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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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回帰: re‐habilitation :の記−了・・・・「感覚」の復権 : 療法士の方がたへの敬意と謝意を込めて

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この夏は、七月の半ばころからミンミンゼミが鳴いています。一方、いつもなら朝から夕方まで鳴き続ける「夏」を代表するアブラゼミが、今年は少ないような気がします。朝夕、あたり一帯に響き渡るヒグラシも少ない。
いつも今頃下の写真のように咲き誇る百日紅も、今年は、葉の繁りのなかに埋もれています(下は一昨年の様子です)。
気象がおかしい、これが実感です。




退院してほぼ二か月半が過ぎました。発症から六か月半。当初は、今ごろ退院ではないか、と考えていました。

今は、左手指先に少し鈍いしびれがあり、同じく左膝の後ろ側がいつも張っている感じが遺ってはいますが、一応普通の暮しを行えています。
これは、まったく初期の適切な治療と、その後の「 re-habilitation の成果」であることは間違いありません。

そして、この折角の「 re-habilitation の成果」の「後退」を避けたいと考え、朝1?、夕方2〜3?ほど歩き(犬に引っ張られて・・・)、また、左手を極力使うよう努めています(「引戸」の開け立てはかならず左手を使う、荷物を左手で持つ・・・など)。

さて、すでに何度も触れてきましたが、私が re-habilitation で「得たもの」は、
「一度失せかかった体の機能」の「回復・回帰」だけではなく、
「人の存在:行動・行為:の『基本』はすべからく『感覚』にある」という「事実」の「確認」が改めてできたことだった、と言えます。
つまり、「感覚」という「概念」、その「地位」の堂々たる「復権: re-habilitation 」です。
    re-habilitation は、日本語では「社会復帰」と訳されています。語本来の意味について、二回目の記事で触れましたが、その部分を再掲します。
   ・・・・・
   あらためて、“rehabilitation” の意味を辞書で調べてみました(研究社「新英和中辞典」に拠ります)。
   rehabilitationとはre-habilitation 、つまり、habilitation を「新たにする」「原状に復す」ということになります。
   では、“habilitation” とは、どういう意味か。
   これが厄介な語。辞書には、habilitate 「特に、ドイツの大学教員の資格をとる、資格があること」とあります。
   ゆえに、その名詞形 habilitation には、察するところ「資格(がある)」能力(がある)」という意味があるらしい。
   それゆえ、re-habilitation とは、「資格復権」「能力再建」とのような意味になるように思われます。
   「社会復帰」という日本語訳は、
   人としての通常の能力を復権すれば、普通に社会で暮せるようになる、とのような意を込めての「意訳」だったのではないでしょうか。
   ・・・・・

私は、学生のころから、建築の設計とはどういうことなのか考え続けてきました。
いわゆる《芸術家肌の建築家》と異なり、建物(の形)を「ひらめきで思い付く」などというのは、私はまるっきり「不得意」でした。だから、はじめのうちは、私なりに「気に入った」既存の事例を「真似る」ことでなんとか「設計(の真似事)」をしていたように思います。その一つがA・AALTOの設計事例であり、そして日本の「古典」事例、特に近世の諸事例でした(日本の古典は、可能な限り、実際に観にゆきましたが、AALTOの設計事例は、書物に拠るしかありませんでした)。
しかし、それでは「先がありません」。「こんこんと湧き続ける発想の泉」はないのか?いろいろと右往左往した結果たどり着いたのが、これまで書いてきたような考え方だったのです。その考え方の根本は、以下に要約できます。

人は常に「何か」に囲まれています。その「何か」を、surroundings と呼びました。日本語なら「環境」です。
なぜ surroundings という語を使うか、については、「 surroundings について−1」で触れました(「空間」という語を使ってもいいのですが、かえって誤解を生みかねません)。
surroundings とは、この記事でも書きましたが、「飛ぶ鳥にとっての『空』」、「魚にとっての『水』」にほかなりません。人にとって、「空」や「水」に相当するもの、そのことを指しています。
人は常に surroundings の「中」に在り、そこを離れて在ることはあり得ず、ときどきの状況に応じ、surroundings に「対応して」行動しているのです。道元の言葉を借りれば、次のようになります。
   ・・・・・
   うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。
   ただ用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。
   ・・・
   鳥もし空をいづればたちまちに死す。
   魚もし水をいづればたちまちに死す。
   ・・・・・
     この道元の言葉に出会ったのは、だいぶ後のことです(上記記事で、もう少し詳しく紹介しています)。
そして surroundings に「対応しての行動」は、「私たちそれぞれの『感覚』に拠って制御されている」のです。これについても、何度も書いてきました(先の記事でも書きました)。
この点について、再び、たとえ話で説明します。
たとえば、ハイキングをしていて、休憩して昼食にしよう、と思ったとき、人はかならず、そのあたりで、「休憩し、食事をするのに相応しい場所」を探すでしょう。
   それとも、どこでもいい、と思うでしょうか。
   ハイキングのような場面では、そんなことはないはずです。
では、場所決めにあたり、人は、休憩し食事をするに相応しい要件を列挙し、要件ごとに「採点・評価」して決めているのでしょうか。
これは一見「最も現代風で《科学的な》方法」のようにも見えますが、そんなことはしないはずです。

