冷たい北東気流:やませ:に拠るのでしょうか、
当地は、ここ数日、「梅雨寒(つゆざむ)」の日が続いています。
生い繁る草の中にネジバナを見つけました。背丈15cmほど。ラン科だそうです。
先回の補注
姿勢が悪いだけでも足を摺りやすくなるのだ!
先回、「・・・健常な人ならば、膝のまわりの筋力で「崩れ」をある程度防止できます。しかし、高齢で筋力が衰えていたり、脳出血などで神経〜筋の動きが麻痺していると、そうはゆかないのです。多くの場合、そういう人は、「摺り足」に近い歩き方をしようとします。「摺り足」は、体重の移動が容易だからではないかと思います(足を上げると、ふらつくので、なるべく重心を低めようとするのだ、と考えると分りやすいかもしれません)。私もそうなっていました。今でも疲れてくるとそうなりがちです。・・・」と書きました。
ところが、私の場合は、きわめて単純な理由であることを、数日前の外来リハビリ担当の療法士さんに指摘されました。歩く様子がぎこちなかったからでしょう。
指摘いただいた内容を私なりに総括すると、次のようになります。
「私の姿勢が悪い!」
私は以前から「猫背」です。それを直そうとしても長時間保てない。上半身の筋力が弱いからのようです。
姿勢が悪いと、私の場合、右脚の股関節部分も内側に傾き加減になる。その方が楽だかららしい。つまり、上半身の姿勢の悪さに下半身もならってしまっている、ということ。一方で、左脚の方は、意識して健全であろうと努めている。
そうなると、股関節〜地面間の距離が、右の方が内傾している分、左より、若干短くなる。ゆえに左脚が地面を摺りやすくなるのだ(当然重心の保持の仕方も下手になるから摺り足になりやすい)!
実際、意識して上半身の姿勢をただして歩くと、摺ることがなくなる。納得しました。
PTの療法士さんから、姿勢を正すこと:体幹を強くすることをきつく言われていたことをあらためて思い出しました。すぐ忘れてしまう!!ボケたかな。
シロツメクサ(クローバー)。西欧からの物品輸送の際、クッション材に使われたので
ツメクサと名付けられたそうです。赤い花のアカツメクサもあります。
以下、今回の本題にはいります。リハビリの概要について、私なりに「解説」してみます。
いったい、「リハビリテーション:rehabilitation 」とは何のことなのでしょうか?
普通、rehabilitation は日本語では「社会復帰」と訳されていて、日常的には「リハビリ」と呼んで済ませているようです。実際に「リハビリ」にかかる前の私の理解も、その程度のものでした。
なお、以下の文中のリハビリに関わる記述は、
担当された療法士さんに、下書きに目を通していただいてはおりますが、
あくまでも、「私の理解」に拠るものです。
そこで、あらためて、“rehabilitation” の意味を辞書で調べてみました(研究社「新英和中辞典」に拠ります)。
rehabilitationとはre-habilitation 、つまり、habilitation を「新たにする」「原状に復す」ということになります。
では、“habilitation” とは、どういう意味か。
これが厄介な語。辞書には、habilitate 「特に、ドイツの大学教員の資格をとる、資格があること」とあります。ゆえに、その名詞形 habilitation には、察するところ「資格(がある)」能力(がある)」という意味があるらしい。
それゆえ、re-habilitation とは、「資格復権」「能力再建」とのような意味になるように思われます。
「社会復帰」という日本語訳は、人としての通常の能力を復権すれば、普通に社会で暮せるようになる、とのような意を込めての「意訳」だったのではないでしょうか。
註 私は、おそらく、「社会復帰」の語からの「勝手な連想」だったのだと思いますが、
何となく、habilitation をhabitation:「居住」と同義ではないかと誤解していたようです。
では、どういう人が re-habilitation の対象者なのでしょうか。
次のように大別されるのではないか、というのが私の理解です。
すなわち、
1)骨折などの怪我をして、あるいは何らかの手術などをして、それが治るまでの一定期間、動くことができず、
その結果従前の能力が失せてしまった人、
私は子どものころ、左手首を骨折し、一時期副え木を当て、ギプスをしていたことがあります。
ギプスを取ったあとしばらくの間、左手を自由に動かすことができませんでした。
そして、動かせるようにする施療はきわめて荒っぽかった記憶があります。
お構いなしの関節の屈伸運動・・・。今のリハビリとは大違い・・・。
2)脳卒中などにより、脳〜神経系を傷め、それゆえに動作の指令が滞り、それゆえに動くことができなくなり、
従前の能力を失せてしまった人。
