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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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12月8日

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近在の畑の縁や林のあちらこちらに銀杏の大木があります。
多分、どれも実生でしょう。
普段は気付かないのですが、今の季節と新緑の頃、際立ちます。
この寒さで一気に散り始めましたが、これは、そのうちの一本の数日前、快晴の日の姿です。

明日は12月8日。
12月8日が何の日か「具体的に」知っているのは、多分、現在70代後半より上の年代の人、つまりいわゆる「後期高齢者」の人たちだけでしょう。
昭和16年12月8日、いわゆる「大東亜戦争」の始まりとなった真珠湾攻撃の勃発した日です。

私は、当時「国民学校」入学前でした(ナチス・ドイツの Volks Schule に倣って、小学校が国民学校に改称されていたのです。)
昭和18年の入学後、毎年(疎開先でも)、この日には「記念日」として式典が開かれ、講堂に集められ、「教育勅語」を読み聞かされるのを、しんしんと伝わってくる床からの冷えこみに堪えながら立っていたことを覚えています。
二年生の頃には、もう空襲が始まっていて、学校に行ったかと思うと直ぐに空襲警報が鳴りひびき、走って帰宅する毎日。そして、やむなく山梨県竜王町に疎開。
だから、小学校の「楽しい思い出」は、昭和20年8月15日に敗戦、終戦となり、その冬になって、疎開から帰り落ち着いてきた四年生の頃からしかありません。
それゆえ、私たちの世代:「後期高齢者」にとっては、12月8日と、8月15日は、「思い出したくない、しかし忘れることのできない、そして忘れてはならない、特別な日」なのです。

新聞の投稿欄で、最近の政府の動きに、「開戦前に在った暗い時代の予兆」を感じて危惧を訴えるのは、多くはこの世代の方がたのように見受けられます。「日本を取り戻す」と称して時計の針を逆回ししようとする人たちの動きに、自らの「体験」から、言い知れぬ「怖さ」「怖ろしさ」を感じているからです(もちろん、この世代にも、あの頃を「よき時代」と思い、復活させたいとう人たちも居ないわけではありませんが・・・)。

昨日だったか、エボラ出血熱対策として、2万着の「防護服」を航空自衛隊の輸送機で西アフリカへ送ったとの報道がありました。
送るのは、全部で70万着で、残りの68万着は民間航空機で発送するとのことでした。そうであるならば、何故、全部を民間機で送ることができないのか?そこに、「何か」が垣間見える、と思うのは私だけでしょうか。

折しも「選挙」。7日付の信濃毎日新聞に、こういう怪しげな「動き」について危惧を感じて論じた社説が載っていました。web 版から転載させていただきます。私はまったく同感です。




この前日の同紙の社説は、「原発・エネルギー問題」について、論じています。
政府に「地方創成」などと言われるまでもなく、各地域の人びとは新聞をはじめジャーナリズムを含め、ずっとしっかりしているのです。沖縄の人びとの素晴らしい行動については、前々回に紹介しました。

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