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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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近時雑感 : 歳の暮にあたり

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仕事場の窓際の侘助に、メジロが訪れる時節になりました。
庭続きの一画に、かつて柿を栽培していた畑があります。
そこに、最近、タヌキも時々顔を見せます。落ちている柿の実がお目当て。かわいいです!


今この時に居ること、在ること、その有難さを深く感じることができた、と言うより、感じていなければならないのに無頓着だった、との思いを深くした一年でした。
そしてまた、人の「存在」は、自らの「感覚・感性」により保たれているのだ、ということ、これも身につまされて感じることのできた一年でありました。

この根幹に関わることどもを、これまで、深く意識もせずに過ごしてきたのはいったい何だ・・・。それでは、お前の言っていること、言ってきたこと、それは戯言だったのか、と言われてもやむを得ない・・・。
このあたりについての「心境」の一端は「回帰の記・了」で書かせていただきました。


この一年、いろいろとお気遣いいただき、本当に感謝しております。有難うございました。

来年も、建築をめぐり、思うこと、多くの方に知っていただきたいこと、紹介したいこと、などなど、
原点に立ち返る( radical な)視点を忘れることなく、書いてゆくつもりでおります。
お読みいただければ、そして、忌憚のないご意見をたまわれば幸いです。

明るい朝が迎えられますように!

  しかし、残念ながら、この年の暮は、昭和初期への逆行を想起させる暗い話が続きました。
  その「集約」が、首相の靖国参拝だったと思います。そこに、彼の「祈願」が総括されていた・・・。
  彼は、「靖国参拝は、英霊に対する哀悼の意を表するため」であると「解説」し、そこで「不戦の誓い」なる文言を加えています。
  「英霊」とは、一般には「死者」の美称。しかし、靖国神社に「祀られている」のは、そういう一般名詞の「英霊」ではないのです。
  そのあたりは、以下に転載させていただく12月27日付東京新聞「筆洗」に明快に説かれています。

  つまり、靖国に祀られている霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の霊」を意味しているのです。
  その「公務」とは、明らかに、「他国を侵略する」ことでした。そして、亡くなられた方がたの多くは、それを望んでいたわけではなかったはずです。
  首相のように「侵略であるかどうか、学会の定説がない」と思うのは勝手ですが、それは単なる「用語」の問題ではない。
  厳然たる事実として、「公務」が他国の人びとの生を損ねた、という事実は存在している。
  その事実を無視して、参拝に文句を付けるのはおかしい、などと言うこと自体、論理的におかしい。
  端的に言えば、「再び、そういう《公務》を、為政者が、人びとに対し、自由に任意に命じることのできる世に戻したい」と、
  首相はじめ現政権担当の人たちは考えている、と見なす方が論理的なのです。
  秘密保護法を強行に採決し、他国への弾薬供与を「例外として」認め、「集団的自衛権の行使」の「願望」・・・、
  「教育委員会を形骸化する」提言や「国定教科書の復活を容易にしようとする」提言・・・は、
  そのような世の再構築を求めんとする「意思」の現れと見ると合点がゆきます。

  しかし現政権は、制度自体に問題があるにしろ、選挙によって選ばれたのです。責任の一端は、そういう人びとを選んだ側にもある。
  したがって、選んだ側には、おかしな事態に対し「異をとなえる」「異をとなえ続ける」義務があるはずです。
  この「異をとなえる」ことをさせないための《法》、それが秘密保護法なのではないか。

  ものごとに違和感を感じる、それは、私たちが、私たちの感覚・感性が、「おかしなことの存在を感じている」からなのです。
  「違和感を感じた」ならば、「それが何に起因するか考え」、「それはおかしい」と言うべきである、と私は常日頃思ってきました。
  今後も続けたい、そうしなければ、朝は明けない、そう思うからです。

  蛇足を書きました・・・。

  あらためて、よい年をお迎えください!

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