体を動かしていない期間が続くと、そのメカニズムはよく分りませんが、体を動かすことができなくなります。
筋肉〜腱〜関節が言わば「固まって」しまい、脳の「動かせ」という指令に反応しなくなってしまうからのようです。
私の場合、脳出血により左半身の動作を指令する脳〜神経系が働かず動作不能の状態に陥ったようです。
出血:浮腫が存在する間に、脳〜神経〜筋肉・腱〜関節の動きが無反応になってしまったのでしょう。いわゆる「麻痺」です。
これを「復元」しよう、というのが re-habilitation なのだ、と言えばよいでしょう。
註 発症時、手や足が「べらぼうに重く感じられ」ました。
この「重さ」は、手や足の「自重」らしい。つまり、健康なときは、
脳〜神経の指令に筋肉〜腱〜関節が無意識に適切に作動して手足を「持ち上げていた」のですが、
「重い」と感じたのは、私の「意」に応じて手足が動かなかったからなのでしょう。
どうやら、こういう「動作のメカニズム:脳〜神経〜筋肉〜腱〜関節のスムーズな連携」は、
赤子のときからの日々の暮しの中で「学習:身につけて」きたもののようです。
言い方を変えれば、病後の re-habilitation は、赤子に戻って「学習し直す」ことだ、と言えるかもしれません。
このほか、
3)知的障碍や脳の障碍で普通の人が持っている能力を備えていない人。
これはカタバミの花。大きさは1cmもありませんが、黄色が目立っています。
現在行なわれているre-habilitation は、大きく次の三つの治療・療法で構成されているようです。
ア)「理学療法:physical therapy(略称PT)」
イ)「作業療法:occupational therapy(略称OT)」
ウ)「言語療法:speech therapy(略称ST)」
そして、それぞれの治療を実際に担当する専門職が、「理学療法士 physical therapist 」「作業療法士 occupational therapist 」そして「言語療法士 speech therapist 」で、所定の教育課程修了後、国家試験で資格を取得します。
この方たちは、人体の「構造」:生理学的知見、解剖学的知見はもとより、神経〜筋肉・腱〜関節の連携相関関係について、単なる辞書的知識ではなく、実体験に基づく該博な知見を備えておられます。
たとえば、ここの筋は、ここにつながっている、あるいはここと連携して動く、だからそのことを知らないと、知ろうとしないとダメ・・・などということを、きわめてよく知っていて、それを具体的に教えていただくこともあります。
つまり、「部分」は「全体」のなかの部分だ、ということです!
まさに、「ゲシュタルト理論」そのものです。
「ゲシュタルト理論」は、元は心理学の用語。
簡単に言えば、部分の足し算=全体ではない、
「部分」の認識には、先ず「全体」の認識が不可欠という考え方。
私たちのリアリティに合致しているゆえに、すでに書いてきたことでお分かりかと思いますが、
私は以前から、この「考えかた・見かた」を採っています。
ところで、
療法士さんたちの仕事ぶりを見ていて、
思わず、同じく国家試験による資格である建築士の「様態」と比べてしまいました。
建築士は、単なる「肩書」になっている感が深いように思えたのです。
その理由は、「仕事の意味」が分らなくなっている、
しかも自ら問わなくなっているからだと思いました。
多くの建築士は、「仕事の意味」を、
設計した建物の「外形」の《恰好のよしあし》に求めたがります。
そして、自らも、周りの人も、「その形の謂れ」を問わなくなっているのです。
それは、《建築士の仕事=自己表現の手段》と勘違いしている場合が多いからではないでしょうか。
国家試験は、そんなことを建築士に求めてはいません。
以前に触れたような「いわゆる建築家」の「理解不能」な言動は、だからこそ現れるのではないかと思います。
こんなことは、療法士さんたちの世界ではあり得ない話です。
療法士さんたちの世界では、「専門」の「本来の意味」が活きています。
それぞれの「療法」の内容を私なりにまとめると、以下のようになります。
physical therapy とは、字の通り、physical(身体) の能力の治療の意と思われます。つまり、身体の諸種動作能力の回復を目指す治療。
これが、なにゆえに「理学」という訳語になったのか、わかりません。直訳の方が分りやすかったのではないでしょうか。
occupational therapy は、原語自体よく分りません。
occupation は「、職業、業務」あるいは、「占有、居住、あるいはまた占領、占拠」という意。occupational は、「職業の、職業から起こる(例 occupational disease:職業病)」という意。
だとすると、occupational therapy とは何だ?