大概の場合、一瞬のうちに、無意識のうちに、同行の人たち皆が同意を示す場所が決められるはずです。
そのときの、「ここにしよう」「ここでいい」という「判断」の「根拠」は、同行の人たちの「感覚」「感性」以外の何ものでもありません。
人は常にこのような「的確な判断」を行っているのです。しかし気付いていない!

私は、建物づくりの根幹は、この「事実」を知り、そして、それに基づき「 surroundings を整えること」が「建築の設計」である、との考えに辿りついたのでした。そして、その視点に立つと、いろいろな建物がらみの「事象」の説明がつくことも分ってきました。
要は、「建物づくりの根底になければならないのは、私たちの surroundings に対する『感覚・感性』を尊重することだ」ということになります。

けれども、「拠って立つ基盤は人の感覚・感性である」などという考え方は、到底、「共感を得ることは無理」でした。
なぜなら、これも何度か書いてきましたが、世の中では、「感覚」などというのは「人によって異なる」「不定」で「曖昧」なものゆえ、到底《科学的》とは言い難い、という《考え方》が《常識》になっていたからです。
そこで、いろいろな「思想書」の類を読み漁りました。そして、最先端の現代物理学者が、同様の趣旨のことを語っていることを知ったときは安堵したものです(「冬とは何か:言葉・概念・リアリティ」に載せてあります)。
もちろん、いわゆる「文学」の世界にも、同様の考えに立つ書が多数あることも知りましたし、いわゆる「哲学」や「言語学」の分野にも、・・・・・。
   そのいくつかは、すでに紹介してきました。

そして、「私たちの surroundings に対する『感覚・感性』を尊重する」という考え方に少しも問題はないのだ、と、いわば「自信を持つ」ようになったのです。
しかし、そこまで辿りつきながら、残念なことに、「人のあらゆる『動作・所作』そのものが、自らの『感覚』によって制御されているという『事実』の認識にまでは至っていなかった」のです!
論理的に言って、それは明らかに「片手落ち」、「理」が通っていません。
surroundings への「適応」は、この「動作・所作」の延長上にあるのです。そのことに気付いていなかったのです!私も、世の《科学的思考法》に毒されていたのかもしれません。

ところが、「思いもかけず」、 re-habilitation が、この重要な「事実」の存在、そして私がそれに気付いていないことを、あらためて私に認識させてくれたのです。
具体的に、私の目を開かせてくれたのは、若い療法士さんたちでした。
彼らは、人のあらゆる「動作・所作」そのものが「その人自身の『感覚』によって制御されている」、この「事実」を、至極あたりまえのこととして会得し、その下で施療にあたっている、これは、私にとって、きわめて「新鮮かつ衝撃的なできごと」でした。簡単に言えば、私は私の「盲点」を鋭く突かれた思いがしたのです。
ここで、なぜ「会得」と記したか。
それは彼らは、この「事実」を、単に教科書的知識として「知っている」のではないからです。それは、彼らが、施療を受ける側の状況・状態にあわせ、施療法を「案出」することでわかります。「原理」を、臨機応変に「応用」できるのです。
たとえば、PT、OT両方で行われた訓練に、「手に持ったタオルで壁の上部を拭う」というのがありました。なるべく高いところを拭うには、手だけを伸ばすのではなく、足をしっかり踏ん張り、全身を精一杯伸ばす必要があります。PTの「目的」は、そうすることで、脚部をしっかり固定する練習になり、なおかつ姿勢の矯正の効果を期待したものと思われます。
一方OTでは、左手でそれをやるには肩から手先まですべてを働かせなければなりません。それにより、しばらく動かせないでいた部分を、いわば強制的に働かせることになるわけです。この訓練は、PT、OTとも、療法士さんは初めから予定していた訓練ではなく、施療の途中で、いわば急遽アドリブで追加した「課程」でした。ここに私は、彼らの、教科書的知識だけではできない臨機応変の「応用」能力を観たのです。
   この際使ったタオルも、その訓練用に、単に折り畳んだだけではなく手で掴みやすいように、「取っ手」部を縫いこんだ療法士さんお手製の「用具」でした。

