イギリス・ケント地方とは、どのような所なのでしょうか?
本書に入る前に、「ケント地方」について、その概略を見ておくことにします。
はじめに、手元の地図帳:昭文社版「世界地図帳」からケント地方を含むイギリス「グレートブリテン島」南東部の地図を転載します。
A「当該地域地図」
“THE MEDIEVAL HOUSES of KENT”の「第一章 ケント地域の沿革」に、B「地理学的区分図」とC「地勢図」:土地の高低及び河川の流域(排水域)を示した図が示されています。また、INTRODUCTION:序章には、D「B地理学的区分図上に市街化地区およびparish:教区をプロットした図」が載っています。これらの図を以下に並べます。
筆者註
日本の建物についての「報告書」「学術書」「解説・案内書」等で、建物所在地域の「詳細な地形図」「地質図」「地勢図」などを載せてある例は、ほとんどない
と言ってよいでしょう。
「案内図」さえない場合が多く、別途地図等を探し場所を比定することになります。当然、地形・地質などは、まったく触れてさえいません。
この事実は、日本では、研究者をはじめ建築関係者の視線が、専ら、建「物」だけに注がれている、ということを如実に示していると言ってよいでしょう。
B「地理学的区分図」
図中の凡例は、次の通りです。
Marshland : 沼沢地
Northern uplands :直訳すれば「北部高地」となりますが、次の「地勢図」で判るように、標高は数十メートルに過ぎません。
それゆえ、marshland と比べての相対的呼称で、「台地」と呼ぶ方がふさわしいのかもしれません。
Downs(chalk):白亜質の草原地帯(樹木が少ない)。
Clay-with-flints :礫混じりの粘土。
Vale of Holmesdale :Holmesdale谷、Holmesdaleは、同名の大学などがあるので一帯の総称地名と思われます。日本の「等々力渓谷」などにあたるか?
Chart hills :Chart hills という名のゴルフクラブがあるようですから、これも一帯の総称地名と思われます。日本で言えば「多摩丘陵」などにあたるか?
Vale of Holmesdale、 Chart hills ともに、図から想定して、台地状の地形ではないかと推察します。多分、河岸段丘か?
どなたか詳しい方、ご教示ください。
river valleys :河川筋
weald :粘土、砂岩、石灰岩、鉄鉱石などからなる粘土質の地層。Low weald、High weald は、次図と対照すると標高の差か。
英和中辞典には、Weald地方=「Kent,Surrey,East Sussex,Hampshire の諸州を含むイングランド南東部;もと森林地帯」とあります。
地図A地域図の中央あたりの Chart hills 該当域の中に、SEVENOAKS という地名があります。日本なら、「七本松」「一本杉」とでも言うところでしょうか。
おそらく、この地域の代表的樹木が oak であることを示していると考えられます。
C「地勢図」:土地の高低及び河川の流域(排水域)を示した図
D「市街化地区、教区をB地理学的区分図上にプロットした図」(市街化部分の着色は筆者加筆)。
Parishes surveyed : parish は「教区」、調査済の教区、historical monuments の調査が済んでいる、という意味に解します。
parish 「教区」について、平凡社「大百科事典」の解説を、抜粋転載します。
「キリスト教会の地域的分割。その語源のギリシア語パロイキア paroikia は、もと近所に居住している者の集団。・・・」
とあります。
「・・・イングランド全体はアングリカン・チャーチの約12,500の教区に分割され、おのおのが教区牧師をもっている。
・・・多くの教区はアングロ・サクソン時代からきまった領域を保有し、つい最近まで宗教的教区ecclesiastical parish は地方政府の基本的単位で
あった・・・。」
ゆえに、parish は、日本の場合の最小行政単位、字、小字名の付く「部落」に相当すると思われます。教会は、さしづめ村の鎮守社か。
地図Dの、調査済の60教区とは、この地域に、日本で言えば、調査済60ヶ村、という意に解します。
以上の地図から、その地域での人びとの暮しのありようを、おおよそ想像できます(各「教区」の領域と地形、地勢、地質と対照してみてください)。
すなわち、Northern uplands、Downs(chalk)、Chart hills 、Low weald、一帯では、牧畜や農業が、High weald では林業が、海岸では漁業、そして河口周辺の低地では、商工業が営まれることが想像されます。
そのあたりについて、平凡社「大百科事典」の解説を、以下に抜粋要約します。
「(ケント地方は)・・・気候はやや大陸性で、イギリスのうちでは寒暑の差が大きく、降水量も少ない。
古くから農牧業が盛んで、穀作のほか、ロンドン市場を控えて近郊農業が発達し、またホップ栽培も盛んである。・・・
・・・丘陵地、谷筋では果樹栽培も行われ、その作付面積はイギリス各県のうち最大である。
・・・牧羊業はイギリスの重要な地域の一つ・・・。
15世紀ごろから・・・羊毛工業が始まり、wealdの鉄鋼と森林を基礎として製鉄業も行われていた。
沿岸では漁業が盛んで、特にカキの養殖は、ローマ時代から知られている。・・・
・・・製糸業も産業の一であった・・・・(⇒ケント紙)。」
筆者註
一帯は、江戸時代の江戸近郊を想起させます。
地図Aは、最近の地図です。おそらく一帯は、東京周辺地区のように野放図に市街化せず、中世、近世の姿を継承しているのでしょう。
これは、イギリスの「地域計画」「都市計画」の結果だと考えられます。
詳細をご存知の方が居られましたら、ご教示ください。
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分量が多くなりました。今回は、ケント地域についての予習・事前学習だけで終わりにし、次回以降、INTRODUCTION:序章 から順に見てゆくことにします。
INTRODUCTION では、1990年代までのケント地域の「建築・民家研究」の状況、ならびにそこで明らかになった問題点が整理されています。
そこで触れられている諸点は、わが国の「建築・民家研究」の「ありかた」を考える上で、多くの示唆を与えてくれるように思います。
分量が多いので、原文の読解にかなり時間がかかりそうです。ご了承ください。