私が受けた physical therapy は主に下肢の機能回復訓練、occupational therapy は主に上肢の機能回復訓練でした(私の場合はいずれも、左側が主)。
そして、実際に occupational therapy を受けているうちに、 occupational therapy というのは、同じ機能回復訓練のうちでも、たとえば衣服の着脱(ボタンをかけることなどを含みます)、茶碗を落さずに持つ、箸をうまく使う、あるいはある道具を使う・・・など、「ある目的的な動作の訓練に直かに連なる physical の治療」であり、そこから「作業療法」という言い方になったのではないか、と思うようになりました。
speech therapy は、speech の語がメインになっているように、もとは「話すことができるようになるための治療」であったと思われます。
脳の受けた損傷に拠って、手足が動かせなくなるのと同様に、「話す」という動作や、ものを食べて飲み込む動作を具体的に担う口の周りの physical な部位が自在に動かなくなることが起きるのです。「ろれつがまわらない」というのが典型的な症状で、嚥下障碍もその一つのようです。
その一方で、発声・発音以前に、「言葉を失ってしまい、話せなくなる」場合があるようです。
人の「行動」「動作」はすべからく脳が司っています。
何か「行動する」「動作をする」というためには、それ以前に、ものごとを「認知」し、とるべき行動・動作を「判断」する、という「前段」が必ず存在します。
「話す」というのも、その「行動・動作」の一つ。こういったすべてを脳が差配しているわけです。
それゆえ、脳のある部分が損傷すると、ものごとを「認知し、判断する」ことができなくなり、その結果として「ものを言うこと」ができなくなったり、「正しく言えなくなる」ことも起り得るわけです。単に「ろれつがまわらない」などということよりも重篤な状況状態です。
対象が確実に見えているにもかかわらず、その存在を「認知する」ことができず、明らかに見えているものにぶつかってしまったり、対象のある部分だけ、思い浮かべることができない、などということも生じるようです。こういう重篤な障碍は、総称して、「(脳の)高次機能障碍」と呼ぶようです。私についても、その点が心配されたようです。
たとえば、脳の右側の重い損傷が起きた方に、時計の文字盤を描いてもらうと、
左半分が空白の:文字のない:文字盤の絵を描くそうです。
察するところ、「言語療法:speech therapy 」は、単に「発声や嚥下にかかわる physical therapy 」だけではなく、「脳科学」との連携の下で、「脳の機能全般」の re-habilitation を目指しているのかもしれません。
それゆえ、re-habilitation で一番難しいのは(「回復」が難しいのは) speech therapy なのではないかと思います。言わば、「脳機能を再構築すること」に他ならないからです。
註 担当されたある療法士の方から、
physical therapy の発祥は、戦時下の傷病兵の「再生・修理工場」としてであったらしい、と聞きました。
兵士も兵器と同じく消耗品、壊れたら修理して長く使おう、という発想があったのかもしれません。
また occupational therapy の発祥は、いわゆる精神病院にあるとも言われているとのことでした。
いわゆる知的障碍などで、普通の人が行なっている普通の動きを為し得ない人びとに、
普通の動作・「作業」ができるように学習してもらう、ということなのだと思います。
たしかに、OTとは呼ばれてはいませんが、同様のことは知的障碍者施設でも為されています。
註 文中の「障碍」という表記について
現在、「障害」と表記されている語は、本来、「障碍」と表記していました。
碍は、「さまたげる」という意。障も同じ。
つまり、「障碍」:「普通の状態がさまたげられている」状態のこと。
それが、当用漢字の使用制限の結果「障害」と記すようになり、
この「害」の字が誤解を生むようになったのです。
台湾では、「障害者」を「残障者」と記すそうです。「体にさまたげが残っている」という意味です。
どこでも見かけるヒメジョオン(ヒメジオンと呼ぶのが普通かもしれません)の花に
ベニシジミがとまっていました。この時季シジミチョウが多い。
次回は、私が「回帰」するまでの「過程」を、思い出せる限り記してみよう、と思っています。
当地は、ここ数日、「梅雨寒(つゆざむ)」の日が続いています。
生い繁る草の中にネジバナを見つけました。背丈15cmほど。ラン科だそうです。
先回の補注
姿勢が悪いだけでも足を摺りやすくなるのだ!
