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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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回帰: re‐habilitation :の記・・・・療法士の方がたへの敬意と謝意を込めて−3

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関東・甲信地域は梅雨が明けたらしい、とのこと。例年になく早い!少しばかりおかしな気候です。


ムラサキシキブの花が咲き出しています。小さな小さな花です。
これが、秋になると、下の写真のように赤紫の実になります。見事です。


「回復」へ向けての急性期病院での「動作」の「訓練」の最初は、車椅子の「乗り降りの練習」でした。
車椅子に乗らない限り検査にもリハビリ室にも行けないからです。

私は右手右脚が幸い自在でしたから、まず足を右にまわして足をベッドの右外に出します(私のベッドは左側が壁に接し、右側が昇降口になっていました)。当然足は下がって、床に着きます(ベッドの高さが、私の足の長さよりも低かった!からです)。そのとき、動かない左脚もベッドの外に出ます。動かない脚でも、右脚を外に出すと、腰の動きにつられて一緒に動いてくれるからです。ほとんど同時に上体も起きています。無意識に、右肘をベッドについて、その反動を利用していたようです。それでだめなときは(だめな人は)、多分ベッドの手摺を右手で掴むと思います。余程の不安定な状態でない限り、私は手摺を使わなかったようです。
そして、ベッドの端に腰掛ける姿勢になります。

ところが、そのときに、問題が起きるのです。
回復期病院に転院した当初も、よく注意されたことなのですが、
「左手を置き忘れてしまう」のです。
脚と違って、肩が動いても、左手の肘から先は、脚のようには付いてこない、かなり意識しないと動いてくれないのです。掛け布団がからまって抜けないこともありました。しかし、左手の存在は感触で分っている・・・。なのに、動かない、付いてこない・・妙な感じでした。
それゆえ、ときには右手で左手を引っ張り出したりもしました。
この現象が、単に左手が動かないせいなのか、それとも、脳の機能障碍で左側の認知能力が失せてしまったからだったのか、今でも分りません。
車椅子のブレーキ(停車時の動き出しを停めるためのいわばパーキングブレーキです)は、右の車輪用は右に、左は左側にあり、共に手前に引くとブレーキがかかります。私は、左側のブレーキをよく忘れて注意されました。ブレーキをかけるように極力意識しましたが、左側を引く力が左手にない。そのため、右手を伸ばして引いていました。

乗り移りは、右手を車椅子の右側の手摺に置き、それを頼りに腰を浮かせ体を移動させるコツを、比較的容易に覚えました。右手が勝負!
しかし、左手が利かないので、自走はムリ。押してもらってリハビリ室まで、1階エレベーターで降りて、約150mほど廊下を進みます(増築を繰り返した病院にありがちな屈折の多い迷路のような廊下・・)。


サンショウの実です。キアゲハが卵を産みにきてます。
もうじき幼虫が孵り、葉を食べつくすでしょう。サンショウの葉が好物なのです。

急性期病院でのリハビリは、「理学療法:PT」、「作業療法:OT」、「言語療法:ST」の順に大体各20分行ないました。

理学療法:PTでは、まず、2本の水平の手摺のある通称「平行棒」で、歩行以前の「立つ」練習を行ないました(手摺の高さは、その人の身長:手の位置により調節可能です)。
頼りになるのは、私の場合は、右手と右脚。両脚で立っているように見えますが、実際は右脚で体重を保ち、体が倒れないように右手で手摺を掴んでいる。
次いで「歩行」してみる。脚を前に出す。これも、右手の支えがないとだめ。要するに、右脚と右手を使って「歩いている」ことになるわけです。
左脚に体重がかかると、かなりの頻度で、膝がガクッと崩れ折れました。膝のあたりの筋力が萎えているからのようでした。そして多分、筋肉を作動させる神経系統も休止していたものと思われます。
当然普通の「歩く」状態には程遠い。それでもとにかく、平行棒の中を5mほど「歩く」ことができました。

