20年ほど前に購入し、図版はパラパラと見たものの、中味を詳しく読んでいなかった書籍があります。上の写真はその表紙です。
直訳すれば、「中世・ケントの家々・・・歴史的一考察」とでもなるでしょうか。
ここで「中世」とは、13世紀初頭から14世紀後半までを指しているようです。
日本では、中世の住まいはほとんど遺っていないと言ってよいと思いますが、イングランド・ケント地域には、いろいろな形でかなりの数現存しているようです。
日本の場合、13世紀、14世紀の住居の遺構は一つも現存しないはずです。千年家と呼ばれる「箱木家」でも推定15世紀末の建設です。
箱木家、古井家をはじめ、文化財として多くの住居:いわゆる「民家」が、現在保護されていますが、それらを保護・保存することになったのは、
日本では、何と第二次大戦後のことなのです。
明治の近代化以来、日本では、「過去」を見捨ててきてしまったのです。
このあたりの経緯の概略は「日本の建物づくりを支えてきた技術-41の附録」で触れていますが、当該部分を以下に転載します。
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「箱木家」などのいわゆる「千年家」に建築史の世界で光が当てられるようになるのは、第二次大戦後の昭和23年(1948年)ごろからだそうです。
明治以降生まれた「建築学」では、半世紀以上も、社寺建築ばかりに目を注いできた、ということです。
その間、多くの歴史ある住居が消えていったと思われますから、「建築学」が当初から一般の住居にも光を当てていたならば、「住居の史学」も充実し、
そして当然、現在のような「木造理論」も生まれなかったのではないかと思います。
江戸時代の学者なら、そんなバカなことはしなかったはずです。まさに「近代」の残した犯罪的行為であったと言ってもよいでしょう。
註 昭和4年(1929年)「古社寺保存法」が「国宝保存法」に変り、昭和25年(1950年)の「文化財保護法」制定までの約20年間、
270件余の建物が指定を受けていますが、そのうち住居の指定は、僅か2件だそうです。
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ケントは、英国グレートブリテン島南東部の地域を言います(下の地図の赤の〇で囲ったあたり。詳細地図は次回用意します)。ケント紙は、この地域産の紙の名です。
一帯は白亜層つまり軟質の石灰岩主体の地層、比較的肥沃な土地のようです。
編著は、ROYAL COMMISSION on THE HISTORICAL MONUMENTS of ENGLAND(略称 RCHM)
刊行は、HER MAJESTY'S STATIONERY OFFICE (略称 HMSO)1994年刊行 A4判変形195頁
RCHMは、直訳すれば「英国の歴史的建造物に関わる委員会」、日本の「文化財保護委員会」に相当するものと思われます。
おそらく、英国の「歴史的建造物保存・保護」の「動き」は古く、明治以降、日本から留学生が訪れた頃にも、既にそういう「動き」はあったと思われます。いったい、彼らは何を学んできたのでしょう?
RCHMの沿革は、Wikipediaには、以下のようにあります。
The Royal Commission was established in 1908, twenty-six years after the passage of the Ancient Monuments Protection Act 1882, which provided the first state protection for ancient monuments in the United Kingdom, and eight years after the passage of the wider-ranging Ancient Monuments Protection Act 1900.
Critics, including David Murray in his Archaeological Survey of the United Kingdom (1896) and Gerard Baldwin Brown in his Care of Ancient Monuments (1905), had argued that, for the legislation to be effective, a detailed list of significant monuments needed to be compiled, and had made unfavourable comparisons between the policies of Britain and its European neighbours. Learned societies including the British Archaeological Association, the Society of Antiquaries of London, the Royal Institute of British Architects and the Royal Society of Arts also lobbied for action to be taken. Brown had explicitly proposed that the issues should be addressed by a Royal Commission, comparable to the Royal Commission on Historical Manuscripts. His suggestion bore fruit, and led to the establishment in turn of the Royal Commission on the Ancient and Historical Monuments of Scotland on 14 February 1908; the Royal Commission on the Ancient and Historical Monuments of Wales in August 1908; and, finally, by Royal Warrant dated 27 October 1908, the Royal Commission on Historical Monuments (England).
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つまり、少なくとも半世紀日本は遅かった!
HMSOは、英和中辞典には、「(王室)用度局」とありますが、官公庁などの刊行物の出版も行なっているようです。
日本のかつての「大蔵省印刷局(現国立印刷局)」に相当すると考えてよいようです。
本書の内容は、日本で言えば、いわゆる「民家」研究になりますが、その研究の方法:手順・過程が日本で見慣れた方法と異なり、きわめて新鮮に感じられ、建物特に「住居:住まい」についての(歴史的)研究の「ありかた」について、あらためて考えさせられます。
長文の英文ゆえ、辞書を片手の作業で大いに手こずりそうですが、是非多くの方に知っていただきたいと思い、無謀にも要約紹介を試みようと考えています(一時、やめようかとも思ったのですが、思い直しました・・・)。
そんなわけで、各回の準備にかなり時間がかかり、掲載が間遠くなると思いますが、なにとぞご了承ください。