先回、「・・・健常な人ならば、膝のまわりの筋力で「崩れ」をある程度防止できます。しかし、高齢で筋力が衰えていたり、脳出血などで神経〜筋の動きが麻痺していると、そうはゆかないのです。多くの場合、そういう人は、「摺り足」に近い歩き方をしようとします。「摺り足」は、体重の移動が容易だからではないかと思います(足を上げると、ふらつくので、なるべく重心を低めようとするのだ、と考えると分りやすいかもしれません)。私もそうなっていました。今でも疲れてくるとそうなりがちです。・・・」と書きました。
ところが、私の場合は、きわめて単純な理由であることを、数日前の外来リハビリ担当の療法士さんに指摘されました。歩く様子がぎこちなかったからでしょう。
指摘いただいた内容を私なりに総括すると、次のようになります。
「私の姿勢が悪い!」
私は以前から「猫背」です。それを直そうとしても長時間保てない。上半身の筋力が弱いからのようです。
姿勢が悪いと、私の場合、右脚の股関節部分も内側に傾き加減になる。その方が楽だかららしい。つまり、上半身の姿勢の悪さに下半身もならってしまっている、ということ。一方で、左脚の方は、意識して健全であろうと努めている。
そうなると、股関節〜地面間の距離が、右の方が内傾している分、左より、若干短くなる。ゆえに左脚が地面を摺りやすくなるのだ(当然重心の保持の仕方も下手になるから摺り足になりやすい)!
実際、意識して上半身の姿勢をただして歩くと、摺ることがなくなる。納得しました。
PTの療法士さんから、姿勢を正すこと:体幹を強くすることをきつく言われていたことをあらためて思い出しました。すぐ忘れてしまう!!ボケたかな。
シロツメクサ(クローバー)。西欧からの物品輸送の際、クッション材に使われたので
ツメクサと名付けられたそうです。赤い花のアカツメクサもあります。
以下、今回の本題にはいります。リハビリの概要について、私なりに「解説」してみます。
いったい、「リハビリテーション:rehabilitation 」とは何のことなのでしょうか?
普通、rehabilitation は日本語では「社会復帰」と訳されていて、日常的には「リハビリ」と呼んで済ませているようです。実際に「リハビリ」にかかる前の私の理解も、その程度のものでした。
なお、以下の文中のリハビリに関わる記述は、
担当された療法士さんに、下書きに目を通していただいてはおりますが、
あくまでも、「私の理解」に拠るものです。
そこで、あらためて、“rehabilitation” の意味を辞書で調べてみました(研究社「新英和中辞典」に拠ります)。
rehabilitationとはre-habilitation 、つまり、habilitation を「新たにする」「原状に復す」ということになります。
では、“habilitation” とは、どういう意味か。
これが厄介な語。辞書には、habilitate 「特に、ドイツの大学教員の資格をとる、資格があること」とあります。ゆえに、その名詞形 habilitation には、察するところ「資格(がある)」能力(がある)」という意味があるらしい。
それゆえ、re-habilitation とは、「資格復権」「能力再建」とのような意味になるように思われます。
「社会復帰」という日本語訳は、人としての通常の能力を復権すれば、普通に社会で暮せるようになる、とのような意を込めての「意訳」だったのではないでしょうか。
註 私は、おそらく、「社会復帰」の語からの「勝手な連想」だったのだと思いますが、
何となく、habilitation をhabitation:「居住」と同義ではないかと誤解していたようです。
では、どういう人が re-habilitation の対象者なのでしょうか。
次のように大別されるのではないか、というのが私の理解です。
すなわち、
1)骨折などの怪我をして、あるいは何らかの手術などをして、それが治るまでの一定期間、動くことができず、
その結果従前の能力が失せてしまった人、
私は子どものころ、左手首を骨折し、一時期副え木を当て、ギプスをしていたことがあります。
ギプスを取ったあとしばらくの間、左手を自由に動かすことができませんでした。
そして、動かせるようにする施療はきわめて荒っぽかった記憶があります。
お構いなしの関節の屈伸運動・・・。今のリハビリとは大違い・・・。
2)脳卒中などにより、脳〜神経系を傷め、それゆえに動作の指令が滞り、それゆえに動くことができなくなり、
従前の能力を失せてしまった人。
体を動かしていない期間が続くと、そのメカニズムはよく分りませんが、体を動かすことができなくなります。
