ハナアブなど虫たちがいないのは、天候のせいでしょうか?
NHK教育テレビのハートネットTV「曖昧な喪失の中で〜福島 増える震災関連自殺〜」をみました。
福島の震災関連自殺者は、東北の他の被災二県に比べ、数倍多いそうです。ほとんどが、震災よりも原発事故がその因。
この番組は、原発事故による避難生活の中で精神的に追い詰められて事故の4カ月後に自ら命を絶ったある男性の、死を覚悟するに至るまでの「心の軌跡」を検証したドキュメンタリーです(7月15日午後1時から再放送があるとのこと)。
男性は原発立地の大熊町で生まれ育った方。つまり「生まれ在所」が大熊町。
自宅は地震・津波にも全く被災せず無事だった。そこに夫婦と孫たちと暮らしていたが、住めなくなった。「帰宅困難地域」に「指定」されているからです。
家族バラバラの避難生活。近隣の人びとも皆今何処にいるか分らない・・・。
目の前には住み慣れた自宅、子どもの頃から慣れ親しんだ風景がある。それなのに、そこでは暮せない。自由に近寄ることもできない・・・。この状況が男性を追い詰めていったようです。
「生まれ在所」、「生まれ育った土地」それはすなわち「故郷・ふるさと」。
「住まい」は、その人にとって、すべての「拠点」「原点」になる場所です。
その「拠点」「原点」の存在に、それが「どのようなところ」に在るか、が重要な意味を持ちます。「どのようなところ」とは、いかなる surroundings の場所か、と言い直してもよいでしょう。そして、更に重要なのは、そういう surroundings を共有している人びとの存在(近隣・近在の人びとも含みます)。
つまり、「故郷・ふるさと」、生活の「拠点・原点」は、「場所」と「人」なしにはあり得ないのです。
このことは、現在では、とかく見失いがちです。「何処でもよい」「住まいさえあればいい」、と思いがちになります。「仮設住宅」を用意したからいいではないか・・・、と思いがちなのです。
しかし、そうではない。
いかに「完備した」「仮設住宅」や「避難所」が用意されたところで、それだけでは「故郷」の「代替」にはならないのです。
それが、人にとっての「故郷・ふるさと」の意味・意義である、そう私は思います。
だいぶ前に、近世の「欠落(かけおち)農民」にとっての「故郷」についてのエピソードを紹介しました(「続・故郷とは何か・・・・異郷と故郷」)。
「欠落(かけおち)」とは、「生まれ在所」を捨て出奔すること。おそらく、「生まれ在所」での暮しができなくなっての「本人の意思」による出奔だと思います。
「欠落農民」は、他の地に移り得れば生き延び得たのでしょうが、ことによると、多くは現在の「路上生活者」のようになっていたのではないでしょうか。
近世には、こういう「欠落農民」が多く生まれたようですが、一方で、この人たちにに手を差し伸べる人びともいました。浄土真宗大谷派、本願寺派もその一で、「欠落農民」に移住地を斡旋したようです。また、すすんで「欠落農民」を受け入れる藩も各地にあったようです。
このエピソードの主も、浄土真宗教団の世話で、移住します。
その移住先が、なんと、現在の福島県大熊町のあたりだった。大熊町一帯には、かなりの数の「欠落農民」が移住したようです。
もちろん、先のドキュメンタリーの男性が、かならずしもその末裔であるわけではありません。
移住して数十年、すっかり大熊町の人となった彼は、自らの信仰の確認とあわせ、真宗の祖、親鸞の足跡をたどりつつ、「生まれ在所」を訪れることにします。
しかし、紆余曲折の末辿りついた彼の「生まれ在所」は、風景こそ懐かしいものでしたが、人は誰も彼を知らず、冷たくあしらわれ、彼は早々に大熊町に戻るのです。
彼の「生まれ在所」は、すでに彼にとって「故郷」ではなく、いわば「異郷」の地になっていたのです。
ところが、先のドキュメンタリーの男性は、目の前に健在な姿で在る「故郷」が、本人の「意思」とは関係なく、「異郷」にされてしまったのです。
「故郷・ふるさと」が、目の前に在りながら、近寄ることさえできない。何故?どうしたら「納得」することができますか?これを不条理と言わずして・・・・。
現地近くで被災者の診療にあたっている精神科医の方が、「家があるのに帰れない、この曖昧な喪失は人間にとって耐えがたい辛さをもたらす」と語っておられました。
私は、見終ってしばしの間、考え込んでしまいました。
こういう方がたは、福島には、今も多く居られるようです。
震災以来、「絆」だとか「心に寄り添う」などという「ことば」をよく耳にしてきました。同時に、私はこの「ことば」に、ずっと違和感を感じてきました。「いかがわしい」からです。
この「ことば」を使うことで、この方がたの「不条理」が解消するわけがないではないですか(そういえば、例の「金目の大臣」も、《謝罪》の挨拶でこのことばを使っていましたね)。
この方がたの「支え」:「話し相手・聞き相手・相談相手」になっている「福島・いのちの電話」の代表の方も、先のドキュメンタリーで、同様のことを語っておられたのが印象に残っています。
「福島・いのちの電話」に電話してくるほとんどの方が、30分以上話し込まれるそうです。
なお、「続・故郷とは何か」の前段は「故郷とは何か・・・・田舎と都会」です。
お読みいただければ幸いです。
私は十数年前にかすみがうら市に「移住」しました。東京に戻る気がなかったからです(その理由は、すでにいろいろと書きました)。
そして今、このあたりの surroundings にすっかり馴染み(ほとんどの所を自由に歩き回れ、近在の人たちとのお付き合いも拡がっています・・・)、
いわば、第二の「故郷」になりつつある、と言えるでしょう。そう、東京は、私にとって、いまや「異郷」になってしまったのです・・・。