ(だったと思います)に暮す高齢の二人の女性が、車椅子でニューヨークに乗り込み、ウォール街や政府のお歴々を「どうして経済は右肩上がりに成長し続けなければいけないのか」と質問攻めにする、という話です。
これ本当にドキュメンタリーなの?と思ったものです。ノルウェイのTVの製作とのことでした。
もちろん、お歴々からは明瞭な応えは返ってこなかった。
実は、私もかねがね、この高齢の女性たちと同じ疑問を抱いてきました。
「右肩上がり」というとき、そこでは「利益」「利潤」を「常に増やす」、という発想が裏にあるように思えます。「利益」「利潤」とは、言うなればオマケ。必要不可欠なものをまかなった上に更にプラスするもの、ということでしょう。
現下の政府の経済政策なるものも、大企業の儲けた「利益」を、一般庶民に「滴らせる」ことで「活気」をつくりだす、ということらしい(そのように説く学者・有識者がいるのだそうです!)。だから、先ず大企業が更に「儲かる:利潤を上げる」ように努める、のだそうです。原発再稼働も、その一環のようです。「安い(?)電力」があれば、《儲け》も増える・・・。(下記新聞コラム参照)
何をもって「安い」と言うのでしょう?
私は、「入:+」と「出:-」が等しければそれでいいではないか、と思う「単純な」タチです。つまりプラスマイナス0。
ものの生産でも、需要と供給が釣り合っていればいいではないか、と思う。(必要以上に)たくさんつくり、それを売りさばくことで「利潤・利益」を上げる、という発想は、腑に落ちない。私は、かつての「近江商人の思想」に共感を抱くのです。どうして、今は、近江商人のような思想はだめなのか、そこが私には分らない。
先のウォール街に乗り込んだ高齢の女性たちの考えることも同じようでした(多分ノルウェイのTV製作者の考えも同じなのでしょう)。
どなたか、このあたりについて分りやすく説明していただければ幸いです。
24日付東京新聞の社説及び25日付毎日新聞のコラムを、是非多くの方にお読みいただきたく、 web 版から転載させていただきます。