次いで、「4点杖」を使っての「歩行」となりました。
「4点杖」というのは、石突の部分が4本に分かれている杖です。そのため、杖を床に置くと、杖はそのまま倒れずに立っています(普通の杖は、どこかに寄り掛けなければなりません)。
   普通の杖は、取っ手の形からだと思いますが「T字杖」と呼ぶようです。
   この杖(普通の杖)は、使わないときの置き場、置き方に苦労します。壁に立てかけても滑って倒れてしまい、
   床に倒れた杖を拾うという「動作」は、手足が自在でない人には一苦労だからです。
最初に4点杖を使うのは、杖の安定度が高く、保持が楽で、手の負担が少なくて済むからだと思われます。
4点杖で10mくらいの距離を往復できました。
もちろん、右脚と右手(の杖)が主体の「歩き」です。体重を左脚に移動させると、しばしば、膝が崩れます。
しかし、左脚に体重を移動させることができないと本当の「歩き」にならない。
そこで、急性期病院のリハビリでは、左脚の膝が崩れないように支える「装具」(関節部をいわば「固定する」ためです)を付けての練習になりました。
しかし、それでも右脚と右手(の杖)が頼りであることは同じ。
そういう練習を転院直前まで続け、「かなり軽快に(?)歩けるように」なりました。

しかし、これは、右膝へのかなりの負担となったようです。回復期病院へ転院当初、二日ほどの間、右膝痛に悩まされました。

作業療法:OTでは、左手の「固まり」を「ほぐす」ことから始まりました。
万歳をしても、左手は上によく挙がらず、しかも位置を保持できない。高さも右手よりも低い。これは、左手の動作に関わる神経〜筋・腱〜関節の連携が停止してしまったからのようです。
そこで、はじめは、机の上に置いた折りたたんだタオルに両手の掌を載せ、タオルを、雑巾がけの要領で、最初は前後に、次に左右に机の上を移動させる「練習」。
もちろん左手だけではできないので、左手の上に右手を載せ、右手主導で行ないます。左手は多少の痛みはあるのですが、「やむを得ず」動きに付いてきます。
なるべく遠くまで押しやれば、背筋も延び、手も伸びます。
この練習の後、手の挙げ下ろしも「軽く」感じられるようになりました。「固さ」がいくぶん「ほぐれた」のだと思います。

   このような両手を使っての「作業・動作」訓練はいろいろありましたが、
   左手が自在でないと、得てして、右手のみで遂行してしまいます。それでは左手の訓練にならない。
   この「クセ」は、転院した回復期病院でも当初よく現れ、「右手のおせっかい」と評されました。
   用が足せればいいではないか、という「楽をしようという気分」が働いてしまうからのようです。

次いで、ソフトクリームのカップ様の円錐形のプラスチック製のカップが底を上に十個ほど重ねてあり、そこから一個ずつ左手で掴んで別の場所に運び積み重ねる「練習」。
上方が先細りになっていますから、最初のうちは、手から滑り落ちてしまい、なかなか掴めません。
何回もやっているうちに、指先にいくら力を加えても滑るだけだ、ということが分り、掴むという動作のコツが少し見えてきます。
その際、同じことを右手でやってみて、その「まね」を左手でやってみる、というのが、結構ヒントになりました。右手は「長年の間に覚えて身につけた動作」を忘れていないからです。

急性期病院でのOTのリハビリでは、同じことを繰り返して行なうことで、自分でコツを見付け、体で覚えることを目指しているように思えました。
回復期の病院では、同じことを繰り返すことに加え、「手首の動かし方に注意する」というアドバイスがありました。そのアドバイスから、指先の動きは、手首の動きと連動している、指先だけを考えてはダメ、という「事実」を学ぶのです。「適切に」手首を動かせば、指はそれについてくる・・・。
この「違い」は、療法士さんの「指導法」についての考え方の違いかもしれません。
ただ、私は、こういうアドバイスを頂けるのは、大変有難かったと思っています。なぜなら、「何とかしようという意欲」がわき、コツの修得が早まるように思えたからです。同じことを繰り返す中からコツを自分で見付ける、というのは結構大変です。そのとき、「手首・・・」というヒントは、「見付けるきっかけ」を与えてくれるのです。
   ヒントは一定程度動作を繰り返して、どうしたらよいか悩んでいるころを見計らって与えられたようでした。
   
