[註記追加 5日9.09]
お寄せいただいたコメントに、「・・・・原発爆発事故の 終息 が見えない状況の中・・・」という一節がありました。
思わず、「そうだ、こういう場合、収束という語彙は普通は使わない、普通は 終息 だ」という感想を抱きました。
この二つの語彙の意味を調べると、次のようになります。
収束:? おさまりをつけること。おさまりがつくこと。
? 数列が、ある一つの有限確定の値にいくらでも近づくこと。・・・収斂。
終息:事がおわって、おさまること。終止。
以上「広辞苑」による
新明解国語辞典の解説もほぼ同様です。
註 一つの「束」に収まる、まとめる⇒おさまりをつける、おさまりがつく。[註記追加 5日9.09]
註 終息の「息」は、「熄」の置き換えです。
英語では、cease, end, come to end.:終る
be eradicated, be stamped out.:根絶される
因みに、収束:be stringent 数学用語:converge
福島の人びとが、何がシュウソクだ、と憤慨しています。
ここしばらく偉い方がたの使う「収束」の語に惑わされてはいなかったか?
シュウソクという「音」だけ聞いていると、原発事故の収拾がついた、つまり事故にからんで発生した事態がすべて「終息した」と言っているように聞こえてしまうのです。
偉い方がたは、もしかして、意図的に「収束」の語を使ったのではないか?
なぜなら、皆さん、「語」の抱かせる《イメージ》で語を使う「達人」だからです。「 commercialism :営利本位の商業主義」の時代に育ったからでしょうか、生まれもって身についている。
「(現代の)政治家」というのは、《イメージ》で普通の人びとを手玉に取るのが得意な人たちへの「尊称」なのかもしれません。
そういう《イメージ》に惑わされずに「ことの本質」に迫りたい、scientific でありたい、と私は思っています。
さて、web 上ですが、年末・年始の各新聞の社説・論説の類を読ませていただきました。
六社です。
早く原発を再稼動させないと、早く「開国」しないと、日本の産業が空洞化する、という福島の人びとなんかまったく視野にない論調の新聞が三つ、煮え切らないのが一つ、少しましなのが一つ。
その中で、私が共感を覚えたのは、東京新聞の論調でした。
大晦日と元旦の社説を、web上から消えてしまったときを考えて、以下にプリントアウトしたものを転載させていただきます。
本当の「民意」とは何か、そしてメディアの「義務」について語っています。当たり前のことです。
リンク先も載せておきます。
「人間そのすばらしさ」
「民の力を今、活かそう」