昨日の朝の光景。秋の空に、夏のような雲が湧いていました。
彼岸前なのに、急に涼しくなってきました。ここ数日、朝の外気温は20度を割っています。
秘かにモクセイの香りが漂っています。
先日、「日本家屋構造の紹介−7:継手」で紹介されている「宮島継」について、「いつかありつぎをやってみたい」という表題の下記のようなコメントが寄せられました。
宮島継 みやじま つぎ を、大昔解体された小学校校舎の廃材に見たことがあります
中央の小さな片は無い物でした
解体した大工さん?が感心して継ぎ手の部分だけ見本に取ったのを一つもらいました
合わせるとしっかりしていて斜めなのにひねってもずれない
子供ながらにその不思議に感動しました
「小さな片」というのは、多分「しゃち栓」のことではないか、と思います。また、宮島継は「ありつぎ」の範疇には入らないと思います。他にも腑に落ちないところがありましたので、「保留」状態にさせていただいてきました。
今回は、このコメントを読んで感じたことを書かせていただきます。
この投稿をされた方は、「いつか・・・やってみたい」との文言から、建物づくりに関わりのある方ではないでしょうか。
そうであるならば、「いつかやってみたい」と思う前に、「それが「校舎のどこに使われていたのか」に関心をもってよいように思います。「いつかやってみる」として、例えば、梁の継手に使ってくれ、などと大工さんに頼めば、多分、大工さんは怪訝な顔をするはずです。つまり、この継手は、どこに使っても使えなくはないでしょうが、どこにでも使う普遍的・一般的な方法ではないからです。「日本家屋構造の紹介−7」の解説にも、これは、主に天井の竿縁に用いる旨説明があり、筆者註でもその点について触れました。
最近、このブログに、「建築用語」、「木造建築用語」を調べるために寄られる方が増えております。多少なりともお役にたてばいいな、とは思いますが、一方で、「用語」の「収集」で終わらなければいいがな、などと余計なことも考えてしまいます。
たとえば、いろいろな「継手」「仕口」を知ったからと言って、それで木造建築のつくりかたが分る訳ではありません(まったく知らない、あるいは知ろうともしない、というのも困りますが・・・・)。
それぞれの「継手」「仕口」が、単に「どういう部位で用いられるか」だけではなく、それと合せて「どのような場面で用いられるか」について知らないとほとんど意味がない、と言うより、折角の「知識」が活きない、そのように私には思えるからです。
たしかに、「建築用語」には、その語義からだけでは理解不能な語が多数あります。学生の頃も、設計を始めた頃も、さっぱり分らなかった記憶が私もあります。
その後の経験から、こういう「用語」を「知る」には、「建物をつくる場面」、あるいは、もう少し広く「ものを組み立てる場面」を想像してみるのが手っ取り早い方策である、と思うようになりました。
たとえば柱を立てる、どうやって自立させるかを考えてみる。そうすると、「掘立て」という方法の持っている意味が分かってくる。あるいはまた「土台」を設けることを案出した人びとの悩み考えたであろうことにも思いが至るはずです。
自立した二本の柱上に横材つまり梁を架ける。どうしたら梁が柱からずれ落ちないようにすることができるか考えてみる。そうすると、「枘」という方法の意味が分かってくるし、更には、「枘」をつくるには、どういう道具が要るかも考えるようになる。そしてまた、軒桁などのように長い材を要するとき、どうやって対処するかを考えると、部材の延長法すなわち「継手」について考えざるを得なくなる・・・。
「日本建築史」の授業では、古代の「斗拱」の「形式」でその建物の建立時期が判定できる、ということで、形式間の差異についての講義がありました。いわゆる「様式」の判別法。私はあまり関心がありませんでした。それよりも「斗拱」の役割、意味、それが時期により異なる理由を知りたい、と思ったものでした。
この《問題》の私なりの「克服」法は、奈良の諸寺を巡り歩き、つぶさに建物を観ることでした(当時「学割」で鉄道運賃が半額だった!)。建物の傍に寄って、足元から順に上へ上へと目を移してゆくのです。柱が立ち、それが屋根を支えている。どのように支えているか、どの材が何を支え、更にそれが何を受けているか・・・、そうやって観て行くと、少しずつ分ってきたように思います。たとえば、「肘木や」「斗拱」は、横材:梁などを柱上に安定して載せるためや、軒を外に大きく張り出すための工夫である、ということに気付くのです。そうすると、他の例と比較したくなります。観てて飽きることは先ずありません。何度となく、同じ場所を訪ねたものです。そのときの経験から、写真を撮ることは、決して「学習にはならない」、ということも学びました。脳裏に焼き付けることの方が大事だ、ということです。