左手が自在に動かせないということは、思った以上に「不便」でした。
手先を目的とする位置にもってゆくことなどは、とてもできない。
たとえば、眼鏡の曇りをとりたくて、眼鏡ををはずすため、左側の「ツル」を掴もうとしても、手先はそこに届かず、頬をのあたりをさまよう。
健常なとき、手先は、右も左も、目で確認しなくても、目で確認できなくても、「思った」ところへもってゆくことができました。
考えてみたら、これは大変な「習慣」です。
おそらく、この「習慣」は、目で見て位置を知ったのではなく、手先で触ろうとする何度かの「試行」の結果、長年のうちに「体が覚えこんだ習慣」なのだと思います。
人の「動作」には、こういうのがいっぱいありそうです。

眼鏡をはずせないことに気が付いた当初、私はそれを、指先がよく動かないからだ、と思っていました。
しかし、後に回復期病院のOTのリハビリで、それが大きな勘違いであることを教わります。そして、本当の理由は、先のコーンカップの「練習」にヒントが潜んでいたことを知ることになります。

急性期病院でのOTでは、左手の挙げ下ろしがよくなった以上には「改善」はなく、転院時の左手の握力は0!でした(数値は覚えていませんが、右は一定程度あった)。

急性期病院の言語療法:STでは、会話や文章を読むことによって、話しかたの状態・様子が確認されたようです。そのほか、発声するなどのチェックも行なわれました。
認知力、注意力、記憶力については、いろいろなな方法でチェックされました。
たとえば、互いに無関係な単語を三つ示され、他のことをした後、数分経って、それを覚えているかどうか、チェックするなどです。絵に描いてあったモノ見て、しばらく経ってからいくつ覚えているか、などのテストや、すでに触れた時計の文字盤を描いてみるなどのチェックも行なわれました(ペーパーでやる場合、会話でやる場合、両者併用の場合など多様でした)。
   同種のテストは、高齢者(75歳以上:いわゆる後期高齢者)の運転免許更新時にもありました。

特に、私の場合、右脳の損傷ゆえに、左側の状況把握力に危惧がもたれ、視界の左側に注意することを、毎日のように言われました。
この「注意」は、私にとっては「呪術」のような働きがあり、左側のモノを異常なほど気にするようになりました。
   回復期病院に転院、自立歩行ができるようになった後、病室の出入口の左側の枠を気にするあまり、
   かえってそこにぶつかりかける、ということがままありました。
   気にするため、逆にそこに接近していってしまったり、
   そこを避けようとしてかえって歩行がぎこちなくなり、左膝が折れ、ぶつかりそうになるのです。
   それに気付いた後は、そういう場合は左側のモノから必要以上に離れて歩いたり、
   左手で触ることにしました(廊下は、できるだけ真ん中を歩いていました)。
   それを習慣化することで、どうにかこの「呪術」から脱することができました。

   こういうことは、健常な場合でもよくあるように思います。
   「心理的な脅迫感」に襲われ、日ごろやっているなんでもないスムーズな動きがぎこちなくなる現象です。
   たとえば、「そこは危ない」と注意されている場所で
   「危ない目に遭う」「遭いかける」という現象が結構起きやすいように思いますが、
   これには、多分にこの「心理的な脅迫感」が働いているように思います。


ブルーベリー。管理しやすいように鉢植えです。もうじき食べられそうです。 

ところで、これまで記してきたリハビリについてのもろもろの感想・考えたことの大半は、急性期病院でのリハビリでのものではなく、転院した回復期病院でのリハビリによるものです。

急性期病院に居るときは、どうにか早く元のようになれないものか、といういわば「功利的な思い」の方が強く、リハビリが何たるものか、正直のところ、深く考えてはいなかった、と言うより、「単なる回復訓練」と言う程度の認識だった、要は、「平均的リハビリ観」の持ち主だった、と言えばよいでしょう。

CTの検査の結果、血腫・浮腫が治まったと判定され、2月19日に回復期病院に転院しました。
この回復期病院には、「リハビリ専門病棟」があります。
「リハビリ専門病棟」には、病室が2階と3階(各階30〜40床ほど)、1階に500?ほどの広さの小体育室様の「療法室」があり、同じ階に、リハビリも考えたつくりの浴室がありました。

次回は、この専門病棟でのリハビリの体験を通し考えたことで、これまで書き残したことを、覚えている限り、書いてみようと思います。    

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