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Channel: 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
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この国を・・・・37:利と理

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今日の天気は変りやすく、通り雨が止んで虹が見えたかと思うと、昼の一時、今度は霰が降りました。終りの頃は雪が混じっていました。低気圧が去るときの現象らしい。気温は4度。今年の冬は厳しそう。
写真は、庭の一角に少し積ったガラス玉のような霰。


次のコピーは11月29日付の毎日新聞朝刊茨城版に載っていた記事です。



東海村は、原発を含む原子力開発関連機関:施設との共存を掲げてきた村長が、福島原発事故を契機に、方向を改め、脱原発の先頭に立っている村です。
そのため、原子力開発・原発との共存派が多数を占める村議会とは対立しています。
察するところ、記事は、この議会多数派側の「反・脱原発」のための「見解」表明の集会であったようです。
ここで述べられた見解は、「原発廃止は地球温暖化対策や経済振興にプラスである」という以前からある原発推進の理由と大きく変っていないように私には見えます。
そしてそれはまた、原発再稼動を願う経済界の方がたの意見とも通じるところがあります。

この中で「目新しい」意見は、南相馬市内でのボランティアの経験に触れ、「事故の収束をきちんとしてほしいという人はいるが、原発を『要らない』という発言は耳にしたことがない」という女性の発言と、
ドイツの首相が「エネルギー革命のコストを過小評価していた」という「研究者」の発言。
前者の発言は、もしも、「被災者の方がたに『要らない』という発言がない=原発容認」と考えているのならば、被災・避難者たちに失礼千万の話です。
後者は、「それゆえにドイツは脱原発から後退したかどうか」については触れていない点がミソ。コストがかかるから、簡単には「脱」などできないよ、と言いたいのかもしれません。

折しも選挙、これとまったく同じ「論理」、すなわち「再生可能エネルギーの技術は開発途上だ、再生可能エネルギーはコストがかかる・・・」として、脱原発に否定的な主張をする政治家も居られます。「脱」などという「できないこと」を言うのは精神論に過ぎない、再生可能エネルギー技術の誕生まで、稼動はやむを得ない、・・・という論も未だ・・・。
共通するのは、廃棄物処理について言及しないこと。
その技術が存在しないのに稼動してきた、そのことには一切触れていないこと。
稼動必要の「論理」と矛盾しています。


では、ドイツではどのようにしていち早く脱原発に舵を切ったのか、そのあたりについて、集めておいた新聞記事などがありますので、あらためて紹介しようと思います。

要点は、「倫理」ということのようです。人としてあるべき理。
時間は順不同ですが、以下に紹介します。
はじめは、今年2012年8月の東京新聞の社説を TOKYO-Web から。



次は、昨年、2011年10月の毎日新聞の記事。
福島の事故後、直ちに「脱」を「決断」したドイツで、いったい何が主に問われたか、についての解説。
その「決断」は、事故後日本の政府が行なった「決断」とは格段の差があります。
日本では、先ず「利」・・・。



おしまいに、この毎日新聞の記事にあるドイツの研究者、ミランダ・シュラーズ氏の活動にも触れている一週間前の東京新聞の社説です。
これは TOKYO Web のコピーです。



ドイツの大電機メーカーも、即座に原発製造から撤退しています。
日本のメーカーは、日本でダメなら輸出しよう・・・。どこもかしこも「利」の世界。

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