写真がまったく無意味だというのではありません。写真は、現場を離れて、現場を思い出す際には重要な役割を果たしてくれます。
しかし、撮った写真がすべて、現場を離れ、何かを知りたくなった時に役に立つか、というと必ずしもそうなる訳ではありません。
知りたい「視点」で撮った訳ではないからです。肝心なところが撮れていないのです。
プロの写真家もそのようなことを語っていました。そういうときは、あらためて撮りに出向くのだそうです。
あらためて学び直すことを兼ねて、このような考え方、見かたで、諸資料を基に日本の建物づくりの歴史をもう一度見直してみたい、という「試み」が、「日本の建物づくりを支えてきた技術」「日本の建築技術の展開」シリーズでした(もっとも、若かったら、多分、こんな大それたことは畏れ多くてできなかったでしょう。歳をとると怖いものはなくなるようです)。[文言変更17.57]
この「学び直し」を通じて、私が再確認したのは、「ある方策・技術」や「理論」が一旦「定着」すると、人には、それに「拘る」「拘りたくなる」という「習性」があるということでした。
更にそれは、そうしなければならない、という「思い込み」になります。多分これが「様式化」の因だと思われます。そしてそれは、「専門家」の陥りやすい「習性」にも通じます。
この様態に陥り、そこから脱するには、つまりデフォルトモードに入るには、ある程度の「時間」がかかるようです。いわゆる「大仏様」誕生までの経過がその例だと思います。
そして、上層の人びとよりも、庶民や職方の方が、「対処法」の発見が早かった、すなわち、ものごとに対し虚心で対応できた、つまり、デフォルトモードで対処することができた、そのように私は考えています。
今の《専門家》の多くが「職方」の方がたを無視・黙殺したがる「理由」は、この「違い」にあるのではないでしょうか。
それゆえ、もう一つの《問題》の「克服」法は、分らないことや、「何故?」と思ったら、率直に職方さんに尋ねることでした。
たいていの場合、職方さんは皆、建物をつくる手順についてをよく知っていますから、5W1H 全般にわたって、丁寧に教えてくださいます。本当にいろいろと教えていただきました。
先ほど、建物をつくる場面を想像してみるのが手っ取り早い、と書きました。要は、何ごとであれ「ものごとには順序がある」ということです。あるいは「ものごとの道理」と言ってもよいかもしれません。つまり、どういう順序が自然な道筋なのか、ということを知る、想像で確認してみる、ということにほかなりません。たとえば、BはAが在って初めて成り立つとした場合、Bを先に考えることは、 non-sense だ、ということです。用いる「継手・仕口」を先に決め、それだけによって建物をつくろうと《考える》のは non-sense なのです。ゲームや脳トレではないのだからです。
そうではなく、「どういう順序が自然な道筋なのか、ということを知る、想像で確認してみる」ならば、「問題の所在」が明らかになり、したがって「問題の解決策」も見えてくるはずです。
そして、この視点で対処すれば、たとえば、その「発案」の「意味・謂れ」をも含めて「継手」「仕口」を理解することができ、しかも、その「更なる展開」も可能になる、そのように私は考えています。
「技術の歴史」というのは、この「発展の様態」にほかならないのです。そしてそれは、決して「机上の産物」ではないのです。
これまで何回となく「部分」の足し算で全体が生まれる、と考えるのは、よく陥る落とし穴だ、ということを、書いてきました。
建物がらみの「用語」は、いわば「建物づくり」の全過程の一部に関わる言葉と言ってよいでしょう。「部分」の名称であったり、そしてまた全工程の一部を成す「工程」の名称であったりします。
それらの「習得」にのみ関心を持つと、得てして「全体・全貌」を見失いかねない、一言で言えば、「本質」を見失ってしまう、そのように思っています。
つまり、単なる「用語の収集」だけでは、サン・テグジュペリの言葉を借りれば、「おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、それが私にとってなんの意味があろう?それなら辞書と同様である」という通りの事態になってしまうのです。そうであるにもかかわらず、そのような気配が広く世に漂っているように思え、気になっています。
長々と言わずもがなのことを書きました。年寄りの繰り言とお聞き流しください。