筋肉〜腱〜関節が言わば「固まって」しまい、脳の「動かせ」という指令に反応しなくなってしまうからのようです。
私の場合、脳出血により左半身の動作を指令する脳〜神経系が働かず動作不能の状態に陥ったようです。
出血:浮腫が存在する間に、脳〜神経〜筋肉・腱〜関節の動きが無反応になってしまったのでしょう。いわゆる「麻痺」です。
これを「復元」しよう、というのが re-habilitation なのだ、と言えばよいでしょう。
註 発症時、手や足が「べらぼうに重く感じられ」ました。
この「重さ」は、手や足の「自重」らしい。つまり、健康なときは、
脳〜神経の指令に筋肉〜腱〜関節が無意識に適切に作動して手足を「持ち上げていた」のですが、
「重い」と感じたのは、私の「意」に応じて手足が動かなかったからなのでしょう。
どうやら、こういう「動作のメカニズム:脳〜神経〜筋肉〜腱〜関節のスムーズな連携」は、
赤子のときからの日々の暮しの中で「学習:身につけて」きたもののようです。
言い方を変えれば、病後の re-habilitation は、赤子に戻って「学習し直す」ことだ、と言えるかもしれません。
このほか、
3)知的障碍や脳の障碍で普通の人が持っている能力を備えていない人。
これはカタバミの花。大きさは1cmもありませんが、黄色が目立っています。
現在行なわれているre-habilitation は、大きく次の三つの治療・療法で構成されているようです。
ア)「理学療法:physical therapy(略称PT)」
イ)「作業療法:occupational therapy(略称OT)」
ウ)「言語療法:speech therapy(略称ST)」
そして、それぞれの治療を実際に担当する専門職が、「理学療法士 physical therapist 」「作業療法士 occupational therapist 」そして「言語療法士 speech therapist 」で、所定の教育課程修了後、国家試験で資格を取得します。
この方たちは、人体の「構造」:生理学的知見、解剖学的知見はもとより、神経〜筋肉・腱〜関節の連携相関関係について、単なる辞書的知識ではなく、実体験に基づく該博な知見を備えておられます。
たとえば、ここの筋は、ここにつながっている、あるいはここと連携して動く、だからそのことを知らないと、知ろうとしないとダメ・・・などということを、きわめてよく知っていて、それを具体的に教えていただくこともあります。
つまり、「部分」は「全体」のなかの部分だ、ということです!
まさに、「ゲシュタルト理論」そのものです。
「ゲシュタルト理論」は、元は心理学の用語。
簡単に言えば、部分の足し算=全体ではない、
「部分」の認識には、先ず「全体」の認識が不可欠という考え方。
私たちのリアリティに合致しているゆえに、すでに書いてきたことでお分かりかと思いますが、
私は以前から、この「考えかた・見かた」を採っています。
ところで、
療法士さんたちの仕事ぶりを見ていて、
思わず、同じく国家試験による資格である建築士の「様態」と比べてしまいました。
建築士は、単なる「肩書」になっている感が深いように思えたのです。
その理由は、「仕事の意味」が分らなくなっている、
しかも自ら問わなくなっているからだと思いました。
多くの建築士は、「仕事の意味」を、
設計した建物の「外形」の《恰好のよしあし》に求めたがります。
そして、自らも、周りの人も、「その形の謂れ」を問わなくなっているのです。
それは、《建築士の仕事=自己表現の手段》と勘違いしている場合が多いからではないでしょうか。
国家試験は、そんなことを建築士に求めてはいません。
以前に触れたような「いわゆる建築家」の「理解不能」な言動は、だからこそ現れるのではないかと思います。
こんなことは、療法士さんたちの世界ではあり得ない話です。
療法士さんたちの世界では、「専門」の「本来の意味」が活きています。
それぞれの「療法」の内容を私なりにまとめると、以下のようになります。
physical therapy とは、字の通り、physical(身体) の能力の治療の意と思われます。つまり、身体の諸種動作能力の回復を目指す治療。
これが、なにゆえに「理学」という訳語になったのか、わかりません。直訳の方が分りやすかったのではないでしょうか。
occupational therapy は、原語自体よく分りません。
occupation は「、職業、業務」あるいは、「占有、居住、あるいはまた占領、占拠」という意。occupational は、「職業の、職業から起こる(例 occupational disease:職業病)」という意。
だとすると、occupational therapy とは何だ?