人のあらゆる『動作・所作』そのものが、自らの『感覚』によって制御されているという『事実』は、その気になって、自らの「動作・所作」を観察してみれば、自ずと分ることで、しかもその「制御」の様態に感動を覚えるはずです。
今の世の中には、いろいろな場面で数多くの機械的センサーが働いています。
一方、人の「動作・所作」を制御しているのも、私たちの「感覚」というセンサーです。しかし、その性能に於いて、いかなる機械的センサーよりも、私たちのセンサーは優れているのです。
機械的センサーは、たぶん人のセンサーを目指しているのでしょうが、決してそれと同等になることはないでしょう。
なぜなら、私たちのセンサーは、機械的センサーとは異なり、いかなる状況にも微妙に対応できる能力があるからです。
たとえば、先に例に出した眼鏡のツルを掴むという「動作」について考えてみます。
眼鏡のツルを掴むという動作は、言葉にすれば一つですが、何のためにツルを掴むのかに拠って、掴み方が微妙に異なります。
単に眼鏡をはずすときと、眼鏡の曇りをとるためにはずすのでは、はずし方、したがって掴み方も異なりますが、自らの「動作・所作」を観察すると、その微妙な違いにスムーズに対応できていることに気付くはずです。そのとき、指先の動きも微妙に違っています。

この「動作・所作」を完全に機械で模倣しようとしたら、いったい、どのくらいの数のセンサーが要るでしょうか?
「何のために掴むのか」その場面それぞれに応じた数のセンサーを用意しなければならないはずです。しかも、「場面」の数は有限ではなく、いわば無限です。
しかしながら、私たちのセンサー:「感覚・感性」は、いかなる場面にも融通無碍に対応できているのです。
私は re-habilitation を通じて、人の「感覚」の(潜在)能力の大きさ・凄さに気付かされたのです。そして、いったい、その能力を本当に活用しているか、と思わず自問したものです。

もしも、なお、「感覚」「感性」など不確定で曖昧だ、と思われる方や、《「科学的」データ》に拠る言辞こそ大事、と考える方には、一度でいいですから、「自らの動作・所作」について「観察」していただきたい、と思います。そして、「感覚・感性」をないがしろのできないことに気付いて欲しいと思います。それは、必ずや scientific とは、どういうことかについても示唆してくれるはずです。


一応平常(に近い)生活を可能にしていただき、さらに、重要なことを教えていただいた回復期病院の若き療法士さんたちには、どんなに敬意と謝意を表しても足りない、と思っています。
本当に有難うございました。


今回は、かつて、私に「感覚・感性」の重要さを教えてくれた書物の一つ、宮沢賢治の「春と修羅」の「序」を転載しておしまいにさせていただきます。


       序

  わたくしといふ現象は
  仮定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといつしよに
  せはしくせはしく明滅しながら
  いかにもたしかにともりつづける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち その電燈は失はれ)

  これらは二十二箇月の
  過去とかんずる方角から
  紙と硬質インクをつらね
  (すべてわたくしと明滅し
  みんなが同時に感ずるもの)
  ここまでたもちつゞけられた
  かげとひかりのひとくさりづつ
  そのとほりの心象スケッチです

  これらについて人や銀河や修羅や海胆は
  宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
  それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
  それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
  たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
  記録されたそのとほりのこのけしきで
  それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
  ある程度まではみんなに共通いたします
  (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
  みんなのおのおののなかのすべてですから)

  けれどもこれら新世代沖積世の
  巨大に明るい時間の集積のなかで
  正しくうつされた筈のこれらのことばが
  わづかその一点にも均しい明暗のうちに
    (あるひは修羅の十億年)
  すでにはやくもその組立や質を変じ
  しかもわたくしも印刷者も
  それを変らないこととして感ずることは
  傾向としてはあり得ます
  けだしわれわれがわれわれの感官や
  風景や人物をかんずるやうに
  そしてたゞ共通にかんずるだけであるやうに
  記録や歴史 あるいは地史といふものも
  それのいろいろの論料といつしよに
  (因果の時空的制約のもとに)
  われわれがかんじてゐるのに過ぎません
  おそらくこれから二千年もたつたころは
  それ相当のちがつた地質学が流用され
  相当した証拠もまた次次過去から現出し
  みんなは二千年ぐらゐ前には
  青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
  新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
  きらびやかな氷窒素のあたりから
  すてきな化石を発掘したり
  あるひは白堊紀砂岩の層面に
  透明な人類の巨大な足跡を
  発見するかもしれません

  すべてこれらの命題は
  心象や時間それ自身の性質として
  第四次延長のなかで主張されます

     大正十三年一月廿日  宮 澤 賢 治    宮沢賢治全集(筑摩書房)より

       註 原文は縦書きです。
         「論料」には「データ」とルビがふってあります。
         
         大正という時代は、西欧の「文物」が「輸入」され、大々的に日本特有の「誤解」が始まった時代だ、と私は考えています。
         そういう時代の一文ゆえに、訴えるところが大きい、と私には思えます。
         なお、この一文について、下記で補足を書いています。[註追加]
         「観察・認識・分るということ・余禄」

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