今、当地では、あちらこちらの畑で、ジャガイモの花を見かけます。
花の色で種類が分るようですが、私には見分けがつきません。
5月26日付毎日新聞コラム「風知草」に、大飯原発差し止め判決について、これは「『国富論』判決」である、との論説が載っています。
是非多くの方に読んでいただきたい、と思い、 web 版 からコピーし、末尾に追加転載させていただきます。[26日 16.50追記]
大飯原発の稼働差し止めを命じる判決がありました。
いくつかの報道は、「画期的な判決だ」と報じていましたが、その「差し止め」の理由は、極めて「あたりまえ」であり、なぜ「画期的」なのか、私は理解に苦しみました。
いくつかの新聞の社説を web 版で読みましたが、判決内容について「批判的」だったのは、きわめて少なく、大方は「是」とする論調でした。
その中から、至極明解に論じていた東京新聞の5月22日付社説をプリントアウトして転載させていただきます。この論者もまた、「・・・今回の判決は、当然というべきであり、画期的などと評されてはならないのだ。」と論じています。
この論説中には具体的には述べられてはいませんが、判決文の中の、「国富とは何か」について触れた部分を取りあげた論が、「信濃毎日新聞」のコラム「斜面」にありました。これも併せて web 版からプリントし転載させていただきます。
東北地域の新聞もざっと見ましたが、「河北新報」も判決を是とする論調でした(福島の新聞も探しましたが、見つかりませんでした)。
この判決に対して「不合理な推論が導く否定判決」との題目で「批判的」な論調の社説を掲げたのは「読売新聞」でした。
何が「不合理」なのか、読んだ限りよく分らなかったのですが、察するところ、
「最新の原発の安全に係る規制基準」という《科学的知見》を無視した論であり、
いくら大きな地震を想定しても、それを「超える地震が来ないという確たる根拠はない」というような《非現実的》な考え方に基づく論であり、
そして、「原発の審査に関し、司法の役割は抑制的であるべき」という1992年の伊方原発訴訟の最高裁の判決の趣旨にも反する論であるからだ、
ということのようです。
この論者は、「合理(的)」ということ、「現実(的)」ということを、どのようにイメージしているのか、思わず問い糺したくなりました。
要は、「合利的」「実利的」が本音なのではないでしょうか。
これは、「人員整理」を「合理化」と呼び、「派遣労働の拡大」をして「働き方の多様化」と言うのと同じ《論理》に見えます。
この論者に、「人としての『あたりまえな感覚』」があるのでしょうか?怖ろしいことです。
追 録