私が受けた physical therapy は主に下肢の機能回復訓練、occupational therapy は主に上肢の機能回復訓練でした(私の場合はいずれも、左側が主)。
そして、実際に occupational therapy を受けているうちに、 occupational therapy というのは、同じ機能回復訓練のうちでも、たとえば衣服の着脱(ボタンをかけることなどを含みます)、茶碗を落さずに持つ、箸をうまく使う、あるいはある道具を使う・・・など、「ある目的的な動作の訓練に直かに連なる physical の治療」であり、そこから「作業療法」という言い方になったのではないか、と思うようになりました。
speech therapy は、speech の語がメインになっているように、もとは「話すことができるようになるための治療」であったと思われます。
脳の受けた損傷に拠って、手足が動かせなくなるのと同様に、「話す」という動作や、ものを食べて飲み込む動作を具体的に担う口の周りの physical な部位が自在に動かなくなることが起きるのです。「ろれつがまわらない」というのが典型的な症状で、嚥下障碍もその一つのようです。
その一方で、発声・発音以前に、「言葉を失ってしまい、話せなくなる」場合があるようです。
人の「行動」「動作」はすべからく脳が司っています。
何か「行動する」「動作をする」というためには、それ以前に、ものごとを「認知」し、とるべき行動・動作を「判断」する、という「前段」が必ず存在します。
「話す」というのも、その「行動・動作」の一つ。こういったすべてを脳が差配しているわけです。
それゆえ、脳のある部分が損傷すると、ものごとを「認知し、判断する」ことができなくなり、その結果として「ものを言うこと」ができなくなったり、「正しく言えなくなる」ことも起り得るわけです。単に「ろれつがまわらない」などということよりも重篤な状況状態です。
対象が確実に見えているにもかかわらず、その存在を「認知する」ことができず、明らかに見えているものにぶつかってしまったり、対象のある部分だけ、思い浮かべることができない、などということも生じるようです。こういう重篤な障碍は、総称して、「(脳の)高次機能障碍」と呼ぶようです。私についても、その点が心配されたようです。
たとえば、脳の右側の重い損傷が起きた方に、時計の文字盤を描いてもらうと、
左半分が空白の:文字のない:文字盤の絵を描くそうです。
察するところ、「言語療法:speech therapy 」は、単に「発声や嚥下にかかわる physical therapy 」だけではなく、「脳科学」との連携の下で、「脳の機能全般」の re-habilitation を目指しているのかもしれません。
それゆえ、re-habilitation で一番難しいのは(「回復」が難しいのは) speech therapy なのではないかと思います。言わば、「脳機能を再構築すること」に他ならないからです。
註 担当されたある療法士の方から、
physical therapy の発祥は、戦時下の傷病兵の「再生・修理工場」としてであったらしい、と聞きました。
兵士も兵器と同じく消耗品、壊れたら修理して長く使おう、という発想があったのかもしれません。
また occupational therapy の発祥は、いわゆる精神病院にあるとも言われているとのことでした。
いわゆる知的障碍などで、普通の人が行なっている普通の動きを為し得ない人びとに、
普通の動作・「作業」ができるように学習してもらう、ということなのだと思います。
たしかに、OTとは呼ばれてはいませんが、同様のことは知的障碍者施設でも為されています。
註 文中の「障碍」という表記について
現在、「障害」と表記されている語は、本来、「障碍」と表記していました。
碍は、「さまたげる」という意。障も同じ。
つまり、「障碍」:「普通の状態がさまたげられている」状態のこと。
それが、当用漢字の使用制限の結果「障害」と記すようになり、
この「害」の字が誤解を生むようになったのです。
台湾では、「障害者」を「残障者」と記すそうです。「体にさまたげが残っている」という意味です。
どこでも見かけるヒメジョオン(ヒメジオンと呼ぶのが普通かもしれません)の花に
ベニシジミがとまっていました。この時季シジミチョウが多い。
次回は、私が「回帰」するまでの「過程」を、思い出せる限り記してみよう、と思っています。